東京オリパラで注目された「ろう通訳」、手話通訳との違いは

記事のポイント


  1. 東京オリパラを機に、存在が知られるようになった「ろう通訳」
  2. ろう者による通訳で、ろう者にとってより自然な手話表現になる
  3. NHKで手話ニュースキャスターを務める戸田康之さんに話を聞いた

東京オリンピック・パラリンピックをきっかけに、存在が知られるようになった「ろう通訳」。聴者が話した内容を手話通訳者が手話などで伝え、それをろう者がより自然な手話表現に通訳するものだ。ろう通訳者として活躍する戸田康之さんに、NPO法人インフォメーションギャップバスターの伊藤芳浩理事長が話を聞いた。

NHK手話ニュースキャスターの戸田康之さん。手話で「手話」を表現している

戸田康之さんは、埼玉県立特別支援学校大宮ろう学園で教鞭を執るかたわら、NHKで手話ニュースキャスターを務めています。戸田さんは、東京オリンピックの閉会式やパラリンピックの開閉会式、そして北京冬季オリンピックの開閉会式がテレビ放映された際に、ろう者による手話通訳「ろう通訳」として活躍しました。この放映がきっかけで、ろう通訳という存在が広く認識されるようになったと同時に、オリンピックやパラリンピックの開閉会式をリアルタイムで理解できた人が多くいます。

ろう通訳は、次のような流れで音声情報を手話に通訳しています。まず、画面には映らない「フィーダー」という、聴通訳者が音声情報を手話(日本手話)に訳します。ろう通訳はフィーダーの通訳を見て、よりろう者にとって分かりやすい手話表現(日本手話)に訳します。テレビ画面に映るのはこのろう通訳が表出する手話表現です。

ろう通訳は以前からさまざまなところで導入されてきていました。大宮ろう学園でも、ろう通訳の導入を試みたものの、なかなか簡単なものではなく、周囲への理解を得て、ろう通訳導入の実現までに5年もかかったそうです。一般的に、手話通訳といえば、聴者が担うものというイメージがあります。音声から手話、手話から音声に訳すのに「なぜ、ろう者が通訳をするのか、できるのか」という疑問を持つ人も少なくありません。

ろう通訳として活躍する戸田さんに、ろう通訳を始めたきっかけや、その意義などについて、インタビューしました。

※オリンピックやパラリンピックの開閉会式に、ろう通訳がつくきっかけになった経緯は、拙著『マイノリティ・マーケティング』(筑摩書房)に詳しく書いていますので、関心のある方はご覧ください

デフファミリー出身でろう学校の教師に

ーーろう学校の先生になったきっかけは、何だったのでしょうか

大学の時に、ろう・難聴の子どもの家庭教師のアルバイトをしたのがきっかけです。小学生や中学生の家庭教師を3、4年くらいやりました。担当したお子さんは、4、5人ぐらいでした。それぞれの家にうかがって、国語や数学、英語などの宿題を指導しました。

また、勉強だけでなく、同じろう同士、ろうならではの悩みも話しました。お子さんの中にはろう学校ではなく、地域の学校に通っている子もいました。私も同じく、地域の学校に通っていたので、友達とのコミュニケーションがうまくいかないなどの悩み、ろうとしてのアイデンティティ、ろうとは何? というような対話もしました。

勉強と対話をとおして、子どもの思考力が深まり、成長していく姿を見て、ろう学校の先生になりたいと思ったのです。

ーー戸田さんの、家族とのコミュニケーションや、通っていた学校について教えていただけますか

私の親はろう者で、いわゆる「デフファミリー」でしたので、家庭内のコミュニケーションは日本手話でした。家族の中で日本手話を使っていたので、自然と習得したという感じです。幼稚部だけろう学校に通い、ろう学校の先生の勧めや親の方針で、小学校からは地域の学校に通っていました。

その当時は、小学校から地域の学校に入ることが多く、幼稚部の同級生もほとんどが地域の学校に入りました。そのような流れもあり、親としても地域の学校を選択したようです。

しかし、地域の学校では、いろいろな困難がありました。まず、コミュニケーションがうまくいかなかった。1対1のコミュニケーションなら、なんとか分かりますが、2対1や3対1などの複数人でのやり取りは全く分かりませんでした。授業でも先生と友達との意見などのやり取りも分かりません。口話(読唇でやり取り)で読み取りをして、勉強は自力で付いていきました。

