もう一つの家族 (希代 準郎)

◆「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(45)

 銀行の仕事を終えた松山一樹は賑やかな表通りから細い路地に入り、アパートに帰ろうとしていた。今夜、1階の空き部屋にようやく待ちかねた入居者が来るというので歓迎会が用意されていたが、残業で少し遅れてしまった。心に引っかかることがあって欠席したかったがそうもいかなかった。
「遅いぞ、松ちゃん。毎日毎日、働き過ぎだよ。せっかく降角エミさんが入居した記念すべき夜だというのに」
 中央の車いすで屈託なく笑っているのがどうやら新しい入居者のようだ。降角という珍しい名前だからまさかとは思っていたが、悪い予感は的中した。ずいぶんきれいになっているが昔の面影がある。間違いなく小学校でいじめた、あのエミだ。
 既にアパートの住人は全員が顔をそろえている。福祉関係のNPOが健常者と障がい者の共同住宅「アナザー・ファミリー」を都心に建設したのは昨秋のことだ。土地が篤志家からの寄付だったため家賃が格安で入居希望者が殺到した。
 2階の4部屋に住む健常者は松山のほかは障害者イベントを手掛けているコックの山下、都庁福祉課職員の綾子、それと管理人を兼ねているNPOスタッフの真理だ。松山は大手銀行に勤務していることに加え、交通事故で半身不随の弟がいることが有利に働き、障がい者のよき理解者として入居できた経緯があった。
 1階の障がい者用4部屋は入居者決定に手間どった。「自分で身の回りのことができる」「働いている」という厳しめの条件を課したためもあるが、一番ネックになったのは実は障がい者の親だった。
 親が高齢の場合、障がいのある子どもがもらっている年金が生活の支えになっており、子どもを手放さないケースが多いのだ。すったもんだの挙句、アスペルガー症候群のタカシ、若年性アルツハイマーのユキオ。ダウン症のユカリ、そしてエミが入居することが決まった。
 エミについては、勤務先のIT企業からスウェーデンへ留学が終わりかけていたことから特例として帰国後の入居が認められていた。果たして、エミは昔の自分のことを覚えているだろうか。
「松ちゃん、あなたの今日の帰宅は午後7時と書いてあるよね」ユカリが玄関横のホワイトボードを指さす。そこに全員がその日の予定を書きこむことになっているのだ。
「松ちゃんのすっぽかしや遅刻は、ユキオの誕生日会、綾子さん主催の映画観賞会以来だね」とタカシのチェックが入る。

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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