「志」を求める若者たち(2) 第三世界の窮状、仲間に伝えたい

今回取り上げたのは、東京大学の学生が中心になって編集・発行しているフリーペーパー「vista」。創刊は、オルタナとほぼ同じ、 昨春だ。雑誌のつくりや文章はまだまだ荒いが、彼らの熱気はひしひしと伝わってくる。なかなか、やるじゃないか。一体、どんな奴らが作っているのだろう と、会って話を聞いた。

vista: 貧困や環境問題をテーマにしたフリーペーパー

  • 岩田貴文(20) 東京大学工学部社会基盤学科国際プロジェクトコース3年
  • 井上朋美(21) 東京大学教養学部総合社会科学科国際関係論分科3年
  • 芳賀彩花(19) 東京大学教養学部文科3類2年

本誌オルタナ8号p54からの続き

――雑誌を作るためにはレイアウトなどのノウハウがいると思いますが、それはどうしたのですか。

岩田 ノウハウは全くなかったです。それで、他の雑誌を研究して見よう見まねで作りました。今考えると、創刊号は恥ずかしくて見せられないですね (笑)。

――進歩したということですね。発足が12月、発行は5月ということですが、取材はいつごろ行いましたか?

岩田 3月20―30日に5人全員でインド(デリー~ムンバイ~デリー)に取材に行きました。基本的には、5人で行動していましたが、取材のときは 「貧困班(山敷・岩田)」と「環境班(永井・門池・須原)」に分かれて行動しました。
全員で取材したのが、アジア最大のスラムといわれるダラビスラム(ムンバイ)。貧困班は、NGO(名称:AKANKSHA)によるストリートチルドレン教 育の現場や、ムンバイから車で約3時間の農村、チャイルドラインの事務所、MESCOというNGOの事務所、ストリートチルドレン保護施設を見学しまし た。
環境班は、日本の排出基準を守って、環境技術協力も行っている日系企業(ミンダリカ、東海理化電機製作所と現地企業の合弁会社)やJETRO、日本大使 館、現地の新聞社などを取材しました。

――記事を書くのは初めてでしたか?

岩田 全員が初めてでした。まず、書くだけ書いてみて、みんなで意見を出し合って完成させました。

――なにが一番大変でしたか?

岩田 創刊号では、雑誌の体裁にすることが大変でした。

――誰かに指導してもらったりはしましたか?

岩田 しなかったですね。今考えればすればよかったですが、当時はいっぱいいっぱいで。

――実際に出来上がった創刊号を手に取ったときはどう思いましたか?

岩田 「やれば本当にできるんだな」と思いました。強引にメンバーを勧誘したときは「できるから。できるから。」と言っていたのですが、自分自身、 半信半疑だったと思います。実は、インドへ出発する時点では、協賛は1社が積極的な返事をくれていたくらいで、確定はゼロでした。最悪の場合、取材を完全 に自腹で行って、発行はできないという形になるのかもしれないなと思っていました。

――経費はどれくらいかかったのですか?

岩田 印刷費が約25万円、郵送費が約3万円、雑費が約3万円でした。加えて、取材の渡航費や滞在費がかかりました。協賛金が35万円集まりました ので、渡航費の補てんは一人1万円ほどでした。

――協賛金35万円の構成は?

岩田 ロゴ掲載だけの協賛に2社、さらに、協賛企業向けフリースペース(記事風広告)とロゴ掲載の協賛に2社、計4社の協賛をいただきました。

――営業はどのように行ったのですか?

岩田 営業リーダーの門池を中心に、全員で企業に交渉に行きました。特に、僕と門池は営業に専念していたので、記事を書きませんでした。

――では記事は誰が書いたのですか?

岩田 貧困コンテンツは山敷が、環境コンテンツは永井が、サブコンテンツは須原が書きました。サブコンテンツは大学生が気軽に読めるようなコーナー です。

――雑誌をやろうと思う人は、書きたい人が多いと思うのですが。

岩田 僕は本当に文章を書くのが苦手なんです。内心、記事書いてと頼まれたら困るなと思ってました(笑) 。

――でも、雑誌づくりはしたかったということですね。

岩田 そうですね 。

――プロデューサーのようなことがしたかったのですね。案外、そういう人が取りまとめをしたほうがうまくいくのでしょうね。書き手が書きたいこと と、読み手が読みたいことは違うかもしれませんし。でも、編集責任者みたいな人は必要ですね。

