2021年6月、日本で初めてのLGBTに関する基本法となることを期待された「LGBT理解増進法案」が、自民党内部の議論で頓挫し、成立しなかった。少数派に関する法整備が遅々として進まないのはなぜだろう。

この6月は、希望と失望の両方を味わった月だった。中身は不十分ながら、与野党がやっと合意した「LGBT理解増進法案」。それが自民党内の会議で時間を浪費し、その会議の中で「LGBTは種の保存に背く」など、国会議員として今時信じられないような差別発言があったことが報道され、挙句には党三役預かりという奇妙な形で国会会期が終わり、結局、成立しなかった。

何とも言えない徒労感の中にも、希望はあった。与党議員の差別発言に対して、謝罪を求める署名が10万筆近く集まり、楽天の三木谷社長が代表理事を務める新経済連盟からも法案の推進を求める声明が発表された。

近年、LGBTに関する裁判が次々と起き、個人のLGBTからの法律相談も広がっている法曹界の動きは早かった。

元最高裁判事の鬼丸かおる弁護士らが呼びかけた声明には弁護士等1285人の法曹関係者が名を連ね、東京弁護士会など各地の弁護士会も声明を出した。明確に性的指向による差別を禁じたオリンピック憲章にも違反する、先進国として恥ずべき日本・東京の状況は、ニューヨークタイムズなどの海外メディアから英語で発信され、世界に知られることとなった。

英国や米国ではLGBT外交官も

では、LGBTに関する先進国はどういう動きをしているのか。私は7月6日から7日にかけてオンラインで行われた、Equal Rights Coalition(ERC)という政府とNGOによる国際会議にNGO側で出席した。イギリスが現在のホスト国で、世界の42ヵ国が加盟しており、日本以外のG7参加国はすべて政府として加盟している。

ERCでは、LGBTは新型コロナウイルスの感染拡大でより深刻なダメージを受けたマイノリティグループの一つであり、その回復に向けた世界的取り組みを、加盟国が資金を出し合って後押ししようというメッセージを出していた。

自国での法的整備が一段落した先進国は、未だLGBTであることが違法な国に対して人権外交として働きかけを強めようとしており、イギリスやアメリカではLGBTに関する外交官が任命されていた。この会議の中、周回遅れの日本は、悲しいまでに存在感がなかった。

現在、各種の世論調査でLGBTに関する法整備に賛成する人は過半数を超えている。ただ世代によって違いがあり、朝日新聞の調査では、同性婚への賛成は20代で86%、30代で80%だが、年代が上がるにつれて割合が下がり、70歳以上では37%である。全年代を平均すると65%だ。

世代別の世論調査結果に、前回の衆院選の投票率と人口分布を加味して独自に試算してみたら、投票に行く人の62%が同性婚に賛同する、という結果になった。これから自分や友人たちが結婚する「当事者」である若い世代は8割以上が同性婚に賛同しているというのに、若い世代の投票率の低さがその影響度をやや下げているように見える。

とはいえ、それでも全体の過半数が賛成であり、さらに札幌地裁では同性婚ができない現状の民法・戸籍法に違憲の判決も出たのに、一向に立法府で議論が進まない。何故なのか。

衆院選、最高裁国民審査は「誰かの靴を履いて」判断を

影響を受ける「当事者」が、若者やLGBT等の「少数派」である時、判断基準として軽視されがちなのかもしれない。

例えば、7月の東京都議会議員選挙では、都立高校の男女別定員に対して、自民党の議員は「見直す必要なし」という回答をした。候補者でこれから高校に行く「当事者」は多分いない。有権者は18歳以上であるから、有権者にも少ないだろう。

もし、自分がこれから高校入試の女性という立場だったら、この状況に納得できるだろうか。自分が当事者でなくても、せめて、その立場を想像できる人、「誰かの靴を履いてみる」ことができる人なら、「見直す必要なし」という冷たい回答にはならないだろう。

6月23日、選択的夫婦別姓に関して、最高裁の出した「合憲」判決にも似た感想を持った。15人の最高裁の裁判官は全員60代。女性は2人。これから結婚する、姓を変えることを決断しなくてはならない「当事者」がいるだろうか。司法でさえ、判断する側の多様性の度合いがあまりに低いと、本当に信頼していいのか分からなくなる。

次の衆議院選挙、最高裁裁判官国民審査は、LGBTの権利獲得にとって、かつてないほど重要だと私は考えている。同性婚に関する最高裁判決を書くかもしれない裁判官、立法を実現するかもしれない議員を選ぶ機会だからだ。同性婚や夫婦別姓は、主にこれから結婚する若い世代が主な「当事者」で、関心が高いテーマかもしれない。しかし、若い世代の未来への希望は、すべての世代にとって大事なことだと私は思う。

すぐに国会議員や最高裁裁判官の多様性の度合いを上げるのは難しいかもしれない。私たちにできることは、選挙権がある人は投票に行くこと、「誰かの靴を履いて」考えられる人を選ぶことだ。