「#Me Too」の世界的ムーブメントや、日本でおこった職場でのハイヒール・パンプス着用義務付けに抗議する「#Ku Too」運動など、近年日本でもフェミニズムが盛り上がりをみせている。しかし一方でSNSを中心にジェンダーに関連した論争が数多く巻き起こっている。そこにはフェミニズムに対する誤解やネガティブなイメージ、SNSの存在などさまざまな要因が複合的に絡み合っている。しかし、その中でもフェミニズムについて正しい理解が広まっていくことがまず必要だと感じる。そこでフェミニズムについて、歴史や用語、近年の事例や背景にある社会情勢などをみていき、いま改めてフェミニズムとは何かを考えていきたい。(伊藤 恵・サステナビリティ・プランナー)
■フェミニズムとは?フェミニストとは?
フェミニズムの定義は、国によって解釈が多様で時代ごとでも捉えられ方が大きく異なる。言葉自体の意味としては一般に女権拡張主義、女性尊重主義と訳される。そこから、女性がジェンダーによって受ける不当な扱いに対して声をあげることや、運動をとおして男女同権の社会を目指すこととして解釈されている。
そしてフェミニズムの担い手であるフェミニストについては、どんなイメージがもたれているだろうか?「フェミニスト=男性嫌い」というネガティブなイメージを持つ人も少なくないだろう。
このイメージのせいで、男性だけでなく、フェミニズムの盛り上がりを望む女性自身も自らをフェミニストと公言することをためらう人は多い。その傾向は日本だけでなく欧米でもみられ、あるイギリスでの調査※では「すべてにおいて男女は平等に扱われるべきだ」と、81%が回答したのにも関わらず、「フェミニストである」と答えた人は27%しかいなかった。
実際はフェミニストの定義もまた多様で寛容であり、本来「フェミニスト=男性嫌い」ではない。ジェンダーに縛られることのない平等な権利を願う人であれば誰もがフェミニストであり、その中にはもちろん男性も含まれるのだ。
※YouGov:2018年
■フェミニズム史と4つの波
フェミニズムを正しく理解するためにまずはその歴史を振り返ってみたいと思う。フェミニズムは現在の盛り上がりを含め、これまでに4つの大きな波が起こっている。「第1波」は、19世紀末から20世紀前半にかけて欧米で起こった、参政権、相続権、財産権など公的な領域や法制度に対しての権利を求めた運動だ。
この運動により、政治や行政に女性が参加する権利を勝ち取っていった。「第2波」は1960年代後半から70年代前半にかけてアメリカを中心に起こった女性解放運動だ。
ウーマン・リブとも呼ばれ、1970年頃からは日本でも広がりをみせた。第1波で求めた女性の政治的権利のみならず、社会や経済、また性的な自己決定権を要求したのが特徴で、男性と同等の権利、女性の能力や役割の発展を目指す姿勢は現代のフェミニズムにもつながっている。
スローガンには”The personal is political”。つまり「個人的なことは、政治的なことである」と掲げられ、問題の根底は男性中心の社会や政治システムにあると主張した。
その後の「第3波」は、1980年代終わりから1990年代まで続いた。第3波の特徴は「インターセクショナリティ」と「ダイバーシティ」。差別について考える時、男性と女性という区分だけでなく、人種や宗教、性的指向、障害など、ひとりひとりの持つ属性により、差別の構造は多層的で交差しているという考え、「インターセクショナリティ」が登場した。
ダイバーシティという側面においては、フェミニスト自体の服装や行動の多様化が進んでいった。例えば、ミニスカートやハイヒールは男ウケを狙った社会に強いられた女らしさであるという従来の考え方に対して、第3波ではより個人の自由が尊重され、その人自身がしたい恰好をするのだという主張が強まっていった。
このような流れを受けて、ポップカルチャーからうまれたスターたちがフェミニストであることを公言するようになったのもこの時代からである。
■対立構造を強める第4波とエコーチェンバー現象
そして現在、2010年代からの第4波の特徴は、SNSの急拡大によるオンライン・アクティビズムだ。2018年に世界中でムーブメントとなった「#Me Too」運動もきっかけは、Twitterでの投稿だった。
しかし、オンライン・アクティビズムによって多くの人が運動への参加が容易になり、問題意識が共有されやすくなった一方で、論争や炎上が相次ぎ、今までよりも過激な印象を持たれてしまっているという側面もある。
その原因のひとつとして考えられているのが「エコーチェンバー現象」だ。エコーチェンバー現象とは、SNSで自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローし続けていくと、自分で発信した意見と似たような意見が返ってくるという状況になることを指す。
この中でコミュニケーションを繰り返すことによって、自分の意見は(たとえそれが間違っていたとしても)増幅・強化されていき、しばしば意見の異なる他者との対立を招いている。
ジェンダーをめぐる議論はこの構造の中で対立を深め、結果として本来とはかけ離れた意味でのフェミニズムが乱用され、多くの誤解をうんでしまっている。
本来フェミニズムは平等の権利を求めるものであって、決して他者を虐げたり、犠牲にしたりしたうえで成り立つものではない。いま必要なのは対立ではなく、本来のフェミニズムへの理解と、それに基づいた対話なのではないだろうか。