10代女性がリードする、村の無農薬栽培プロジェクト(2)

記事のポイント


  1. 医師の名知仁子さんは、ミャンマーで医療と農業の支援に取り組んでいる
  2. 支援する村の一つ・ダボチョン村で無農薬野菜の栽培プロジェクトが始まった
  3. 16歳の女性がリーダーで、大人のメンバーに知識や技術を伝えている

16歳の女性がリーダーとなって、無農薬野菜栽培プロジェクトが動き出した。新たに加わったメンバーは自分の父親・母親ぐらいの年齢で、しかも農業の経験がほとんどナシ。そこで彼女は、目を見張るリーダーシップを発揮した。(NPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会「MFCG」代表理事・医師・気功師・名知仁子)

ヤシの葉を前にプロジェクトメンバーと。左から3人目が筆者(写真:名知仁子)

前回記事から続く。「みんな手伝ってくれない」という16歳の女性の訴えを聞いたダボチョン村の住民4人が、無農薬野菜栽培プロジェクト「コミュニティ・ガーデン」への参加に名乗りを上げてくれた。

応募者の面接は1人1時間以上かけて行い、先に参加した村人3人に同席してもらった。彼らこそがプロジェクトの主役であり、応募者と協働できそうかを判断してもらうためだ。

ミャンマーでは1カ月歳上でも尊敬の対象になるので、16歳の女性をリーダーとして尊重できるのかも判断のポイントになる。応募者4人のうち3人は農業の経験がほとんどなく、しかも50代だった。

正直言って、私は不安の方が大きかった。しかし彼女の言葉を聞いて、驚きと同時にうれしさを隠せなかった。「大人は私たちより人生の経験があるから、私はきっと何かしら学ぶことがあると思う」と、彼女は言い切ったのだ。面接の結果、全員が「合格」した。

農業経験がほとんどない3人の指導は、先に参加したメンバーが担う。彼ら・彼女ら自身が講師となって、身につけた技術や知識を伝えるのだ。誰がどの章を担当するかも、事前に決めてもらった。教えることは何よりも学びになる。

16歳の彼女の教え方は群を抜いていた。ミャンマーの学校では先生が一方的に教え、生徒はひたすら暗記するのが当たり前だ。それを彼女は、新メンバーから質問を受け、双方向で進めた。これにはプロジェクトメンバー全員が驚きと同時に、尊敬の念を抱いた。

彼女は高校生で、将来の夢は看護師になること。しかしコロナ禍と2021年2月の政情変化により、夢は絶たれたままだ。現在は学業と農業の二足草鞋で頑張っているが、家族からは家計を助けるために学校を辞めて働いてほしいと言われている。

彼女が学校を続けられるよう、基金を設立しようか。私は密かに、そう考えている。 

MFCGは2022年6月で活動10年を迎えました。10周年を記念したTシャツもご用意しています。詳しくはMFCGホームページ

Satoko Nachi

名知 仁子

名知仁子(なち・さとこ) 新潟県出身。1988年、獨協医科大学卒業。「国境なき医師団」でミャンマー・カレン族やロヒンギャ族に対する医療支援、外務省ODA団体「Japan Platform」ではイラク戦争で難民となったクルド人への難民緊急援助などを行う。2008年にMFCGの前身となる任意団体「ミャンマー クリニック菜園開設基金」を設立。15年ミャンマーに移住。

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