■「貯蓄余剰と需要不足は政府が解決すべき」
武者陵司・株式会社武者リサーチ代表■

米バイデン大統領が今年4月の演説で「富む人が増えれば、貧しい人にも恩恵があるという『トリクルダウン』は無かった」と明言し、富裕層や法人への増税を打ち出した。菅政権の「自助」重視の政策とは、明らかに袂(たもと)を分かつ。新自由主義は本当に終わったのか、武者陵司・株式会社武者リサーチ代表に聞いた。(オルタナ編集長・森 摂、オルタナS編集長・池田真隆)

※1980年代以降、世界を席巻した「新自由主義」が終わりつつある。規制緩和、法人や富裕層への減税、国有企業の民営化、レッセフェール(市場放任主義)を軸に「小さな政府」を目指したが、新型コロナ禍による格差拡大によって、各国とも新自由主義の「負の側面」を無視できなくなった。

小さな政府から大きな政府への大転換

――バイデン米大統領が打ち出した富裕層増税や法人税増税、200兆円の経済支援策は明らかに「大きな政府」を目指していますね。

「実は米国は、トランプ政権の時から『大きな政府』に変わったのです。トランプ政権も減税はしましたが、財政支出を増やしたので大きな政府と言えます。オバマ政権でも、リーマンショックで一時的に『大きな政府』になりました」

「いまグローバル規模で、小さな政府から大きな政府への大転換が起きています。米国では1800年代から古典的自由主義で小さな政府でしたが、1929年の大恐慌をきっかけに、ケインズ主義を取り入れ、大きな政府になりました」

※ケインズ主義: 英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズによって確立された。本質的に不安定な市場経済を安定させ,適切な雇用と所得を達成するためには,政府による積極的な財政支出が必要とする政策イデオロギーのこと。古典的な自由放任主義の教義に対する批判として確立された。

「ケインズ主義は財政支出で経済を回復させましたが、70年代にインフレや財政赤字が膨らみ、そのケインズ主義がを否定する形で『新自由主義』(レーガン・サッチャー体制)が生まれたのです」

■リーマン後に『新ケインズ主義』が台頭

――新自由主義の下でグローバル経済が進み、米国も大量のドルを刷って海外に供給すようになりました。

「こうしたグローバルなドルの垂れ流しは世界経済特にアジア経済を大きく押し上げましたが、金融バブルという副作用をもたらしました。2000年にはITバブルが崩壊、金利は低下して、需要が不足しリーマンショックが起きたのです」

「リーマンショック後は中央銀行の関与を強め、政府は量的金融緩和を打ち出します。金融も財政も政府の関与を大きくした『新ケインズ主義』が台頭したのです。バイデン政権は、金融だけでなく、財政を膨らませようとしています。究極の『大きな政府』の時代に入ろうとしています」

低金利は2000年から続いています。日本も世界も、最大の問題は金利の低下です。お金を貸したい人ばかりで、借りたい人がいない。本質的な問題は、貯蓄余剰と購買力の先送りなのです」

「余っているお金で経済を回さないといけない。それに対応したのが『量的金融緩和』です。ゼロ金利でこれ以上利下げの余地がない時に量的金融緩和により株価や不動産などの資産価格を上げて、需要創造を起こそうとしたのです。バーナンキの政策をいま、世界中が踏襲しているのです」

――ところが新型コロナ禍で、一層の需要不足が顕在化しました。

「需要を作り出すためには財政出動しかありません。この財政資金需要に中央銀行は量的金融緩和で対応しました。つまり、新型コロナ後の量的金融緩和は合理的なのです」

――健全な需要をつくるためには、中間層が重要な役割を果たします。しかし新型コロナで格差が広がり、中間層が打撃を受けてました。

「世界経済はコロナ前からデフレリスクとゼロ金利という病にかかっていました。それは貯蓄余剰と需要不足によるものと言えます。それが起きる理由は、生産性が高まり、供給力が増えているからです。供給力が増えているのに、貯金ばかりを増やして、需要を増やさなかったのです」

