記事のポイント
- 日本の温室効果ガス排出削減目標を決める政府の合同会議が2024年12月24日に終わった
- 政府案は、パブリックコメントを経て、1月に閣議決定される
- 「2035年に2013年度比60%減」を貫く政府案の問題点を気候専門家に聞いた
■揺れるGHG目標(4)
2035年までの温室効果ガス(GHG)削減目標(NDC:国別削減目標)に関する有識者会議(以下「審議会」)が2024年12月24日に終了した。審議会では、意見が割れたが、事務局を務める環境省と経済産業省は政府案「2035年に排出量を2013年度比で60%減」を貫いた。日本政府はパブリックコメントを経て2025年1月に閣議決定し、2月にNDCを国連に提出する予定だ。政府案はどこが問題なのか。気候変動の影響を受ける国民は静観するしかないのか。気候政策シンクタンクのクライメート・インテグレートの平田仁子代表理事に聞いた。(オルタナ副編集長=北村佳代子、オルタナ編集部=松田大輔)
平田 仁子(ひらた きみこ)氏:
クライメート・インテグレート代表理事。出版社、米国の環境団体の経験を経て、1998年から2021年までNPO法人気候ネットワークに勤務。国連の気候変動交渉(COP)や気候・エネルギー政策に関する分析や情報発信などで20年以上の経験を有する。2021年には「ゴールドマン環境賞」受賞(日本人3人目、女性初)。2022年には英BBCの「100人の女性」に選出。2024には、「クライメート・ブレークスルー賞」受賞。ファクトに基づく情報提供や各ステークホルダーの脱炭素への取り組みを支援する。千葉商科大学大学院客員准教授。市川市環境施策推進参与。
■安定した気候で地球を維持できる最後のチャンスか
「地球温暖化は怖い」と心配する国民はたくさんいる。しかし、政策決定プロセスに一人ひとりが関われることを知らない人は多い。
私たちは、「政府が決めたことは受け止めるしかない」という風潮の中で育ってきた。私たちの生活に大きな影響を与える気候変動対策についても、政府が決めることと思いがちであり、実際、国民は蚊帳の外に置かれたまま、審議が進んでいる。
各国政府が国連に提出する2035年までの排出削減目標(NDC)は、人類が1.5℃の気温上昇にとどめ、安定した気候で地球を維持することのできる、最後のチャンスになるかもしれない目標だ。
だが、NDCや、日本の電源構成などを決める次期エネルギー基本計画(エネ基)の策定プロセスは、政府に立場の近い研究機関が圧倒的な影響力を持つ形で進んできた。
■審議会は「アリバイ作り」の印象が否めない
日本政府は2024年11月25日、政府案「2035年度に2013年度比60%削減」を唐突に発表した。これに対し、「これでは1.5℃目標に整合しない」「より野心的な目標を目指すべきだ」と、複数の審議会委員に加え、産業界、若者らなど、各方面から声が上がった。
「決め方」についても、「結論ありきの予定調和だ」との批判が出た。最後の3日間の審議会は、時間を延長したり双方向の議論をしたりと変化も見られた。議論のあり方を変えた点では、一つの風穴を開けたといえる。
しかし審議会最終日の12月24日、意見が割れたまま終わったにもかかわらず、政府は、当初の案を貫いたまま、次のステップに進め、閣僚会議で案を了承した。
政府案に異議を唱え、活発な議論を行った終盤のプロセスは、単なる「ガス抜き」で、環境省・経産省側の「アリバイ作り」の印象が否めない。
■政府案は、どこが問題なのか
世界の科学者らで構成する気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、気温上昇を50%の確率で1.5℃に抑えられる値の範囲を示す。それによると、世界全体の2035年の中央値は「2019年度比で60%削減」、日本の基準年である2013年度比では66%の削減が必要だ。
IPCCが、この数値を発表したのは2021年だ。2020年のまでの排出量をベースとしており、当時、世界が温暖化を1.5℃以内に抑えるためには、あと5000億トンの排出が許されていた。
しかし、炭素予算(カーボンバジェット)は、最新のUNEP(国連環境計画)の報告では2000億トンにまで減っている。2023年の世界の排出量は単年で500億トンとあり、このペースではわずか4年でバジェットを使い切ってしまう。
