◆論説コラム
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の元事務局長、松浦晃一郎氏と会う機会があった。1999年から2期10年の任期を全うした松浦氏だが、昨年7月、国際原子力機関(IAEA)の事務局長だった天野之弥氏が任期半ばで死去したことで、国連機関のトップの日本人がゼロになってしまったことを嘆くことしきりだった。
「国連機関のトップは日本のために仕事をするわけではないが、世界をグローバルな視点から見渡す立場にある。国連に日本人トップがいることの意味は大きい。なんとかしなくては」
国連というと無闇に理想化したり、その逆に、幻想だ、とバッシングする向きもあるが、素直に考えたらいい。国連は、世界の平和と安全を維持し、経済・社会的、文化的あるいは人道的問題を解決するための国際組織である。世界政府がない以上、それに代わってグローバル・イシューに取り組んでいる。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、冷戦終焉後、存在感を増しているのは間違いない。それも、本来の安全保障の面ではなく、環境、人権、労働、貧困、教育など経済・社会問題の分野においてである。
現在、人類にとって喫緊の課題といえば、新型コロナと気候変動であろう。前者は国連専門機関である世界保健機関(WHO)が奔走中だ。後者については、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)で気候変動枠組条約と生物多様性条約が提起され、署名が開始されている。30年近く前のことで、その先駆性に驚く。日本の首相で言えば15代も前の宮澤喜一の時代、会場に来ていたタレントの早見優はまだ20代だった。
この会議を機に国際会議を重ねた国連はその成果を踏まえて2000年にミレニアム開発目標(MDGs)を提唱、その成功をベースに現在一大ブームとなっている持続可能な開発目標(SDGs)を提げて世界の政治と経済をけん引しているのは、ご存じの通りである。
地球を取り巻く環境は厳しい。各国政府、ビジネスセクター、市民社会が結束して国連とともに地球規模課題に取り組もうとしている。そんな中で日本の存在感が低下するばかりでは困りものである。日本はこれまで安保理の常任理事国入りにこだわってきたが、それはもはや時代錯誤ではないだろうか。むしろ、経済・社会問題に取り組む新しい国連像をリードする役割に徹すべきだ。