スティーブ・ジョブズが教えてくれたもの

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その日の夜、私は発表されたばかりの初代iPodを手に、サンノゼ市にある自社オフィスにいた。シリコンバレーで働く知り合いの起業家やエンジニアたちを招き、この奇妙なデバイスを徹底的に分解してみようとの試みだった。2001年10月23日のことだ。

実験台となったプロトタイプのiPodは、記者発表会に参加した全員に配られていた。ご丁寧に、有名ミュージシャンたちのCD数十枚も一緒についてきた。まずは、曲の取り込みを通じてiPodを体験してほしいとのアップルの戦略だった。

ツルツルしたiPodの真っ白い筐体を工具でこじ開けると、ノートブックパソコンに使われる2.5インチサイズの日本製ハードディスクが見え、その周りを電子部品が取り囲んでいた。

私は、発表会でスティーブ・ジョブズCEOが話した言葉を思い出していた。

「大きさはトランプほど。だけど5GBの容量を持ち、あなたの音楽ライブラリーすべて(1000曲分)を持ち歩けるのです」

正直、ピンとこなかった。当時の携帯型音楽プレーヤーの保存容量は128MB程度。何より399ドルという値段が高すぎる。興味津々で分解作業に加わった起業家の一人は、取り出したハードディスクを見ながらこう一笑に付した。

「1000曲もいらないよ。だいたい、どうやってそんなにたくさんの曲を聴くんだい?」

だが、ものの半年もしないうちにiPodは音楽プレーヤー市場を席巻した。マイクロソフトに押され、パソコンシェアが3%ほどに落ち込んでいたアップルは、これを転機に巻き返しをはかることになる。いまみなが手にしているアップル製品も、この時のiPodが失敗に終わっていたら登場していないだろう。

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ジョブズ氏はエンジニアではない。だが、経営者として時代を読む目は確かだった。

携帯音楽プレーヤーを使った音楽コンテンツ配信のアイデアをジョブズ氏に持ち込んだのは、三洋電機の黒崎正彦氏だといわれる。97年のことだ。

当時のジョブズ氏は追い出されたアップルに返り咲き、これから再建を進めようとしていた時期。黒崎氏の話に、「これだ」と、直感が働いたのかもしれない。

iPod成功後のストーリーは知っての通りだ。世界中の人たちがアップル製品を手にし、今年8月には時価総額がエクソンモービルを抜き、遂に世界一となった。

もう誰もアップルを、デザイナーを相手にマックを売る落ち目のメーカーとは呼ばなくなった。

アップルが88年に発表した未来のコンセプトマシン「ナレッジナビゲーター」をいま見返すと驚く。ポータブル、タッチパネル、インターネット電話、フラットディスプレイ、無線ネットワーク、カメラ、音声認識、双方向ビデオ会議システムなどを備え、現在のパーソナルコンピューターの方向性を見事に予言していた。

ジョン・スカリーCEOによって提唱されたものだが、ジョブズ氏が去った後も、革新的な製品を開発するカルチャーは引き継がれていたのだと、いまさらながら感じる。

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わがまま、自分勝手、すぐ怒る――。

元アップルで働いていた人たちから出てくるスティーブ・ジョブズ評はたいてい決まっている。これだけ聞くと、ロクな経営者ではないかのように思える。

私の知り合いの元アップルのエンジニアは、不良品を出してしまったことでジョブズ氏の怒りを烈火のごとく買った。改良対策をするためのスケジュールは考えられないほど厳しいもので、ものすごいプレッシャーのなかで仕事をしたという。

彼は言う。

「ジョブズは仕事が何よりも好きだった。だから社員にもそれを求め、他のことを犠牲にしてまで仕事をする人間を重宝した。その代わり、結果を出すためだったら容赦なかった。その膨大なエネルギーが身体を消耗させ、死に至らせる病気になったのかと思う。でもその生き方を選択したのはジョブズ自身だった」

ジョブズ氏は04年にすい臓がんを患い、このとき医師から余命6カ月の宣告を受けた。運よく一命を取り止め、翌年、スタンフォード大学の卒業式で「あなたの時間は限られている。無駄に他人の人生を生きてはいけない」と話したスピーチは感動を呼んだ。

自分のために生きることの大切さを身をもって知っていたから、他人との衝突を恐れず、自分を貫き通すことができたのだろう。

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時代を切り開いてきたイノベーターに個性的な人物が多いのは、いまに始まったことではない。

エジソンや松下幸之助の最終学歴は小学校だし、本田宗一郎は破天荒な人物であったことが知られている。ジョブズ氏も私生児として生まれた直後に里子に出され、大学も半年で辞めた異端の経営者だ。

全員、型にはまったエリートではないが、これらの人たちに共通していたことは、とにかく自分の仕事に情熱を捧げていたことだろう。

ジョブズ氏は生前、こう言っていた。

「確信を持っていえることは、自分の取り組んできたことを愛していたからこそ、私はここまで来ることができた。最高の仕事をするためには、その仕事を愛することだ」

愛するものを見つける。見つからなければ、いまに安住せず、探し続ける。

56 歳という若すぎる死を持ってジョブズ氏が私たちに教えてくれたものは、小さくない。(オルタナ副編集長=形山昌由)

 

2011年10月10日(月)12:06

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