「午前0時過ぎ、7歳の私は姉と家を出た」(1/4)

児童養護施設出身のモデル田中麗華さんが12月6日、自身の生い立ちをまとめた著書『児童養護施設という私のおうち』(旬報社)を発売します。田中さんは7歳から18歳まで都内の児童養護施設で育ちました。現在は、モデル活動に加えて、ユーチューバーとして、親元を離れて暮らす子どもたちへの理解の輪を広げる活動を行っています。(オルタナS編集長=池田 真隆)

12月6日発売、200ページ、定価 1,600円(税抜)

著書では、施設で暮らすことになった経緯から施設内での日常、卒園後の苦悩などを赤裸々に明かしています。児童養護施設の存在は多くの人が認知していますが、実際に園内で子どもたちがどのように暮らしているのか理解している人は少ないでしょう。著書は、児童養護施設とそこで育つ子どもの全体像を知るための「入門書」です。

2018年に田中さんを取材したのですが、施設で暮らす子どもたちのことを「社会的弱者」と言う世の中に違和感があると強調していました。

「私たちのことを知らないから、施設出身者を一様に社会的弱者とまとめているのではないか。施設出身者だから、苦労したと決めつけていないか。それぞれ異なる境遇を育ってきたので、一人ひとりとしっかりと向き合い、話を聞いてほしい」と語っていたことが印象に残っています。

そんな、田中さんの著書の一部を先行公開します。

第1回は、「午前0時過ぎ、7歳の私は姉と家を出た」です。

田中 麗華著『児童養護施設という私のおうち』(旬報社)から一部抜粋

児童養護施設に入ったわけ

〇施設に入る前の生活

私が児童養護施設に入所したのは7歳。小学校2年生の4月です。
記憶がちょっと曖昧なのですが、東京都葛飾区の団地に、両親と3つ上の兄、4つ上の姉の家族5人で暮らしていました。

当時はもう、お父さんとお母さんの関係が悪くなっていて、夜中になると物を投げつける音とか、お母さんの「キャー!」っていう悲鳴が、隣の部屋で寝ている私たちに聞こえてくる日々でした。

私が襖を開けてのぞこうとしたら、お姉ちゃんに「やめときな」って止められた記憶も残っています。

そういうのがどれぐらい続いたかわからないのですが、ある日、お母さんが家を出て行ってしまいました。それ以降、お父さんの怒りの矛先がお兄ちゃんに向けられるようになります。

私が幼い頃は、まだ「体罰=しつけ」という時代だったこともあってか、叩かれたり、暴言を吐かれていました(2020年4月~体罰は法律で禁止されています)。

私とお姉ちゃんは叩かれなかったけど、お父さんはなにか気に食わないことがあると「出て行け」と怒鳴ることもありました。玄関のドアから出され、団地の廊下に立たされたこともありました。

そんななかで、施設に入所するきっかけになった出来事が起こります。お母さんがいなくなってからは、お姉ちゃんが率先して家事を担っていたんですが、ある日の晩、洗い物をしていたら、シンクの排水溝にお皿がポコンッて挟まっちゃったんです。すると、水道の水がブワーッとあふれてきてしまい、床やカーペットが水浸しに……。

仕事から帰ってきたお父さんが水浸しの部屋を見てすごく怒って、いつものように「出て行け」と大声で言いました。いつも通り「ああ、廊下に行くのかな」と思ったのですが、その日はなぜか、お姉ちゃんが私を連れて本当に家を出たんです。

私はパジャマ姿のまま、なにもわからずついて行ったのですが、お姉ちゃんは交番に駆け込んで、警察官に事情を話したようでした。

時刻は0時過ぎ。交番で保護された私たちは、タバコ臭い部屋で待機。そのあと交番から児童相談所に移動しました。私はよく覚えていないのですが、殺風景な部屋にベッドがあって、そこで2人で寝ました。私たちは一時保護されたのです。

M.Ikeda

池田 真隆 (オルタナS編集長)

株式会社オルタナ取締役、オルタナS編集長 1989年東京都生まれ。立教大学文学部卒業。 環境省「中小企業の環境経営のあり方検討会」委員、農林水産省「2027年国際園芸博覧会政府出展検討会」委員、「エコアクション21」オブザイヤー審査員、社会福祉HERO’S TOKYO 最終審査員、Jリーグ「シャレン!」審査委員など。

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