ドラマ「デフ・ヴォイス」で注目、ろう俳優の軌跡(後編)

前編では、2023年末にNHKドラマ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」で菅原吾朗役を演じて注目を浴びたろう俳優、那須英彰さんのこれまでの歩みを伺いました。那須さんは、現在、俳優業に加え、会社員、NHK手話ニュースキャスター、ろう者の歴史や手話の魅力を伝える講師としても活躍中です。

後編では、NPO法人インフォメーションギャップバスターの伊藤芳浩理事長が、ろう俳優としての表現の工夫や「デフ・ヴォイス」での演技について伺います。

前編はこちらから

ろう俳優の那須英彰さん(右)とインフォメーションギャップバスターの伊藤芳浩理事長

■手話の舞台芸術を身近なものに

ーー那須さんはこれまで、さまざまな舞台や映像作品に出演してこられました。手話での舞台芸術を誰もが楽しめるようにするためにどのような工夫をしていますか。

チャップリンの作品や、アニメ「トムとジェリー」を手話でゆっくりと分析しながら演じたことがあります。さまざまな映像作品を、VV(*1)にする作業はとても楽しく、聴者もろう者も関係なく、誰でも理解できる内容にしています。

先程お話したVVのことですけれど、例えば、鶏を表現する場合、手話だけでは分かりにくいこともあります。両手で「とさか」や、くちばしの下にある「ひだ」を表現すると、より理解しやすくなります。

現状では、テレビの世界で手話をメインとした舞台芸術を扱うことは少ないです。ろう者にとっての娯楽も必要だと思っていますのでそのような芸術的表現も増やしていければと願っています。

(*1) VV(Visual Vernacular、ビジュアル・ヴァーナキュラー)とは、手話を用いた視覚的な芸術表現です。これは言葉や文法に依存せず、身体の動き、手の形、表情を組み合わせて物語や情景を創造します。

■ろう者の視点から見た手話エンターテイメント

ーー手話を使ったエンターテイメントには様々なものがありますが、どのように受け止めていますか。

アメリカのコーダが英語や音声言語に頼らずに手話のみで表現したサインポエムには魅力を感じましたね。ある国のろう者が、手話でリズムを取りながら歌のように表現したのも魅力的でした。例えば、車を運転しながらリズムを取り、髪をなびかせる表現があったのですが、素晴らしかったです。文法的にも問題がなくVVに近い表現でした。

そのような表現がこなせる方々が日本にも増えればいいと思っています。私もVVをやっていますが、どちらかというと先程話したトムとジェリーのようなアクション的なVVが多いですね。また、手話でもの語りを語り伝える「ストーリーテリング」もやっていて、多くのろう者から好評を得ております。

■オーディション体験、ろう者俳優としての挑戦

ーー「デフ・ヴォイス」のオーディションを受けた時のことを教えてください。

私は、ろう者の役はろう者に演じてほしいという考えを持っています。聴者がろう者の役を演じることには反対の立場です。ですので、今回ろう者役のオーディションがあると知り、申し込みました。受かるか落ちるかに関わらず、オーディションを受けること自体に意義を感じました。台本を読み、役を想定して準備しました。セリフはゆっくり、繰り返し読み込んで覚えていきました。

オーディション本番では、これまで養ってきた演技を生かして演じました。「ろう者役にはろう者俳優を起用すべきだ」という気持ちで臨みました。

そして、合否の結果発表はアイスランドを旅行している時に、メールで届きました。結果を見た時はとても驚いたのを覚えています。2022年5月のことでした。

■演技の裏側: 「デフ・ヴォイス」での役作りのプロセス

ーー「デフ・ヴォイス」の中で、どのような役を演じられましたか。

私の役は、ろう学校に通った経験がなく、日本手話が通じないろう者「菅原吾朗」と決まりました。そういったろう者は、ホームサインといって身近な人とやりとりするためのサインのようなものを使います。役をいただいた時に、過去に出会った、ろう学校に行かなかったろう者の顔が鮮明に思い出されました。その方々と接触していく中で、彼らの環境、教育、心理等多くの新しい発見をしました。

ちなみに、学校に行っていないろう者の中には警戒感が強くよく癇癪をおこす方もいます。そういう方と接触して徐々に信頼を築きながら、交流を深めていきました。

また、ホームサインを使う人達は様々な事情で教育を受ける機会がなかったために周囲から低く見られがちで、自尊感情が持ちづらいとも言われています。実は、義母もそのような人で、ホームサインを使っていました。その親戚のいるろうコミュニティも訪れたことがあり、ホームサインや表情などについて学びました。ドラマ中のホームサインの「ばかじゃない」という表現も、そこから取り入れました。また、顔の表情は警戒心とでもいうような険しい雰囲気でした。その方々のホームサイン、表情、雰囲気を参考にしながら研究しました。

