「脱炭素」の本質は「いのちの安全保障」

そして経済面でのサステナビリティは途上国・低所得者層だけの問題ではない。日本も相変わらず毎年約20兆円(全国民の税収の半分近くに相当する額)を産油国に払って石油・石炭・天然ガスを輸入している。

それは電気代や税金に含まれる「見えない支出」として国民には意識されない形となっているが、世界全体が「電気代タダ」の世界に移行しつつあるいま、日本はいつまで高コスト体質のエネルギー社会を維持し続けるのだろうか?

原発の隠れた高コスト性も3.11後に露わになったが、いま再び健忘症のように、そしてこの10年で急速にREシフトした世界の趨勢に逆行するかのように原発復活の動きがある。

だが、限界に達しつつある福島の放射性廃棄物と頓挫したプルサーマル計画(核廃棄物の再利用の不可能性)を考えれば、今後の「想定外」の世代間支出の大きさは明らかだ。仮に低コストの小型原子炉(SMR)が開発されたとしても、放射性廃棄物(トイレなきマンション問題)とその処理コストは変わらず発生する。

逆に急速なRE/EVシフト(自立分散型のUtility3.0)で、日本も「毎年20兆円」の化石燃料コストを浮かせる「伸びしろ」がある、と考えてはどうだろう?「電気代がタダ」で「災害で電力網が途絶してもいのちと暮らしは持続可能」な社会に、本気でやれば2030年までに出来るはずだ。

米中新冷戦の時代、日本が原油の9割を依存する中東からのシーレーンの安全を保障してくれるスーパーパワーなど存在しない。原発の安全と経済的なサステナビリティを保証してくれる主体も存在しない。エネルギーの地産地消と自律分散化は、「脱炭素」という一見抽象的で他人事のような概念からは想像できないほど切実な「いのちの安全保障」課題に直結している。

サステナビリティ(持続可能性)という概念をアップグレードするなかで、単なる炭素削減にとどまらない「脱炭素化」の意義と目的が明らかになってくるはずだ。

shinichitakemura

竹村 眞一(京都芸術大学教授/オルタナ客員論説委員)

京都芸術大学教授、NPO法人ELP(Earth Literacy Program)代表理事、東京大学大学院・文化人類学博士課程修了。人類学的な視点から環境問題やIT社会を論じつつ、デジタル地球儀「触れる地球」の企画開発など独自の取り組みを進める。著者に『地球の目線』(PHP新書)など

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キーワード: #脱炭素

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