前野隆司教授に聞く「幸せな組織づくりの秘訣」とは(前編)

記事のポイント


  1. ウェルビーイングが注目される背景に、物質重視の社会の変化が挙げられる
  2. 企業がウェルビーイングに取り組むことで生産性向上や離職率低下につながった
  3. 「幸せの4つの因子」の意識的な実践や従業員との対話で有効な導入が可能だ

工学博士でありながら、ウェルビーイングを研究し「幸福学」の第一人者として知られる前野隆司さん。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授と、武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授を兼務しています。ウェルビーイングと企業経営の関係性について伺いました。(NPO法人インフォメーションギャップバスター理事長・伊藤芳浩)

前野隆司・慶応義塾大学大学院教授/武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授
前野隆司・慶応義塾大学大学院教授/武蔵野大学ウェルビーイング学部長・教授

■ 「幸せな製品」への気づき: 工学からウェルビーイングへ

――ご経歴と、ウェルビーイング研究を始められたきっかけを教えてください。

私は1984年に東京工業大学を卒業し、1986年に同大学の修士課程を修了しました。その後、キヤノン株式会社に勤務し、カリフォルニア大学バークレー校の訪問研究員、ハーバード大学の訪問教授なども経験しました。

私がウェルビーイング研究を始めたのは、単なる偶然ではありません。工学の世界で長年研究してきて、人間の幸せという要素が欠けていることに気づいたのです。例えば、私が以前勤めていたキヤノンでカメラを開発していた時、「より高性能なカメラを作る」ということは考えられていましたが、「そのカメラを使う人がより幸せになる」ということは設計項目に入っていませんでした。

これは、カメラに限らず、多くの製品やサービス、さらには社会システムにも言えることだと気づきました。そこで、幸せやウェルビーイングを設計パラメータとして組み込むべきだと考えるようになりました。つまり、人間が作るものすべて―――製品、サービス、政策、教育、まちづくりに至るまで、幸せを考慮することができるし、そうすべきだと。

この考え方は、工学の本質的な目的である「人々の生活をより良くする」ということに立ち返るものでもあります。技術の進歩だけでなく、その技術が人々の幸せにどう貢献するかを常に考える。そうすることで、本当の意味で人々の役に立つイノベーションが生まれると信じています。

■ ウェルビーイングはポストSDGsの中心概念になりうる

――「ウェルビーイング」という言葉をよく耳にするようになりました。先生が考えるウェルビーイングとは何でしょうか?また、なぜ今、注目されているのでしょうか?

私は、ウェルビーイング産業の規模は世界のGDPと一緒だ、と言っています。つまり、全ての産業がウェルビーイングになれば、世界は幸せで平和になります。自分だけが儲けるとか戦争するとか、地球を滅ぼすとかじゃなくて、全ての製品とか組織開発とかそういうものにウェルビーイングが入れば良いのです。

ウェルビーイングが注目される背景には、社会の大きな変化があります。20世紀は経済成長や技術革新が主な目標でした。しかし、21世紀に入り、特に先進国では物質的な豊かさがある程度達成された一方で、精神的な豊かさや生活の質の向上が求められるようになってきたのです。

また、企業においても、単なる利益追求だけでなく、社会的責任や従業員の幸福度が重要視されるようになってきました。これは、持続可能な発展を目指す上で非常に重要な視点です。

さらに、最近の研究で、幸せな従業員がいる企業は生産性が高く、イノベーションも起こりやすいということが分かってきました。つまり、ウェルビーイングは個人の問題だけでなく、組織や社会全体の発展にも直結する重要な概念なのです。

ウェルビーイングを拡張していくと、人間だけでなく、動植物も含めた地球全体の幸せを考えることになります。これは、環境問題や生態系の保護といった現代の重要課題にもつながっていきます。ですから、ポストSDGsの中心概念としてウェルビーイングが据えられる可能性は十分にあると考えています。

■ 幸せな社員が会社を変える: 30%の生産性向上と3倍の創造性

――ウェルビーイングを企業経営に取り入れるメリットについて、もう少し具体的に教えていただけますかまた、導入に際して懸念されることはありますか。

ウェルビーイングを企業経営に取り入れるメリットは本当に大きいのです。まず、従業員の生産性と創造性の向上が挙げられます。研究によると、ウェルビーイングを高めることで生産性が30%向上し、創造性も3倍になるという結果が出ています。これは企業にとって非常に大きな効果ですよね。

また、離職率の低下にもつながります。従業員が自分の仕事に満足し、職場でのつながりを感じられるからです。人材獲得の面でも、ウェルビーイングを重視する企業は優秀な人材を引き付ける力が高まります。今の若い世代は特に、給与だけでなく、働きがいや企業の社会的責任を重視する傾向がありますからね。

具体例を挙げると、ウェルビーイングを導入している企業で、30年連続増収増益を達成しているところがあります。利益や売上を直接目指すのではなく、社員の幸せを目指すことを徹底的にやった結果、じわーっとゆっくりですが、成長し続けているのです。