これだけ厳しい状況にあるのに、政府案は、世界目標の中央値を下回る、野心を欠く目標を掲げている。
もう一つ、審議会で論点となったのは、政府案が「オーバーシュート」を許容するシナリオで作っていることだ。オーバーシュートは、「目標地点が過ぎた状態」を意味する言葉で、パリ協定で目指す「1.5℃」以上、気温が上がった状態を指す。
政府案のベースを作った経産省の外郭団体・公益財団法人地球環境産業技術研究機構(RITE、京都府木津川市)は、審議会で「日本がオーバーシュートしない前提で目標を策定しても、排出量がもっと大きい米国や中国、インドの目標が野心的にならない限り、世界全体ではオーバーシュートしてしまう」と説明した。
世界全体の排出量をさらに抑えない限り、オーバーシュートしてしまうのは事実だ。だが、「1.5℃目標」の達成が秒読みで遠のきつつある中、むしろより安全側に立って対策を強化すべきところを、他国を理由に、日本が緩い目標に甘んじて良い理由にはならない。
むしろ今こそ、先進国の責任として、さらなる削減努力が必要だ。
世界の排出量と気候変動対策を追跡する国際環境NGOのクライメート・アクション・トラッカーは、日本の目標が1.5℃目標と整合するには、「2013年度比で78%の削減」が必要だと提示する。
世界に責任を果たす目標として、これに近い水準で、最低でも66%を下回らない水準で設定されることが必須である。
■科学に基づく気候目標を掲げ、議論を尽くした気候政策を
政府はなぜ、RITEのシナリオや意見ばかりを取り上げるのだろうか。バランスを欠く情報提供には疑問を覚える。
また政府からは、カーボンバジェットの現状をどう捉え、世界における日本の責任をどう考えるのかの説明がないことなども、不透明さを否めない。
気候変動への対応には、常に最新の科学を取り入れて対応しないといけない。その機能を持たない現状の政府の組織や機能、システムには大きな課題がある。
気候目標の策定には、最新の科学に基づき、残余カーボンバジェットを使い切ってしまわないよう、時間軸をにらみながら専門家からの助言を得て検討することが不可欠だ。
一方で、目標の実現に向けてどういう対策や政策を取るべきかについての議論が大きく欠如していることにも、問題を提起したい。カーボンプライシングのあり方や、再エネ促進策、石炭火力の段階的全廃、住宅や建築物の規制の強化といった施策の裏付けがないまま、数字の議論だけが行われていることは、極めて心許ない。
また、日本はG7の一員として、「1.5℃目標への整合」「石炭火力の早期(2030年代前半)での段階的廃止」「2035年までの電力システムの脱炭素化」を約束したが、エネ基の掲げる2040年の発電構成案は、再エネ4~5割、火力3~4割、原子力2割だ。
なかでも、風力発電の割合は4~8%止まりで、下限の数値にとどまれば、2030年と同水準でしかない。島国・日本でポテンシャルの高い洋上風力で新たな産業を興すチャンスをつかもうとしないことは、不思議ですらある。
原子力についても、全く国民との間で議論が行われることなく、「原発への依存度を低減する」という方針の削除がいとも簡単に決められていくことについて大きな問題意識を持っている。
■政治のリーダーシップの欠如と、誰も責任を取らない政策決定システム
これだけ厳しい現実が迫り、若い人たちの未来が奪われることになるかもしれないというギリギリの時に、野心的な目標を打ち出そうと力を尽くすことこそが今、求められている。
NDCの政府案は、1月26日までパブリックコメントを受け付け、最終的には石破首相の下、温暖化に関する国の最高意思決定機関である地球温暖化対策推進本部が決める。
ところが、案を取りまとめた際の同本部会議の開催はわずか10分であった。ここに、気候変動に対する政治のリーダーシップが存在しない残念な状況が浮き彫りになっている。
この重大な責任を伴う意思決定は、誰がどのように行ったのか。政府の中の責任の所在があいまいで、結果的に誰も責任を取らない日本の政策決定システムの弊害は大きい。
■今こそ、国民を巻き込んだ開かれた議論を尽くすとき
パブリックコメントを経て、政府は2月の国連への提出を目指している。だが、多くの論点は、国民からも意見が上がってくるだろう。
期限を守ろうとするあまりに、議論を拙速に切り上げるのではなく、重要な決定だからこそ、提出を引き延ばしてでも、最終決定前に、国民を巻き込んだ開かれた議論を尽くすべきではないだろうか。(談)