消費から世界を変える (8) サラヤ×元ちとせ

生まれ育った奄美大島で幼い頃からシマ唄に親しみ、2002年に発表したデビュー曲「ワダツミの木」が大ヒットを記録した元ちとせさん。奄美大島と東京を行き来する生活を送りながら、奄美大島の魅力を伝え続けている。2013年にサラヤとともにボルネオ島に行ったことで、自然との向き合い方にも変化があったと話す。

■元ちとせ(はじめ・ちとせ) 鹿児島県奄美大島生まれの唯一無二の歌声を持つシンガー。故郷・奄美大島の世界自然遺産登録を受け、「シマ唄」を受け継ぐ語り部としても注目を集める。今年、「ワダツミの木」でのデビューから20周年。2022年2月に新曲「えにしありて」をリリースした。2022年7月、14年ぶりとなる5thオリジナルアルバムのリリースが決定。アルバムのリリースに先駆けて、4月から3ヶ月連続でアルバムに収録される新曲を先行配信する。

─ボルネオでは、パーム油の原料となるアブラヤシのプランテーション開発が進み、野生生物は絶滅の危機に瀕し、森林破壊も深刻です。2013年にサラヤとともにボルネオに行かれたそうですが、現地で印象に残ったことについて教えてください。

野生動物の調査や保護活動が印象に残っています。ゾウの保護施設では親を奪われた子ゾウにも出会いました。人懐っこくてとても可愛かったのですが、乱獲によって親を失った子ゾウの感情を考えると、何ともいえない気持ちになりました。数年後、保護された子ゾウが元気に育っていると聞いて嬉しくなりました。

ボルネオにある野生生物の保護施設で出会った子ゾウ

野生生物を取り巻く環境もそうですが、ボルネオで暮らす人たちの生活にもショックを受けました。宿泊したホテルの近くで、子どもたちが川から泥水をすくって、歯磨きをしていたのです。恐らく川に生活排水が流れているので、衛生的な水ではないはずです。

現地の人が森林を伐採しているわけではありませんが、自然を保護することと同時に、人間の生活環境を良くする必要があるのではと思いました。そのうえでは教育も重要ですね。

答えのないテーマだと思いますが、ボルネオや遠くのことでもまずは「知る」ということが大切だと考えています。

全社で取り組む企業姿勢に共感

─ボルネオに行かれた後、変化はありましたか。

劇的に何か変わったということはないのですが、生活排水が最終的に川や海に流れることを考えて、洗剤を選ぶようになりました。サラヤのヤシノミ洗剤は、私たちの生活衛生を良くするだけではなく、ボルネオの自然や野生生物を守ることにもつながります。

小さなことですが、なぜヤシノミ洗剤が良いのか、なぜ環境に配慮された製品を選ぶことが大切なのか、周りの人たちや子どもたちにも伝えるきっかけになりました。

─サラヤのどんなところに共感していますか。

意識の高い特別な人たちだけが環境に取り組んでいるのではなく、会社全体で、社員の皆さん一人ひとりが意識を持って「知ろう」としている姿勢が素晴らしいと思います。

簡単そうに見えて、実は難しいことです。

ボルネオでは、ヘリコプターでプランテーション開発の現場を見学した
ボルネオでは、ヘリコプターでプランテーション開発の現場を見学した

─「唄島(うたじま)プロジェクト」など、歌手活動を通じて奄美大島の自然や文化について発信したり、平和への願いを込めた歌を歌ったりされています。歌手としてのご自身の役割をどのようにとらえているのでしょうか。

デビュー当時の2002年ころ、奄美大島について知っている人はほとんどいなかったと思いますが、私の歌が島を知るきっかけになっていれば嬉しいです。逆に、奄美大島の人たちに自分たちの島の素晴らしさを知って、誇りに感じてほしいという思いも持ちながら歌い続けています。

歌手として活動するうえで、坂本龍一さんとの出会いにも影響を受けました。2005年に、反戦歌「死んだ女の子」をニュース番組の生放送で歌うことになりました。

デビュー前からデモレコーディングをしていた曲なのですが、最初は意味がよく理解できず、タイトルや歌詞もただただ怖く感じていました。

デビュー後、広島でライブがあったときに広島平和記念資料館に行ったことがきっかけで、そう遠くない過去に自分の国で起きた歴史をきちんと知らなかったことに気付いて、はっとしました。

それから「この歌を歌いたい」「世界の人たちに聞いてほしい」という思いが芽生えました。そこで、世界的に活躍されている坂本さんにプロデュースをお願いし、2005年から毎夏、期間限定で配信しています。

坂本さんとお仕事をするなかで、歌を通して、何かを伝えたり、自分を見つめるきっかけにしたりしてほしいという感情が出てきました。私は活動家ではありませんが、それでも戦争が起きないように、歴史を風化させてはいけないという思いで、歌うことを続けています。

年齢は「カラット」、輝き増していく

─歌を通じて歴史や文化を語り継いでいきたいという思いがあるのでしょうか。

音楽に答えはありません。長年歌っている「ワダツミの木」でさえも、その時々で歌い方や思いは変わります。私自身もその変化を楽しみにしていますし、これからも一つひとつの生命の物語を、形を変えながら、死ぬまで歌い続けていきたいと思っています。

「なぜこの歌は心に触れるのだろう」と、感じることがあると思いますが、その理由を考えることは、自分に向き合うきっかけにもなるのではないかと思います。

─2022年2月で20周年を迎えられました。

20年間、歩いてこられたことが本当に嬉しいです。自分の声も体も観察して、年齢を重ねるにつれて自分のことが分かってきて、色々なチャレンジをしたりもしています。

私は年齢のことを「カラット」と呼んで、ポジティブに受け止めているんですよ(笑)。今年1月に予定していた奄美でのライブは残念ながらオンライン配信のみになってしまい、お客さんを前に歌えることのありがたさを改めて感じましたが、映像として形に残せたので、初めての方にも触れてもらえるきっかけになればと思います。

今年は20周年という節目なので新しいアルバムも届けたいですし、ライブを一本でも多くやっていきたいです。

(PR)(オルタナ68号から転載)