おばあちゃんの恋人(希代準郎)

 「おはようございます、おばあちゃん。よく眠れましたか。昨日の膝の負傷はいかがですか」
 テーブルの上からキバタンが声をかける。
 「平気よ、擦りむいた程度だから」と美代バアの甘い声。
 「よかった。じゃあ、頭の体操ゲームやりましょう」
 「いいわよ」
 「次の〇の中に入る文字を考えて県名を答えてくださいね。まず、〇き〇県」
 「そんなの簡単よ。茨城、いや秋田県」
 「当たり。じゃあ、〇ま〇し県は?」
 「うーん、福島県?じゃない、山梨県」
 「ピンポーン」
 「あら、そろそろ出かける支度しなくちゃ」突然、おばあちゃんが立ち上がった。「いえね、今日、妙子さんとお茶するの。葛切りがおいしいお店があるのよ、そこで」
 聞けば、先週の散歩で、幼馴染の妙子さんに久しぶりに会ったのだという。

「オウムからのメールではお袋は旧友の妙子さんと葛切りをご一緒したらしい。膝のケガも軽くてよかった」
 パソコンの前で徹がお茶を飲みながらつぶやくと奈緒子もうなずく。「ちょっと待てよ」徹が巣頓狂な声をあげた。
「ところが、夕方、その妙子さんが帰宅後、熱が出て急きょ入院したってさ」。
 奈緒子は嫌な予感がして、美代バアに電話を入れた。妙子さんの病名を質したがわからないという。マスクはしていたかと聞いても、マスク取らないと葛切りを食べられないじゃないの、と怒り出す始末。徹と相談してメールで受け取る会話記録の設定範囲を広げた。当然、見たくもない内容のメールが増えた。
 美代バア「徹はこの家にちっとも顔を見せないし、奈緒子さんも私のことはヘルパー任せで、全然寄り付かない。庭の草取りとか、やることあるのに」
 キバタン「おかげでお互いに気を使わなくていいじゃないですか」
 美代バア「あんた、ロボットのくせに生意気なこと言うわね。奈緒子さんたら、そのくせこちらの情報を盗もうとするんだから。いやだわ」
 
 奈緒子は、メールを読みながら、思わず机をたたいた。盗む?まあ、何てことを。心配してあげているのに。あまりに悔しくてしばらくメールを読まなかったが、その日、メールされてきた義母の体調バロメーターを何気なくチェックしていて首をひねった。体温が38度、呼吸数や脈拍数も正常範囲を超えていた。慌ててメールを見る。
 キバタン「おばあちゃん、顔色悪いね。咳ばかりしてるし」
 美代バア「そうなのよ。味覚も変だしね」
 キバタン「お医者さんに診てもらった方がいいよ」
 美代バア「いやよ。ほら、妙子さんね、病院に入ったら、コロナですって言われて無理やり入院させられちゃったんだって」
 キバタン「えっ、妙子さん、コロナだったの」
 美代バア「私は違うわよ。ただの風邪よ。これ、徹と奈緒子さんには内緒ね」

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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