岩田 vistaでは全員が何かの担当者という形態をとっていました。最低限、各自が果たすべき責任を決め、その代わりに、各自がその担当について 決定権をもつという仕組みでした。ですので、貧困関連の記事は山敷が、環境関連の記事は永井が、サブコンテンツは須原がそれぞれの編集長的な役割を担って いました。

――そうして決めた組織体系はうまくいきましたか。

岩田 各自がどんどんイニシアティブをもって進めていってくれるという点では、代表としては楽でした。ただ、一人がサボってしまうと全然進まなく なったり、記事の内容やデザインを、他のメンバーの意見を取り入れてより良いものにしようという流れが起こらなかったりしました 。

――vistaはどれくらいの発行頻度で発行していますか。

井上 年に2回で、今年の5月に3号、11月頃に4号を発行予定です。今は、3号の最終の編集作業を行っています 。

――3号のテーマは何にする予定でしょうか。

芳賀 今回はメキシコとタイを取り上げました。メキシコは経済発展が著しく、そのことについては報道されたりすると思うのですが、そのなかで取り残 された人たちについてはあまり知られていないと思ったので、そこを取り上げたいと思いました。また、メキシコはさほど日本人になじみの薄い国であると思っ たので、日本の身近にある東南アジアのタイを取り上げました。

――メキシコではどこにいきましたか。

芳賀 主にメキシコシティに行きました。オイヤパンというクエルナバカからさらに車に1時間半ほどの場所で、火山のふもとの先住民の村でした。

――メキシコ市にはストリートチルドレンが結構いたのでは。

芳賀 はい、ストリートチルドレンが今回のメインのテーマでした。

――メキシコの記事の見出しはどういう風になりそうですか。

芳賀 発展に取り残された人々ということで、ストリートチルドレンや先住民、スラムの人々などを取り上げました。

――タイの取材はどういう内容でしたか。

芳賀 人身売買を取り上げました。女性メンバーの2人がどうしてもそれを取り上げたいということだったので。

――取材は誰が行ったのですか。

井上 メキシコへは女性3人(芳賀・井上含む)と男性2人、タイへは女性2名が取材に行きました。今回も全員で取材しました。

――旅費は高かったのではないですか。

井上 タイはさほどではなかったようでした。メキシコは航空券が高かったのですが、現地での滞在費は安かったです。一泊1,000円の宿に5人全員 で1部屋に泊まったりしました(笑)。

――現在の組織構成はどうなっていますか。

井上 私が代表をしておりまして、私含め全員で7人います。

――ということは、3号のメンバーは2号の時と比べてガラリと入れ替わったということですね。2号のメンバーはどうでしたか。

岩田 2号では9人のメンバーで行い、中国とカンボジアを取り上げました。ただ、創刊メンバーの永井が諸事情で活動できなかったので、実質8名で 行っていました。創刊のメンバーが関わったのはこの第2号まででした 。

――代替わりをしたということですが、なぜ譲ったのですか?

岩田 第2号になってメンバーが4人増えたのですが、組織を引っ張っていっているのは相変わらずほとんど創刊メンバーでした。ですので、このままで は彼らは主体性を持ってやってはくれないな、と思いました。役職が人を育てるのではないかという考えのもと、彼らを主体に、彼らの責任でやらせてみたいな と思ったので、引き継ごうと思いました 。

――岩田君が第3号でもう関わらなくなって、寂しいのではないですか。

岩田 たしかに、寂しいですね 。

――2回で離れるのは早すぎるのではないかと思いました。また、雑誌は継続的に出版することが大事なので、代替わりが早いという印象がありますね。

岩田 実は今、もう一度組織をきちんと考え直していて、記事を編集する人たちは変わっても、ノウハウを伝えていく仕組みを作りたいと思っています。

――例えば、発行人は岩田君が2年くらいやって、編集長以下はどんどん変わっていくだとか。もしくは、ボードメンバーのような形で先輩たちが残っ てアドバイスをして、後輩たちが記事を書いていくという形も考えられますね。

岩田 まさにそのような組織に第4号開始までに変えていけたらなと考えています。3号の間も相談を受けたりしていて、関係は残っていたので。

――第3号では予算はどれくらいですか?

