市場原理主義を超える「CSR」の潮流――田坂広志 オルタナティブ文明論 第10回

田坂広志(多摩大学大学院教授、シンクタンク・ソフィアバンク代表、社会起業家フォーラム代表)

 

前回、資本主義に「操作主義経済」から「複雑系経済」へのパラダイム転換が生じていることを述べた。

そして、この複雑系経済に処するには、「管理」でも「放任」でもない、第三の「自律」という方法、すなわち、企業の社会的責任(CSR)への自覚を高め、「自己規律」を強めていくことが重要であることを述べた。

しかし、残念ながら、この「CSR」の思想もまた、今回の経済危機を引き起こした「グローバル資本主義」の市場原理主義によって歪曲される傾向が生まれている。

それは、例えば、いま世の中で語られる、次の言葉に象徴されている。「CSRを重視しなければ、競争に生き残れない」「CSRを重視しなければ、株主から支持されない」。

これは、一見、正しいことを述べているように思われるが、実は、この論理には、極めて大きな落とし穴がある。なぜなら、この論理には、次のような、裏返しの意味が潜んでいるからである。

「競争に生き残れるなら、CSRは、やらなくてもよい」「株主から要求されなければ、CSRは、やらなくてもよい」。

すなわち、前者の議論は、必ず、その裏返しである、後者の議論に流されてしまう危うさが存在するのである。

では、これは、いかなる過ちか。本来、市場原理を超えたところにあるCSRを、市場原理の中に位置づける。その過ちである。

また、次の議論も、しばしば語られる。「CSRを重視すれば、優秀な人材が集まり、企業の長期的な利益になる」 「CSRを重視すれば、社会的評価が高まり、企業の長期的な利益になる」。

これもまた、同様の過ち。本来、利益追求とは別次元にあるCSRを、利益追求の文脈で位置づける、という過ちである。

では、なぜ、こうした議論が錯誤なのか。「倫理」とは、本来、「競争」や「利益」を超えたものだからである。

こう言って分かりにくければ、一人の人物を想像してみればよい。

例えば、ある人物が、「あなたは、なぜ、倫理を大切にするのですか」と聞かれて、「倫理を守らないと、競争に勝てないからです」と答えたとするならば、周りの人々は、この人物を、どう評価するだろうか。

また、「倫理を守れば、利益が得られるからです」と答えたとするならば、この人物を「魅力的な人物」と感じるだろうか。

このように、企業をめぐる倫理の問題は、人間をめぐる倫理の問題に置き換えてみれば、その論理の奇妙さが、よく分かる。

そもそも、「企業にとっての倫理」と「個人にとっての倫理」は、本来、同じ論理に基づくものでなければならない。なぜなら、「企業倫理」と名がついても、それを実行するのは、究極、「個人」だからである。

すなわち、その企業において、社長や経営陣、管理職や社員が、「個人」として、どのような「倫理観」を持っているかが、企業倫理、社会的責任、そして企業の自己規律に、極めて重要な影響を与えるのである。

では、どのようにすれば、企業で働く個人の倫理観を高めていくことができるのか。そのことを考えるとき、そこにも、日本型経営の優れた点を見出すことができる。

なぜなら、日本型経営においては、企業倫理は、昔から「身体化」されたものとして存在していたからである。

次回、そのことを語ろう。

*本記事は、2009年10月発行のオルタナ16号から転載しています。

Profile
たさか・ひろし 74年、東京大学卒業。81年、同大学院修了。工学博士。87年、米国バテル記念研究所客員研究員。90年、日本総合研究所の設立に参画。取締役を務める。00年、多摩大学大学院教授に就任。同年シンクタンク・ソフィアバンクを設立。代表に就任。
tasaka@sophiabank.co.jp www.sophiabank.co.jp

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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