連載: 「コンポストと循環経済に挑む女性たち」(2)
記事のポイント
- 江戸時代には、ごみのほとんど出ない循環社会が形成されていた
- 利便性を追求した生活が、生ごみを資源と捉えなくなった
- LFCは、コンポストの普及拡大に伴い、コミュニティガーデンの普及も図る
江戸時代の日本は、し尿や生ごみなどの有機物が農村で肥料として土に還り、ゴミのほとんど出ない循環社会を形成していた。しかし、利便性を追求する生活スタイルへと変化する過程で、生ごみの多くは「可燃ごみ」として廃棄されているのが現状だ。福岡のスタートアップ・ローカルフードサイクリング社(LFC)は、将来的に日本の全世帯30%がコンポストに取り組む姿を目指し、コミュニティガーデンの普及にも注力する。(オルタナ副編集長・北村佳代子)
■江戸時代の日本は循環社会
環境省が2008年に発行した「平成20年版 環境・循環型社会白書」は、「江戸時代の我が国の社会は、地域での活動を中心とした循環型の社会であったと考えられる」と記す。
同白書によると、稲作を基調とした社会システムの中で、し尿や生ごみなどの有機物が農村で肥料として土に還り、都市に残ることがなかったことから、江戸の都市は、世界に類を見ない衛生的な都市であったという。
ところが今、日本では、生ごみを「可燃ごみ」として廃棄することが多い。資源である生ごみを燃やし、二酸化炭素を排出しているのだ。しかも生ごみは、その8~9割が水分であるから、乾いたものよりも、余計にエネルギーをかけて燃やしている。
■なぜ日本で堆肥づくりが衰退していったのか
LFCのたいら由以子代表は、オルタナの取材に対し、日本でコンポストが広がらない理由を3つ挙げた。
一つは、利便性を追求した生活スタイルの変化だ。その結果、暮らしの中から「土」が分断され、資源のつながりが見えなくなり、生ごみは臭くて汚い廃棄物と認識されていった。
もう一つの理由は、資源である生ごみが、廃棄物として扱われていったことで、袋に入れておくと処理してくれるという便利な仕組みに変わり、可燃ごみとして廃棄することが「当たり前化」してしまったことである。
そして3つめの理由が、農業の効率化が求められ、手間が少ない化学肥料が普及していったことだ。
■全世帯の30%がコンポストを使う姿を目指して
LFCは大きな目標を描く。それは、さまざまなコンポストと協力しながら、日本の全世帯数の30%にあたる1450万世帯がコンポストに取り組んでいる姿だ。
その姿を実現するための課題として、たいら代表は、「コンポストに取り組んでいない層にどのようにアプローチしていくか」、「できあがった堆肥の使い道がない人にどのように堆肥を活用してもらうか」の2つを挙げる。
特に都市部では、作った堆肥を活用できるかどうかがユーザーのコンポスト継続のカギとなっていた。しかし、この課題に対しても解決の糸口が見つかりつつある。都会の中に「コミュニティガーデン(地域菜園)」を作るのだ。
「そもそも堆肥を使う資源のない場所に、新たに堆肥という資源が生まれたことで、これをどうしようかと皆が考え始めたことが、時代の流れを変える大事なポイントとなっていく」(たいら代表)
「私たちは15年間『循環型コミュニティガーデン』に取り組んできたが、その価値がこれから見出されてくると考える」(同)
■都会に循環型コミュニティガーデンを増やしていく
LFCは、2030年までに全国の政令都市に1500カ所のコミュニティガーデンを作ることを目標に掲げる。同時に、地域の農業従事者ともつながりを広げ、「農家8.8万人との連携」も目指す。
LFC本社のある福岡では、すでに複数のコミュニティガーデンができた。「コミュニティガーデンができた途端、たのしい循環生活が『見える化』した」とたいら代表は振り返る。それまで菜園に熱心ではなかった人も、コミュニティガーデンという開かれた場が町内や職場などの生活圏にあることで、遊びに来る人が増えたという。
「コミュニティガーデンが生活圏にあることの意義を感じた。来る楽しみも増えれば、継続もしやすくなるし、何より食を一部支えることにもつながる」と力を込める。
■農業の後継者育成も視野に入れる
■企業・自治体との取り組みも広がる