口話は幼稚部の時に習得しました。ろう学校の方針で、手話の使用は禁止されていました。口話で相手の話を100%理解するのは難しく、少しだけやり取りができるくらいでした。

その後、大学に入ってから、先輩たちが情報保障の活動に熱心に取り組んでいたおかげで、ノートテイク制度を利用することができました。また、支援金を受けて、パソコン文字通訳も利用するようになりました。当時は、外部の団体が提供するパソコン文字通訳をつけることができましたが、1年間の利用制限があり、また、全ての講義につけられるわけではなく、ゼミ、ディスカッション、講義のひとつくらいでした。物足りなさを感じていた。

ろう児には、日本語対応手話では通じない

ーーでは、ろう通訳をするようになったきっかけは何でしょうか?

ろう通訳の話に入る前に、ろう学校での手話の使用をめぐる変化について説明させてください。平成15年ごろより以前は、ろう学校の校長先生は「手話ができない」というのが当たり前だったのです。ですが、手話を覚えたい校長先生が増えてきました。手話言語条例が各地で成立したり、手話に対する理解が広まったりした社会背景を受けてのことだと思います。「ろう学校の校長として手話を覚えたい」という校長が増えてきました。

私が勤務していた坂戸ろう学校では、16年ほど前に赴任してきた校長先生が、初めて「手話を覚えたい」ということで、私が教えました。しかし、その結果は後悔の残るものでした。校長先生は聴者なので、声を出しながら手話を覚えたため、日本語対応手話になってしまったのです。

私はそれを否定せず、「手話を覚えてくれてありがたい」という気持ちから日本語対応手話でも構わず手話を教えてきました。ですので、校長先生が代わるたびに日本語対応手話が受け継がれていきました。

その後、異動で大宮ろう学校に赴任しました。そのときの校長先生にも同じように手話を教えました。でも、ここでも声付き手話(日本語対応手話)のため、理解するのが難しかったです。校長先生は、日頃から手話でろう児たちとコミュニケーションをとらず、「校長の話」の部分だけ、手話を練習して覚えていました。

ですから、ろうの子どもたちが校長先生の手話を見ても、何を言っているのかがさっぱり分からないということがほとんどでした。自分たちが使っている手話とかけ離れているので、校長先生の手話がでたらめにやっているようにも見えることもあったと思います。

ろう学校の勤務経験があり、ろうの子どもたちを指導したことがある校長先生の場合だと、日本語対応手話でも比較的、理解しやすいのです。でも、ろう学校が初めてで、ろうの子どもたちと手話でコミュニケーションすることがない校長先生の場合は、「校長の話」の部分だけ練習して覚えた手話では子ども達には伝わりません。

それは私も同じで、モニターに表示される日本語の原稿を読んで意味を理解していました。でも、その原稿も、読める子どもと、日本語が苦手で読めない子どももいます。ましてや幼稚部の子どもたちは文章を読むことができません。情報の差が生じてしまいました。

理解を得られず一度はあきらめた「ろう通訳」導入

私は同僚のろう教師と話し、情報保障を整えていくことが大切だという考えに至りました。最初は、校長先生はそのままの日本語対応手話で話してもらい、横に手話通訳をつけたらどうかと考えました。その手話通訳は、ろう学校の聴教員にお願いしようと。しかし、断られてしまいました。理由は聴者同士では無理だというのです。これには驚きましたが、聴者の先生から意見を聞き、勉強になりました。

次に、職員会議で「ろう者が通訳をやるのはどうか」と提案しました。海外でろう通訳が行われている話を聞いたことがあったからです。すると聴者の先生からは「校長先生は頑張って手話を覚えているのに、失礼だ」と不評でした。

また、外部の手話通訳者では足りないときに、聴教員たちが代わりに通訳をする「ボランティア手話通訳チーム」からも批判を受けました。「手話通訳をする聴者は不要なのか」と。私は「違う。ろう通訳はろう者だけがやるのではなく、聴者も協力しておこなうものだ」と主張しました。

