中村さん襲撃の情報は何回もあったに違いありません。これだけリスクに満ちた情勢下で、どうして中村さんの命を守れなかったのでしょうか。
志村卯三郎の話に戻ります。
いま思えば、軍靴にすべてが踏みにじられてしまったような時代に志村のような人が存在したこと自体奇跡に近いし、日本の誇りだと思いますが、意外なことに志村の貢献は歴史から消えています。
施療班の活動は、戦後、「軍の宣撫工作に利用された。戦争に協力したとの批判は免れない」と批判されたのです。戦争や紛争では、利害関係が錯綜、先鋭化し人の運命を翻弄することがよくあります。志村は中国に骨をうずめるつもりでしたが、戦争の激化で断念、日本に帰国後は路傍伝道と称して、貧しい人々のために尽くしました。
国家の枠を超え、虐げられている人々のために身を粉にし魂を焼き尽くした志村が、戦争の余波で思わぬところで揚げ足を取られ、失意のうちに晩年を過ごしたことは想像に難くありません。