記事のポイント
- 病院は人を守る場だが、同時に、膨大なエネルギーと資源も消費する
- 医療セクターは、国内全産業の約5〜6%のカーボンフットプリントを占める
- 医療の温室効果ガス排出を可視化し、地球の健康に向けて企業との連携を強めたい
医療従事者らの有志で構成する「みどりのドクターズ」は、人の健康と同時に地球環境の健全性も追求する「プラネタリーヘルス」に挑む。人間と地球環境の健康に挑む医療従事者らの「『プラネタリーヘルス』への挑戦」の連載第3弾を、みどりのドクターズのメンバーで腎臓・透析専門医である永井恵氏に寄稿してもらった。(オルタナ編集部)
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病院は「人を守る」場だが、同時に膨大なエネルギーと資源も消費する。腎臓・透析専門医の視点で見ると、腎臓も地球も「壊れてから治す」ことが極めて難しい点は共通だ。国内産業の約5~6%を占める医療セクターのカーボンフットプリント(ライフサイクル全体での排出量)を「見える化」し、企業との連携を強めながらプラネタリーヘルスにも寄与したい。(みどりのドクターズ・永井恵)

連載:「プラネタリーヘルス」への挑戦(3)
「目に見えない温室効果ガス」と医療の関係
■医療の現場から考える、ESGの次のリアリティ
前編までは、「プラネタリーヘルス」という概念を手がかりに、地球環境の限界(プラネタリーバウンダリー)と人の健康が切り離せない関係にあることを確認しました。
では、その問題は実際の現場では、どのような形で立ち現れているのでしょうか。
今回は、私自身が日々立ち会っている医療現場から、「目に見えない温室効果ガス」というテーマを掘り下げてみたいと思います。
■病院という「安心」と引き換えに消費されるもの
地方の中核病院には、多くの患者さんが集まります。地元のクリニックでは対応が難しい疾患や複数の合併症を抱え、片道数キロ、時には数十キロの道のりを自家用車で通院してくる方も少なくありません。
「先生、今日は駐車場が混んでいて30分も待ちました。バスも本数が減ってしまって……」
猛暑の8月、熱中症警戒アラートが繰り返し発令されるなか、80歳代の女性患者さんはそう話してくれました。車社会の中で、移動の選択肢が限られる高齢者にとって、通院そのものが大きな負担になっています。
一方、病院の中に入ると、外の暑さが嘘のような空間が広がります。入院病棟も手術室も、常に一定の温度に保たれています。患者さんと医療スタッフの安全を守るために、これは欠かせない環境管理です。
その室内で、私たちはマスク、手袋、エプロンといったプラスチック製の感染防護具を、患者さんごとに使い捨てています。点滴バッグや注射器も同様です。感染リスクが少しでもあれば、リサイクル可能な素材であっても「感染性廃棄物」として焼却、あるいは滅菌処理が必要になります。
病院は「人を守る場所」であると同時に、膨大なエネルギーと資源を消費する場所でもある。その現実に、医療者は日々向き合っています。
■医療は、どれほどの温室効果ガスを排出しているのか
前編で触れたプラネタリーバウンダリーの9領域のうち、温室効果ガスは「気候変動」に該当します。この境界はすでに人間活動によって超えられ、地球規模での持続可能性が揺らいでいます。
では、医療はその中でどの程度の位置を占めているのでしょうか。
国立環境研究所などによる分析では、日本の医療セクターは、国内全産業の約5〜6%のカーボンフットプリント(CFP)を占め、しかも増加傾向にあることが示されています。
CFPとは、原材料調達から製造、使用、廃棄に至るまで、ライフサイクル全体で排出される温室効果ガスをCO₂換算で示す指標です。LCA(ライフサイクルアセスメント)という手法によって定量化されます。