「貯蓄余剰はコロナ前から起きていました。貯蓄余剰が起きる背景には、グローバリゼーションとIT革命があります。IT革命で従来の工場労働者の雇用が失われたのです」

「そこでトランプ大統領がアンチグローバリゼーションと言い出し、それが没落する中間層に受けたのです。

■「トリクルダウン」が無理なら、政府がやるしかない

――富める者が富めば、貧しいものにも恩恵があるという『トリクルダウン』をバイデン大統領は明確に否定しました。

「トリクルダウンが無理なら、政府が救済するしかありません。貯蓄余剰と需要不足の問題を解決できれば、新たな雇用が生まれます。過去200年で、農業の生産性は50倍増えました」

「ところが、食欲を50倍に増やさないと消費できないのです。このように、各分野には需要の上限があるのです。産業構造の変化に合わせて、新たな需要創造もしないと失業者を救えません」

「これは本来は民間でもできることです。ただし、民間が明日からさらにやろうとしても難しい。だから政府の役割が増しているのです」

――だから米国政府が積極財政に転じたのですね。

「バイデン大統領は、コロナが起きる前から、政府の支出で雇用創造することを訴えていました。これは正しい主張です。さらに、余剰貯蓄と雇用創出をグリーン革命で結び付けた。これは評価できます」

「しかし、日本の政府は方向性を変えていません。日本は相変わらず『小さな政府』志向で、プライマリーバランス(財政均衡)しか強調しません。今は、貯蓄を需要に結びつけることが必要なのです」

■新自由主義による急激な変化に対応できなかった

――日本ではいまだに新自由主義が続いていると思っている人が多いようです。しかし、新自由主義はすでに崩壊したと言ってよいのでしょうか。

「新自由主義は、規制緩和によって、民間の創意工夫を促進していく仕組みです。国鉄などを民営化した中曽根内閣がまさしくそうでした。しかし、産業革命ともいえる急速な技術発展に新自由主義は対応できなかったのです」

「本来は政府が動かなくても、民間で正しい分配ができれば良いのです。政府がセーフティーネットをつくり、民間が時間をかけて産業構造やライフスタイルに合った需要創出に取り組むべきでしょう」

――労働時間のさらなる削減も必要ですね。

「100年間で生産性は10倍に上がったが、労働時間は減っていません。劇的な生産性向上に対する労働時間の硬直化が課題です。供給力が増えても、消費する時間が少ないので、消費できない状態が続いています」

「労働と消費のアンバランスさ、ワークライフバランスのいびつさも顕在化しました。これが、貯蓄余剰と供給力過剰の原因なのです。このままでは生産性が上がっても、時間がないので需要は一向に増えません」

「労働時間を少なくすることで、消費を増やし、その結果、新たな産業を起こし、 あまった労働力をその産業にシフトする。バイデン大統領は、これを再生可能エネルギー産業でやろうとしているのです」

武者 陵司 (むしゃ りょうじ)
株式会社 武者リサーチ 代表
ドイツ証券株式会社 アドバイザー

1973年 横浜国立大学経済学部卒業後、大和証券に入社。
1988年大和総研アメリカでチーフアナリストとして米国のマクロ・ミクロ市場を調査。1997年ドイツ証券調査部長兼チーフストラテジスト2005年ドイツ証券副会長を経て、2009年 株式会社武者リサーチを設立。

日経電子版(カリスマの直言)、日経産業新聞(眼光紙背)、WILL、Voice、四国新聞社、月刊資本市場、投資経済、統計、外為どっとコム、BLOGOS等にレポートやコラムを寄稿。テレビ朝日、BS11、日経CNBC、BS東京モーニングプラス、BSフジプライムニュース、ストックボイス、ラジオNIKKEI、文化放送等にコメンテーターとして出演。

主な著書『新帝国主義論』(東洋経済新報社)、『日本株大復活』(PHP研究所)、『「失われた20年」の終わり地政学で診る日本経済』(東洋経済新報社)、『超金融緩和の時代』(日本実業出版社)、『結局、勝ち続けるアメリカ経済一人負けする中国経済』(講談社+α新書)、『史上最大の「メガ景気」がやってくる』日本の将来を楽観視すべき五つの理由(KADOKAWA)、『アフターコロナV字回復する世界経済』(ビジネス社)