井上 取材の渡航費を除いて80万円弱です。

――ページ数はどうですか。

井上24ページです。第2号から24ページになりました。さらに、第3号からは、株式会社久栄社という会社にお願いして、印刷を環境に配慮した印刷 に変えました。水なし印刷という印刷方法です。従来の印刷では大量に水を消費して、さらに汚染物質を含む現像廃液を大量に出していたのですが、水なし印刷 ではそれらを大幅に削減できます。インクは大豆油インキ、また大豆油インキの大豆油含有率は20%―40%ですがこれをほぼ100%にしたNon-VOC インキが使われています。紙はエコ間伐紙やケナフや麻などを使った非木材紙、無塩素漂白紙などで、さらにホットメルトという無公害で省エネルギー型の接着 剤も使っています。

――コストは上がったのではないですか。

井上 はい。ただ協賛も前回より増えましたので、かなり楽になりました。ただ、全員の渡航費までは出せそうにないのですが。

――渡航費はいくらくらい補てんできそうですか。

井上 まだ配布があるので、正確な数字は分からないのです。

――今回の第3号の記事は誰が書いたのですか?

芳賀 私が記事の全体のとりまとめを行いながら、今回は7人全員が分担して記事を書きました。

――営業は誰が担当したのですか?

井上 佐々木がリーダーとなって、全員がメールを送ったり、企業に直接交渉にいったりしました。

――設置箇所は主に大学ですか?

井上 そうですね、大学については今回も全国の86大学に設置予定なのですが、今回は第2号から始めた学生団体への配布を強化していけないかと考え ています。

――第4号以降のスケジュールは決まっていますか。

岩田 歴代のメンバーで管理部のようなものを作っていく案がありまして、組織をどうするかが決まってからになると思います。

――井上さん、芳賀さんはこれからもvistaを続けていきたいと考えていますか。

芳賀 次もやりたいと思っています。
井上 私は第2~3号をやってきているので、今度は後ろから支える立場で、新しいメンバーにやらせていきたいと思います。

――vistaをやっていて、最も嬉しかったことと辛かったことは何でしたか?

岩田 須原とはもともとあまり深い仲ではなく、勧誘したのもたまたま人が欲しいと思っていたときに電車で会ったからでした。この企画を始めるにあ たって、彼が一番加入を渋っていたのですが、実際に始めてみると、彼が一番よく働いてくれました。そして、創刊号の発行後の反省会のときに、彼が vistaをやって本当によかったと言ってくれたことが、一番嬉しかったですね。そこで、これを続けていきたいなと思うようになりました。
辛かったことは、会議の遅刻や〆切遅れに対して、何度も怒らなければならなかったことです。

井上 第2号を発行した後に、読者の方からわざわざホームページに載っているアドレス宛に、メールをいただいたことが嬉しかったです。名指しで「井 上さんの記事が印象的でした」と誉めていただいたこともあって、それは特に嬉しかったです。辛かったことは、遅刻を怒ったりなど、言いたくないことを言わ なくてはならなかったことです。

芳賀 私はまだ発行に立ち会ってないのですが、普通なら行けないところに行って取材できたことが一番嬉しかったです。スラムなどに行って、日本人だ と一見危ないのではないかと思うような人と普通に仲良くなり、写真を撮ったりしたことがすごく楽しかったです。
辛かったこととしては、メキシコではスペイン語しか通じなかったということもあり、ストリートチルドレンの子に直接取材することが難しかったのです。それ で、工藤律子さん(日本在住)というストリートチルドレンについて本などを出しているジャーナリストの方に記事の添削などをお願いしたときに、「臨場感が 伝わってこない。これだったら私の本を読んで記事を書いたのとあまり変わらないのでは」と厳しい意見を頂きました。自分では伝えたいことがあるのに、記事 として出来上がったらあまり面白みのないものに仕上がっているのではないかと思い、辛かったです。

――結果的には、ストリートチルドレンからは取材は出来なかったのですか?

芳賀 施設にいる子に取材することは出来たのですが、本当に道端にいるような子にはなかなか取材することが出来なかったです。

――3人は将来何になりたいのですか。または将来何をやりたいですか。

井上 どのようなアプローチをしていくかはわからないのですが、途上国の教育支援に関わっていきたいと思っています。

――井上さんはRoom to Readを知っていますか。マイクロソフトの幹部社員をやめて、途上国の教育を支援するNGOをつくった人です。オルタナの第6号に載っているので、是非 読んでください。

――岩田君は何になりたいのですか?

岩田 今の僕の専門は、ODAのように、開発途上国で社会基盤(土木)の整備をすることです。将来は、開発支援と環境問題の両立をしたいと考えてい ます。

――持続的な開発ですね。それは、どこかの会社に入ってですか。

岩田 そうですね、まずはどこかに就職したいですね。

――芳賀さんは?