医療は社会に不可欠なサービスである一方、その環境負荷は決して小さくありません。
その中でも、象徴的な例が透析医療です。
日本では約34万人が透析治療を受けています。9割以上が血液透析を選択し、週3回の通院、1回あたり約500リットルの水、そして透析膜や回路といった大量のプラスチックを使い捨てています。CFPで見ると、透析は平均的な医療行為の10倍以上の温室効果ガスを排出する治療です。
透析は、患者さんの命と生活の質を支える重要な医療です。その価値は揺るぎません。しかし同時に、その経済活動自体が大きな環境負荷を内包していることも事実です。
この「価値は高いが、負荷も大きい」という二面性は、医療に限らず、多くの産業が抱える課題と重なります。
■「臓器の健康」と「地球の健康」は似ている
ここで、腎臓を例に少し視点を変えてみます。
腎臓は、血液を濾過し、水分や塩分、老廃物を体外に排出する臓器です。過食や肥満、生活習慣病によって処理すべき負荷が増えれば、腎臓は少しずつ疲弊し、やがて機能が低下します。最終的に透析が必要になるのは、「負荷をかけ続けた結果」とも言えます。
地球環境も、構造はよく似ています。
二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出という「負荷」をかけ続けた結果、気候変動という形で限界が露わになっています。
重要なのは、腎臓も地球も、「壊れてから治す」ことが極めて難しいという類似点です。だからこそ、早い段階で負荷を減らし、腎臓病の進行を止めることが望まれます。そして、透析医療自体も環境負荷の少ない方法へ見直す必要があります。
■可視化が、意思決定を変える
医療者の間では、医療行為による温室効果ガス排出を「見える化」しようという取り組みが進んできました。
吸入薬に含まれる噴射剤(HFC類)や、吸入ガス麻酔薬の温室効果はその代表例であり単純にイメージしやすいものです。こうした領域では、代替手段への切り替えが比較的明確で、実際に改善が進んでいます。
一方で、慢性腎臓病や心疾患、糖尿病といった慢性疾患は、病気が進行するほど医療資源の投入量が増え、環境負荷も累積していきます。また、薬剤や医療機器、治療方法の多様性といった、個別の工夫だけでは解決しにくい構造的な複雑性があります。さらなる問題点として、薬剤や医療機器についてのLCAについては、ほとんどの領域で未完成であり、よく使用される一粒の錠剤、一本の注射薬のCFPを知る術を未だに持っていません。
この構造をできるだけ理解し、CFPを正確な数値で把握することは、医療だけでなく、企業のサステナビリティ戦略とも深く重なります。
可視化されて初めて、選択肢は比較され、意思決定の対象になります。
■ESG担当者にとっての「医療」というフロンティア
日頃、臨床医は製薬企業や医療機器メーカーの担当者と面会する機会があります。最近では、ESGやサステナビリティを専門とする部署の方々と話すことも増えてきました。
医療は「規制が多く、特殊な世界」に見えるかもしれません。しかし実際には、
- 製品設計
- サプライチェーン
- 使用段階での選択
- 廃棄・回収の仕組み
といった点で、企業の関与余地は非常に大きい分野です。
医療行為が持続可能でなければ、人の健康も持続可能にはなりません。これは感情や倫理の話ではなく、患者・医療者・企業が対話することで構造と設計を変更することで解決可能な話かもしれません。
連載記事:「プラネタリーヘルス」への挑戦(1)
連載記事:「プラネタリーヘルス」への挑戦(2)

■ 永井 恵(ながい・けい)
医師。筑波大学医学医療系准教授・日立総合病院腎臓内科主任医長(兼務)。日本透析医学会Green Dialysisワーキンググループ リーダー。国立環境研究所資源循環領域客員研究員。
2006年筑波大学医学専門学群卒業、腎臓専門医・透析専門医として大学病院に勤務。基礎医学(免疫学・実験病理学)、臨床疫学の研究に従事し、その後、ストックホルムおよびメルボルンへ留学を経験。2018年より医療のライフサイクルアセスメントを開始。2019年に総合内科医としてへき地医療を経験して以来、ヒト・モノが限られた過疎地域での持続可能な腎臓医療の構築をアカデミックな視点から目指している。