また、役作りの際は鏡を見て練習しました。どのような表情が良いかを工夫しながら臨みました。実際に鏡で練習した後、妻にホームサインについて確認しました。アドバイスを受けた後、本番に挑みました。

■ろう者自身がろう者を演じることの重要性

ーーろう者役をろう者が演じることの意義について教えていただけますか。

これまでに聴者の俳優がろう者役を演じることはありましたが、NMM(*2)が十分に演じることができないのが課題でした。ろう者には、それができるというところに意義があります。これは聴者にはなかなか難しいことです。したがって、ろう者役はろう者によるキャスティング(当事者表象(*3))が最も適していると思います。デフ・ヴォイスに出た多くのろう・難聴俳優は、それぞれの役を素晴らしく演じていたと思います。

(*2) Non-Manual Marker(非手指標識)の略。 手指以外の動き(口型、眉の動きや視線、顎の動き、体の傾きなど)で、 日本手話における文法的役割を持つ。

(*3) 特定の経験やアイデンティティを持つ個人や集団が、その経験やアイデンティティに基づいて自らを表現することを指します。当事者の表象は、より包括的で多様な社会を形成するために重要です。それは、異なるバックグラウンドや経験を持つ人々の声を高め、彼らの物語や視点が正確に表現されることを保障する手段として機能します。

■映像作品における当事者表象の重要性

ーーこれからのテレビに対して期待することはありますか。

ろう者の脚本家も出て、ろう者によって脚本が書かれると、さらに良いのではないかと思います。ろう者で日本語に精通している人は限られますので、ろう者が表現し、手話通訳者がそれを翻訳して書き起こす形式も良いかと思います。またはろう者と聴者が一緒になって脚本を作るのも新しい形のひとつだと期待しています。

ろう者が脚本を書けば、自然とろう者の役が増えるので、面白いのではないでしょうか。ただし、聴者がろう者役を演じることは、ろう者の職業選択を狭めたり、生きづらさを感じさせることにつながります。ろう者俳優が今後も俳優業で生計を立てられる環境を整えていく必要があります。

ろう者の子供たちが俳優を目指し、努力する姿を見せ、彼らに道しるべを示したいと思っています。カメラマンもろう者がチームに入ると良いでしょう。ろう者は視覚に頼る人たちなので、どのような構図が良いかよくわかっていますし、ぜひともその数を増やしていきたいと思います。時々フレームからろう者の表情や手話が外れてしまい、肝心な言葉が見えないこともあります。そこをろう者のカメラマンスタッフがアドバイス出来るともっとよりよいものが作れると思います。

■ろう児の将来の夢に俳優を

ーー今後、ろう者が育っていく、生きていくために必要なことは何でしょうか。

これからは表現力が求められています。ろうの子供が手話表現力を磨く場を作る必要があると思います。例えば、歌舞伎俳優は幼少時から歌舞伎を習いますね。ろう学校で演劇があれば、そこでの活動も良いでしょう。近いうちにろう学校で演劇の指導を行う予定です。ろう児が、将来、仕事に就くときに「俳優という選択肢がある」と思えるようなロールモデルに、私がなれたらと思います。

ーー那須さんの今後の目標について教えてください。

感動ストーリーではなく、サスペンスの犯人役や、インディ・ジョーンズのようなアクション映画に挑戦したいですね。幅広い役を演じ、ろう者でも主役を務められることを証明したいですね。ろう者をキャスティングしたドラマはこれまでもありましたが、俳優として聴者と対等な扱いを受けたのは「デフ・ヴォイス」が初めてではないかと思います。対等な立場で作られたものが一番良いと思います。

ーー「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」には、聴覚障害を持つ当事者が多数出演しました。これは大変画期的なことであり、私自身、視聴しながら深い感動を覚えました。今回、那須さんにインタビューをする機会を得て、演技に対する思いや役作りの苦労などを伺いました。ろう俳優が今後ますます活躍することへの明るい希望が持てる素晴らしい時間となりました。ありがとうございました。

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」に聴覚障害を持つ当事者が多数出演した流れについては、下記のブログにまとめていますので、関心のある方は是非ともご覧ください。

▷「デフ・ヴォイス」のすごかったところとは:手話ドラマにおける当事者表象の変遷
https://note.com/besus/n/n01d641373e6d

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伊藤 芳浩 (NPO法人インフォメーションギャップバスター)

特定非営利活動法人インフォメーションギャップバスター理事長。コミュニケーション・情報バリアフリー分野のエバンジェリストとして活躍中。聞こえる人と聞こえにくい人・聞こえない人をつなぐ電話リレーサービスの公共インフラ化に尽力。長年にわたる先進的な取り組みを評価され、第6回糸賀一雄記念未来賞を受賞。講演は大学、企業、市民団体など、100件以上の実績あり。著書は『マイノリティ・マーケティング――少数者が社会を変える』(ちくま新書)など。執筆記事一覧

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