ただし、導入に際して懸念されることもあります。一つは、短期的な成果を求めすぎてしまうことです。ウェルビーイングの効果は即座には表れにくい面もあります。じっくりと腰を据えて取り組む必要があります。

また、ウェルビーイングを単なる福利厚生の充実と勘違いしてしまうことも懸念されます。従業員の本質的な幸せを考えることが重要で、そのためには組織文化や仕事の内容自体を見直す必要があるかもしれません。

さらに、ウェルビーイングの定義や測定方法が企業によって異なっていることも懸念点の一つです。他社との比較という視点も考慮しつつ、自社に適した方法を見つけ出し、継続的に評価・改善していく必要があるでしょう。

しかし、これらの課題を乗り越えれば、従業員の幸せを通じてお客さんも幸せにする、という経営ができるはずです。そうすれば、創造性や生産性が上がって会社が繁栄し、社員もいきいきするという好循環が生まれるのです。

■「やってみよう」から「ありのまま」まで: 幸せを科学する4つの鍵

――非常に興味深いお話です。では、先生の研究から明らかになった「幸せの4つの因子」について詳しく教えていただけますか。これはどのようにして分かったのでしょう。

「幸せの4つの因子」は、1500人の日本人を対象に100問近いアンケート調査を実施し、その結果を因子分析という手法で分析した結果、得られたものです。この調査は1980年代から続いてきた、心理学における幸福度研究を基盤としています。

4つの因子の1つ目は、『やってみよう』因子。やりがい、生きがい、成長などに関係しています。2つ目が『ありがとう』因子。感謝や人間関係に関係します。3つ目が『なんとかなる』因子で、これはチャレンジ精神や楽観性のこと。そして4つ目が『ありのままに』因子で、人と自分を比べすぎないことや個性の尊重を表します。

この4つの因子の研究は、日本の幸福度研究のひとつとして意義のあるものだったと思います。というのも、それまでの幸福度研究は主に西洋の文化圏で行われていたものが多かったのです。この研究では日本人を対象にしたことで、日本における幸せ研究が社会で知られるきっかけになったと思います。

『なんとかなる』という因子は、日本人特有の「諦観」の精神と関連しているかもしれません。困難な状況でも「なんとかなるさ」と前向きに捉える姿勢ですね。また、『ありのまま』の因子も、自然との調和を重視する東洋的な考え方と通じるものがあります。

■ 感謝の文化からダイバーシティまで: 4因子で組織を活性化

――4つの因子を企業経営に生かすなら、どのような取り組みが考えられますか。また、導入時の課題やその解決方法についてもお聞かせください。

まず『やってみよう』因子については、従業員に対して適切な権限委譲を行い、自分の責任で仕事ができる環境を作ることが大切です。また、会社の目的と自分の目的が一致していると感じられるよう、ビジョンの共有や対話を大切にすることも重要です。

『ありがとう』因子は、職場での感謝の表現を増やすことから始められます。例えば、「今日までにやって当たり前」ではなく、「今日までにやってくれてありがとう」というような温かい言葉が行き交う職場づくりをしましょう。

『なんとかなる』因子は、チャレンジを推奨する文化を作ることです。失敗を恐れずにリスクを取ることを奨励し、たとえ失敗しても、それを学びの機会として捉える風土を作ることが大切です。

最後の『ありのままに』因子は、ダイバーシティ&インクルージョンにつながります。多様な個性を持つ人々が、お互いを尊重し合える環境を作ることです。これは単に法令順守のためではなく、多様な視点が新しいアイデアを生み出す源泉になるという認識が重要です。

これらの因子を意識的に取り入れることで、従業員一人ひとりが幸せを感じ、その結果として組織全体のパフォーマンスが向上するのです。

ただし、導入時には課題もあります。例えば、既存の企業文化との軋轢や、短期的な成果主義との対立などが考えられます。これらの課題に対しては、経営層のコミットメントと、無理のない導入が有効でしょう。また、従業員との対話を重ね、彼らの意見を取り入れながら進めることも大切です。

さらに、これらの取り組みの効果を定期的に測定し、フィードバックを得ることも重要です。例えば、従業員満足度調査や生産性指標の変化などを追跡し、必要に応じて施策を調整していくことが望ましいでしょう。

■後編はより具体的な導入事例を紹介

ウェルビーイングの基本概念と4つの因子についての理解が深まりました。後編(10月14日公開)では、これらの知見を実際の企業経営にどのように活かしていくか、具体的な適用方法や事例、そして経営者の皆様へのアドバイスについてお話ししていただきます。

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伊藤 芳浩 (NPO法人インフォメーションギャップバスター)

特定非営利活動法人インフォメーションギャップバスター理事長。コミュニケーション・情報バリアフリー分野のエバンジェリストとして活躍中。聞こえる人と聞こえにくい人・聞こえない人をつなぐ電話リレーサービスの公共インフラ化に尽力。長年にわたる先進的な取り組みを評価され、第6回糸賀一雄記念未来賞を受賞。講演は大学、企業、市民団体など、100件以上の実績あり。著書は『マイノリティ・マーケティング――少数者が社会を変える』(ちくま新書)など。執筆記事一覧

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キーワード: #ウェルビーイング

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