アフガニスタンの女性がどうなるか本当に心配です。

私が取材で空爆後のアフガニスタンに入ったのは2002年のことです。飛行機も民間のエアラインはまだ飛んでおらず、国内の移動はUNマークの入った国連機に乗せてもらった記憶があります。

青い空と緑の山並みが美しい国でしたが、治安が回復しておらず、北部のマザリシャリフの難民キャンプを車で訪ねようとしたところ、途中でドスタム将軍率いる軍閥の戦闘に遭遇し、弾が飛んできたのであわてて首都カブールへ引き返したこともありました。

アフガニスタンの風景

アフガンの国造りを支援した米国や日本

2001年、忘れもしない9・11同時多発テロが起こりました。オサマ・ビンラディンを指導者とするアルカイーダの犯行と断定した米軍など多国籍軍はビンラディンの潜伏先であるタリバン政権下のアフガニスタンを空爆し、侵攻したのです。

既に破綻国家の状態だったアフガンではタリバンが放逐され、代わりに米国を後ろ盾とするハミド・カルザイを首班とする暫定政権が樹立されました。国家再建のため、2002年1月には東京でアフガニスタン復興支援国際会議が開催され日本も国造りに協力します。

NGOの出席拒否問題を巡り当時の鈴木宗男議員と田中真紀子外相がバトルを繰り広げた会議といえば、思い出す方もいるでしょう。日本政府代表が故緒方貞子さんで共同議長として、こう挨拶しました。

「この東京会合を成功させなければなりません。寛大な皆さまの確固たる約束が不可欠で継続的コミットメントが必要です。資金の話をしているのではありません。希望を抱いている人々に対してわれわれが持っている影響力について常に思い起こすべきです。この国の将来はアフガンの人々の手の中にあるのです」

取材中の私がこの国で感動した出来事を紹介しましょう。日本のNGOが修復した小学校を訪れた時です。校門から両側に先生と男女の児童が長い列を作り、紙吹雪をまいてNGOスタッフを拍手で大歓迎していました。感謝の式典にはアフガンと日本の国旗が並び、学べる喜びにキラキラと目を輝かせていた女の子の明るい表情が、新しい時代の到来を印象づけていました。

残っていた旧タリバン時代の風習、慣習

ブルカを着たアフガン女性

旧タリバン政権はイスラム法の法解釈が厳格で、バーミヤン大仏を破壊したり、宗教的・民族的少数派を差別したりしました。私がアフガンを取材した当時も、まだその時代の風習、慣習は色濃く残っていました。

女性の服装は貞淑を旨とし、イスラム法によりヒジャブで顔と手以外を覆うよう規定されています。アフガンは極端で街行く女性は皆、全身を覆うブルカを着用しており、入国してしばらくはアフガン女性の素顔をまったく見ることができなかったくらいです。イスラム諸国では、イランは黒い布で髪と体を覆うカラスを思わせるファッションですが、トルコはお洒落でカラフルなスカーフを着用、イラク北部のクルド人自治区では服装はほとんど自由です。服装が象徴するようにアフガン女性は人権抑圧の只中にあったのです。

驚いたのは女性刑務所です。意外なことに若い女性であふれていたので、不思議に思って案内の人に罪名を尋ねてみました。多くは婚前交渉、つまり、未婚で性行為をした囚人という回答で、ビックリしました。

駆け込み寺ではさらに驚きました。アフガンには名誉殺人が残っています。家族の名誉を汚したとみなされた場合には女性や少女が殺害されるという恐ろしい風習です。対象は例えば、親族が決めた結婚の拒否、婚前・婚外交渉、駆け落ちなどの自由恋愛で、家族や親族によって刺殺、射殺されます。穴に入れられ石をぶつけられて殺されることもあります。駆け込み寺は、これを避けるため助けを求めて逃げてきた女性でいっぱいでした。涙を流しながら、追われる恐怖と不当性を訴えていたのが忘れられません。

米国や日本は、20年間、この国の復興を支援し民主主義を根づかせようとしました。しかし、目論見はもろくも崩れ、それを背景にしていたカルザイ政権もガニ政権も張り子の虎と化しました。タリバンの執拗な抵抗でアフガン紛争は長引き、今夏、米軍の撤退というあっけない幕切れが待っていました。

米国が支払ったコストは軍関係を含め110兆円とされています。日本は少ないとはいえ、地雷除去、農村開発、教育・保健・人道支援などに7,000億円以上を拠出しました。日本のNGOもアフガンに出かけ何百億円規模の支援を行いました。全部が無駄になったわけではないでしょうが、新生アフガンを夢見ていただけに空しさが残ります。米軍が去り、タリバンが政権に復帰したからには、古い価値観、考え方がより明確な形で復活するのは避けられそうもありません。

「女性問題省」を「勧善懲悪省」に衣替え

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