ですが、当時、ろう通訳に関する情報は少なく、理解を得られずゴタゴタしてしまいました。2012年ごろのことです。

こういった状況では進みそうにないので、その時はろう通訳導入は諦めました。それより、日本手話についての理解がまだまだ広まっていないことを改めて思い知らされました。そこで、5年くらいかけて、日本手話に関する情報やポスターを、ろう学校の掲示板に提示し、情報発信をしてきました。ろう通訳についての資料を配ったり、ろう通訳をテーマにした講演会も開いたりしました。

■5年後に実現したろう通訳、コロナ禍でも活躍

このようにして少しずつ校内で日本手話やろう通訳についての理解が広まり、2018年度に赴任した校長先生のときに、ようやくろう通訳が実現したのです。

その校長先生はろう学校の勤務経験が長く、理解がありました。私は改めてろう通訳の必要性と実施を訴えました。「理解のある校長先生がいるうちに、ろう通訳をつけてほしい。そうすれば、次からろう通訳が付き、情報保障が確実になる」と。

すると、校長先生は「まさに今の時代、合理的配慮として必要なこと」と、認めてくれたのです。まだ抵抗感のある先生のいた職員会議でも、校長先生がきっぱりと「必要だ」と後押ししてくれ、承認されたのです。

2019年度から学校行事でろう通訳をつけるようになりました。担うのは私です。手話ニュースでの翻訳の経験も活かしながら、自己流ではありますが初めて取り組みました。この時、ろう通訳の勉強がもっと必要だと思い、手話教師センターにあるろう通訳者養成講座を受けて勉強し、今に至ります。

ーー手話教師センターのろう通訳者養成講座は、どのようなカリキュラムでしたか。

1時間半を一コマとして、35コマ受講しました。内容としては、通訳理論や翻訳の実践、模擬通訳など、通訳現場で必要な知識や技術を学びました。その時は、ろう者が8人、聴者が4人で一緒に受けました。聴者は、フィーダーとしての受講で、ペアで取り組むこともありました。

私の同期で、現在、アメリカ留学中の鈴木美彩さんも、ろう通訳として頑張って活躍しています。現在、ろう通訳者が増えてきています。また、東京オリンピック開催以降は、NHKを見たことがきっかけで、派遣依頼が増えたと聞いています。

埼玉県でもコロナの時は、教育長が子どもたちにあてたメッセージの発信を、私がろう通訳として担当しました。そのきっかけは先ほど話した、あの校長先生のおかげです。教育委員会から、校長先生に「手話通訳をつけたいので、手話ができる聴者の先生にお願いしたい」と連絡があったそうです。でも、校長先生は「ろうの子どもたちが見るので、ろう通訳が必要だ」と返しました。それで、私ともう1人の聴者の教員と一緒に通訳をすることができたのです。

少しずつではありますが、地域でも、ろう通訳がつくことが増えています。沖縄県などです。ろう通訳ではなく「リレー通訳」という名称になっています。聴者の通訳から、ろう者の通訳へリレーすることから付いた名前です。利用者は、手話通訳かリレー通訳のいずれかを選べます。テレビや講演、YouTubeでの発信、それぞれろう通訳がつくことが増えてきました。

ろう通訳の担い手を増やすには

ーーろう通訳という資格について、どのような課題があるのでしょうか?

ろう通訳の育成は、現在、手話教師センターが受け持っていますが、ろう通訳、フィーダーとも数が足りない状況です。私の地元の朝霞市では、主にろう高齢者が、ろう通訳を望んでいます。ですが制度化されておらず、できるのは私だけなので、もっと増やさないといけないと思います。

そのためには、新たな資格試験の創設というより既存の「手話通訳技能認定試験(手話通訳士試験)」をろう者も受けられるようにするのが近道だと思います。二次試験で音声を聞いて手話表出をする試験があるのですが、情報保障がなく音声のみなので、ろう者が受験できないのです。例えば、英検(実用英語技能検定)では、リスニングテストを音声でなく文字をモニターに映して受験できます。それと同様になると良いなと思います。

同時に、ろう通訳の質を高めるには資格化も必要です。ろう通訳を自己流で取り組む人が増えてきていますが、何か問題が起きたときに「ろう通訳だからだめなんだ」と非難され、逆に潰してしまう危険性があります。なので、手話教師センターできちんと学び、資格を取るという方法に変えれば、安心できるかと思います。

