
東京電力の福島原発事故をきっかけに、島田雅美さん(69)が九州電力大分支社前で始めた脱原発要請行動が、1月13日に2000日目を迎えた。島田さんは、九電社長宛ての通算2001通目の抗議文で「熊本地震や桜島の噴火があり、いまだに福島原発事故が収束しない中で、なぜ原子力事業に力を入れるのか理解できません。せめて社長や役員が直接、私たちに丁寧に説明してほしい」と求めた。(在欧環境ジャーナリスト=川崎陽子)
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故のとき、英語塾を開いていた島田さんは、原発の問題に関心をもった。しかし、身近な問題として取り組んだのは、2011年に福島原発事故が起きてからだ。クリスチャンとして被災者のための人道活動をしていた際に、九州まで避難して来た人々の声を聴いて、「原発事故は、他の事故とは全く違って人間の手には負えない。故郷に戻れなくなる破壊なんだ」と強烈に実感した。
「知った以上は動かないわけにはいかない」と思い、九州電力本社(福岡市)前の抗議行動に3日間参加した。その後「福岡までは毎日通えないが、大分支社の前でならできる」と、2011年7月4日からプラカードを持って立つことにした。
毎日朝と夕方1時間ずつ、通行人と車に向かって黙って頭を下げる。日中は九電社長宛ての抗議文を書き、夕方窓口の社員に手渡す。株主総会に出るために九電の株主にもなった。
今では10人のメンバーが毎日の行動を共にしてくれる。2000日目には、特別に8時から16時半まで17人が交代で立った。加わった人たちの動機は「島田さんを見て思うだけでなく行動しなければと始めた」、「2012年の大飯原発再稼働にまさかと驚いたから」など、さまざまだ。「余った命をここで使わせてもらっている」と語る最年長でがんの治療中の山片勉さん(72)は、4年半前から片道1時間かけて自転車で通っている。
立ち始めた当初は嫌がらせもあったが、今では「毎日ご苦労様です」「尊敬します」「ありがとうございます」と、通りがかりの人々が声をかけてくれ、「受け入れられていることが実感できる」と島田さん。
一方、毎日欠かさず九電の社長に届けてきた2000通を超える脱原発の要請は、いまだに受け入れられていない。九電が原発から撤退する日まで、島田さんたちの静かな抗議行動は続くだろう。