社内外で演説やスピーチ、説教をすることは得意だが、人の話を聞くことは得意ではない。特に「カリスマ経営者」と言われる社長、任期を重ねる社長ほど、そうした自縛に陥る危険性が高い。
立派な演説が、たとえ間違っていても、正してくれる人はいない。業績が順調であれば、社外から批判されることもない。
CSRで最も重要なプロセスが、社会との「対話」だ。その対象は、従業員、消費者、地域、行政など幅広い。社長は本来、その先頭に立つべきだろう。
社長が社会と対話をしないから、感覚がズレる。社会がどう反応するか、分からなくなる。だから、こうした「珍騒動」が毎年のように起こる。これはリスクマネージメントや、ガバナンス以前の問題だ。
日本の上場企業の社長約3500人の中で、いったい何人がNPO(特定非営利活動)法人のスタッフや市民と直接「対話」をしたことがあるだろうか。
オルタナ本誌でたびたび指摘しているが、コンプライアンスの原義は「相手のことを慮る、相手のニーズを聞いて対応する」こと。「法令遵守」は誤訳であり、単なる「法令遵守」では不十分だ。
企業にとって、CSRは決して義務ではない。日本では、米国や欧州と違って、CSRをやらないことで社会から批判されることは少ない。
だが、「CSRをやらないことによるリスク」も大きい。その最も大きなリスクは、経営者と社会の感覚がズレることだ。今回の一連の事件は、それをひしひしと感じさせた。(オルタナ編集長 森 摂)