ーーろう通訳の普及について、どのような課題があるのでしょうか

ろう学校の中で、理解が得られず大変な思いをしたのは、先ほどお話したとおりです。一番大変だったのは、聴者の先生たちへの丁寧な説明でした。ろう通訳があると「聴者の自分は不要なのか」とマイナスな気持ちになりやすいです。また、聴通訳者も同じです。「手話通訳者の仕事がなくなってしまうのでは」という気持ちになるのです。そうではありません。聴者や手話通訳者にもメリットがあります。ろう通訳者と切磋琢磨することで通訳や翻訳の技術を高め合うことができるのです。

ろう通訳の資格化についても、ろう者と聴通訳者が共に必要性を訴え、声を大きくしていかなければならないのです。フィーダーという聴通訳者の役割も必要ですから、排除されるわけではありません。フィーダーとしての役割にも取り組んでほしいという意味です。

たとえば、コミュニティ通訳の場合に、ろう通訳者と聴通訳者が一緒に派遣されれば、利用者はろう同士という安心感を持ってコミュニケーションできます。これは聴通訳者にとっても安心できることです。でも、聴者の話を聞いて手話に通訳する聴通訳者も必要なので、聴者の手話通訳の仕事も変わらずに全うすることができるのです。

ろう通訳を学んでプラスになったこと

ーーろう通訳の学習のエピソードがあれば教えていただけますか

聴通訳者(聞こえる手話通訳者)とペアで取り組むのですが、そこから学ぶことも多くありました。特に翻訳の技術を多く学びました。「なるほど、このやり方があったのか!」と。翻訳技術が向上することで、通訳の技術向上にも繋がりました。逆に聴通訳者もろう通訳を見て、「すごく良い」と言われたこともあります。例えば、楽器の「ベース」を訳すときです。

聴者の場合は、ギターの手話に、片手を数字の4にして表出しますが、ろうの私の場合は、弾き方ですね。リズムも入れて動きを表出します。同じ「ベース」でも聴者は「4」という言語的な説明として表出し、ろう者は視覚で捉え、弾き方を表出する。その違いを学びました。自分の中にある通訳や翻訳の引き出しを増やしていくのは楽しいです。

また、通訳や翻訳をする際に、事前知識や勉強の必要性が身に染みてわかりました。ろう通訳の経験がなかったときは、聴者の手話通訳の立場や、仕事の大変さについて考えたこともなかったからです。ろう通訳を経験することで、手話通訳者を尊重することもできる。そんな学びがあるのも、ろう通訳の魅力なのではないかと思っています。ろう者は手話通訳を利用したときに、「さっきの手話が分からない」、「直したほうが良い」といったやりとりをして「通訳者を育てる」役割もあると思います。ろう通訳を経験すると、通訳する者の立場や気持ちを理解でき、アドバイスやサポートもできるのではないでしょうか。

逆に言うと、ろう通訳は言葉の引き出しを増やさないと苦労します。話を通じやすくするには、言葉を選び、別の言葉に言い換えをする作業が必要です。言葉を選ぶためには材料が必要です。ぴったりと合う言葉を思い浮かべ、提供することが必要ですが、材料の幅が狭いと、他の言葉に言い換えることもできません。引き出しを増やして経験を重ねていくことが必要ですね。

ーー今後の目標について教えてください。

自分の地元の朝霞市手話通訳等派遣事業に「ろう通訳(リレー通訳)」を加えることを目指して、4年前から取り組んでいます。埼玉県としての取り組みもまだまだの状態です。ぜひとも多くの方に、ろう通訳のこと、そして、ろう通訳の魅力を知ってほしいです。

ーー今日はありがとうございました。

itou

伊藤 芳浩 (NPO法人インフォメーションギャップバスター)

特定非営利活動法人インフォメーションギャップバスター理事長。コミュニケーション・情報バリアフリー分野のエバンジェリストとして活躍中。聞こえる人と聞こえにくい人・聞こえない人をつなぐ電話リレーサービスの公共インフラ化に尽力。長年にわたる先進的な取り組みを評価され、第6回糸賀一雄記念未来賞を受賞。講演は大学、企業、市民団体など、100件以上の実績あり。著書は『マイノリティ・マーケティング――少数者が社会を変える』(ちくま新書)など。執筆記事一覧

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