強権政治で報道の自由脅かされる

ことしのノーベル平和賞には驚かされました。ロシアの独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」の編集長、ドミトリー・ムラトフさん(59)とフィリピンでニュースサイトを率いるマリア・レッサさん(58)に贈られることになったからです。この賞についてノーベルは遺言で「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和の会議のために貢献した人物・団体に授与すべし」と言い残しています。(オルタナ論説委員=原田 勝広)

ドミトリー・ムラトフさん(C)Olaf Kosinsky/CCBYSA3.0
ドミトリー・ムラトフさん(C)Olaf Kosinsky/CCBYSA3.0

本来なら、国連機関や卓越した政治家、NGO、社会運動家にふさわしい賞です。しかし、今回は戦後初めてジャーナリストが選ばれました。「民主主義や平和の基礎となる表現の自由を保護するための活動」を評価したのです。

ロシア、フィリピンともジャーナリストを迫害している国で、報道の自由が危機に瀕しています。90年代以降、ロシアで58人、フィリピンでは87人の記者が殺害されているといいます。授賞はそんな厳しい政治情勢のなかで活動しているジャーナリストを励まし、応援する狙いがあるのでしょう。

マリア・レッサさん(C)Joshua Lim/CCBYSA3.0
マリア・レッサさん(C)Joshua Lim/CCBYSA3.0

両国に限らず、ベラルーシ、中国、香港、インド、ミャンマーなどでも強権政治がはびこり民主主義と表現の自由を脅かしています。米国でもトランプ前大統領は大手の報道機関をフェイクニュース呼ばわりするなど過激な発言で対立しました。中国は何と、民間企業の報道を禁止するという信じられない措置を打ち出しています。今年のノーベル賞は民主主義を支える報道の自由に対する強い懸念を表明しているのです。

日本はコロナ禍で取材方法に変化

翻って日本のメディアはどうでしょうか。平和で言論弾圧もありません。因みに、2021年度新聞協会賞は朝日新聞の「LINEの個人情報管理問題のスクープ」と中日新聞・西日本新聞の「愛知県知事リコール署名大量偽造事件のスクープ」でした。どちらも丹念な取材と真相究明への熱意を感じさせる見事な特ダネだと思います。

しかし、普段目にする日本のメディアには物足りなさを禁じえません。1200人以上が死亡するなど人権弾圧が続いているミャンマーや新疆ウイグルの問題に無関心すぎます。医療体制の不備などコロナ対策の遅れ、感染蔓延下での東京オリ・パラのゴリ押し開催といった政治的リーダーシップの欠如をもっと追及すべきでした。

首相記者会見での記者の質問の「ゆるさ」が気になったのは私だけではないでしょう。メディアに緊張感がなく、民の声に耳を傾け権力をチェックする報道機関としての役割を本当に果たしているのか疑問です。

日本国内の取材はコロナで大きな打撃を受けています。われわれの時代、記者の重要な仕事は夜回りでした。昼間の通常の仕事が終わった夜に担当の役所や警察、企業の幹部など取材源の自宅を訪問し、情報を取るのです。最初は警戒されても徐々に信頼され、特ダネにつながります。

しかし、今やコロナのせいで様変わりです。警察や検察など一部を除き、夜回りは原則、受け入れてもらえないようです。インタビューや会見もほとんどがzoomなどオンラインになり、直接会って取材することさえ難しくなっています。オンラインでは深い取材を期待する方が無理でしょう。

これを一概に取材の劣化と決めつけることはできません。オンライン取材にも利点があるからです。会うためにわざわざ出かける移動の時間が省けます。子育て中の女性記者や障害のあるジャーナリストも在宅で仕事が可能になります。

もはや社会の働き方がリモート、在宅、ワーケーションと変遷する中、メディアの在り方も変わらざるをえません。便利なように見えるだけに落とし穴には気を付けたいものです。デジタル時代の新たな取材方法、豊富なデーターを駆使しながら一方で現場感覚を失わない手法が必要な時代と言えるでしょう。

アフガニスタンに記者派遣しないのはなぜ?

そんな風に、報道の危機について思いを巡らせていた時、日本ペンクラブ主催の緊急オンラインシンポジウム「危機に直面する報道の自由―アフガニスタン取材の問題点」があるというのでオンラインで視聴しました。

9月にアフガンへ一番乗りを果たした二人の日本人フリージャーナリストが出演し、取材の様子を議論する中で日本の大手報道機関が現地取材に入らないのを批判する内容でした。危険を顧みず現地で取材、真実を伝えるのが報道の役割ではないか、外務省から危険だと言われておじけづくのは情けないというわけです。

私自身、大手新聞社で働いていたころ、現地入りできない悔しさを味わったことがあるので、こうした主張には賛成です。特に映像が勝負のカメラマン、テレビは現場にいなくては勝負になりません。報道の危機はこういうところにも現れているのでしょうか。

仮に日本のメディアが本当にアフガンに関心を失い、現地取材を怠っているのだとしたら問題です。しかし、調べてみるとそうではないようです。自社の記者を派遣しないからといって真実の報道に不熱心というわけではありません。

大抵は契約しているストリンガーやフリージャーナリストに現地取材に入ってもらっており報道に支障はありません。二人の取材内容も、経緯はわかりませんが、結果的には日本のキー局で特集番組として報道されていました。つまり、危険地での取材は大手メディアと現地の治安情勢に詳しいフリーランスの役割分担が進んでいるということではないでしょうか。

外務省は邦人保護の観点からアフガン入りをやめるよう要請していたようですが、その圧力に屈したわけではありません。では、なぜ記者を派遣しないのか? 答えは簡単。危険だからです。死なせたくないのです。

私がいた新聞社でもベトナム戦争時のサイゴンで記者が、雲仙普賢岳の火砕流ではカメラマンが命を失っています。そして今、世界は危険な現場であふれています。現代史の目撃者たらんとする記者は、危険を顧みず現場に行きたいというジャーナリスト魂の持ち主が大半ですから、会社が安全管理をしっかりしないと大変なことになってしまします。

「報道の危機」回避に新時代の手法を

もうひとつは、取材方法が変化しているということです。現場は大事ですが、それがすべてという時代ではなくなりつつあります。東日本大震災の時、襲い来る津波のすさまじさを録画したのはメディアではなく、被災者自身の携帯でした。インターネットの時代、アフガン側の発信力も高まっているはずです。多面的に入手できる情報をつなげ、全体をいかに的確に分析するかが真実に迫るには重要です。

もちろん、現場取材は不可欠です。そこに入らないとわからないこともたくさんあります。タリバンが意外に人懐っこく市民に乱暴を働いているようなことはないこと、治安が保たれていること、故中村哲さんのおかげで日本人には親切なことなどはシンポを聞いて初めて知りました。

欧米の価値観を鵜呑みにするのではなく、日本人の視点を通して報道すべきだという主張もその通りでしょう。現場感覚と冷静な分析が新時代のキーワード。これを失っては、それこそ、報道の危機だと思います。    

(完)