芳賀 私はまだ悩んでいますが、起業したいと思っています。特に分野は決まっていないのですが、心理学に興味があるので、コーチングなどをやってみ たいです。あと大豆の会社をアメリカで経営したいです。豆腐などの日本の大豆製品が好きだからというのもあるのですが。アメリカは大豆の生産高第1位にも かかわらず、ほとんどが飼料用になっていて、それを豆腐などに変えて販売したいです。

――海外でも枝豆などが流行っているそうですね。

芳賀 肥満の方が多いので日本食がブームみたいですね。あと、国際問題にも興味があるので、ジャーナリストにもなりたいです。

――起業したいというのは、両親が経営者か何かだからですか。

芳賀 両親は医者で、高2まで医者になるつもりだったのですが、何か違うなと思い、文転しました。起業したいと思ったのは、自分で動かしていきたい と思っているからです。会社の中では、やはりまだ女性が進出できていないのが現状だと思います。バイト先の料亭でも会社の接待で来るお客さんはみな男性で す。女性の起業家の方にお話しを聞いても、会社に入ってしまうと女としてしか扱われないけども、起業すれば一人の人間として扱ってくれるとおっしゃってい ました。

――お話を聞いた女性の起業家とはどういう方ですか。

芳賀 「女性起業家交流会」という会で知り合った女性社長の方々です。他にも、小室淑恵さんという方のお話しにも感銘を受けました。彼女は資生堂の 社員だった時にeラーニングによる育児休業者の職場復帰支援サービス「wiwiw」を立ち上げて成功し、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2004」に選 ばれました。その後、株式会社ワークライフバランスを立ち上げ、女性の仕事とプライベートの両立を支援しています。

――ところで、編集作業はどこでしているのですか。

井上 それぞれの自宅です。会議は、大学のフリースペースやミスタードーナッツやマクドナルドでノートパソコンを持ち寄って集まっています。

――なにか悩みはありますか。

井上 締め切りに対する意識が低いことが一つです。あと、各自がリーダーであるという意識をもっと持って欲しいです。また、喜ぶべきことなのかもし れませんが、「いいものをつくろう」という思いは同じはずなのにメンバー同士すれ違うことも多く、辛くなることもあります。

――それぞれの役割分担は?

井上 私が全体統括、佐々木が渉外担当、あと広報担当がいます。

――広報と渉外はどう違うのですか?

井上 渉外は企業から協賛を集める役割で、広報は今後行われる予定のイベントを仕切る役をしたり、他の学生団体のイベントに参加してvistaをア ピールしに行ったりします。実際に、聖心大学で3月に行われた「One Step For Tomorrow」という、若者の可能性を探る学生イベントに参加しました。

――オルタナの「Hungry for Mission」とテーマが似ていますね。「Hungry for Mission」 も元気な若者同士がお互い知り合って、より大きなムーブメントになればという意図でやっています。

――vistaを将来どのようにしたいと思っていますか。

岩田 取材に行った人がvistaをステップとして成長してくれたらうれしいと思います。あと、もっと認知度を上げたいです。

――それには発行頻度が重要かもしれませんね。オルタナは隔月ですが、それでもまだ少ないと思っていて、月刊化したいのです。

岩田 一度vistaも管理組織をつくって、その下に複数の編集部を持つといいかもしれませんね。

――いろんな大学の人に記事を書いてもらうのもいいかもしれませんね。

岩田 実は、第2号からそのようなことを試みておりまして、面白いお話を投稿してもらっています。ただ、まだ投稿者がメンバーの知り合いが中心です ので、もっと不特定多数の声を集またいと思います。

井上 私は部数を増やしたい。認知度と反応がほしいです。大学に設置しても、送りっぱなしで受け取ってもらえているかを把握できていないので、受け取って もらえる人の数を増やしたいです。

――今までの発行部数と印刷費はどのようでしたか?

井上 創刊号が、1万部で約25万円、第2号が1万5千部で約42万円、第3号も1万5千部で約62万円でした。ただ、今回は印刷会社さんのほうが 協賛を出していただけるとのことでしたので、もう少し安くなりました。

芳賀 私はコンテンツリーダーという立場で、メキシコとタイの全ての記事を仕切っていたのですが、あまり記事に対してみんなが意見を出し合う仕組みを作れ なかったことが反省点です。あと、記事の内容については先ほども申し上げた通り、臨場感に欠けていたと思うので、もっとクオリティをあげていきたいと思っ ています。

――第4号以降の取材先などは、未定ですか?

岩田 そうですね、基本的に取材するメンバーが決まってから、その人たち自身で話し合って決めることにしています。

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