■小林光のエコめがね(38)■
2月半ば、環境対策の視察と意見交換のため、オーストラリアとシンガポールに行った。主目的は脱炭素対策の最新動向を探ることであったが、ネイチャー・ポジティブに関心を寄せるこの欄では、温暖化対策と自然保護対策のネクサスの観点から、南オーストラリア州での、洪水の有効利用の事例を報告したい。
訪問したのは、南オーストラリア州の州都アデレードから、空港の方へ30分ほど車を走らせた郊外。そこに「オークランズ湿地公園」がある。
写真1のとおり、湿生植物や水鳥にあふれた自然の土地だ。しかし、ここは、もともとは、自動車の走行性能試験を行っていた国有地であって、湿地などでは全くなかった。この3ha弱の土地の使い方が大きく変わる契機となったのは、2000年初頭にオーストラリアをたびたび襲った大旱魃である。
農業や生活などの必須の水用途に水資源を充てるため、庭の灌漑用水などは劣後させるしかないが、そのことがまた、渇水の被害を大きくする。何か、灌漑に使える水資源はないか、と考えられて、白羽の矢が立ったのが、洪水であった。
この試験場の脇には、かつては小川だったものを三面張りにした人工のクリーク(写真2)があって、その上流にあるダムの洪水流量の余水吐となっていた。その先は海であって、護岸はコンクリ。大雨の濁流を市街地には流れ込まさせず一刻も早く海へ排出する、そうした、よくある洪水対策のための人工水路になっていた。
ここを流れる洪水を善用しよう、すなわち、洪水を前述の自動車試験場の地下へ導き、乾季まで貯留して、乾季が訪れれば地下から汲み上げて、周辺の、芝生地、植栽地の維持のために散水しようとの計画が持ち上がったのである。
第一の目的は、灌漑用水の確保である。
そして、洪水は山土をはじめ、海の生態系を損なう多くのごみなどを伴っている。こうした洪水を貯留すると、海の生態系を壊す物を漉し取ることにもなる。したがって、海を守ることが第二の効用である。
幸い、自動車試験場の地下10数メートルには不透水層があって、水の貯留にはうってつけだった。かつては、自噴井まであったようだが今はすっかり枯れて塩分濃度も高くなり、地下水が利用されているわけではなかったが、農業用水への影響など様々なアセスメントを経て、工事が始まったのは2019年であった。
筆者が訪れたのは晩夏に当たる乾季。しかし、この洪水貯留池では、複数の池を水が巡っていた。冒頭に掲げた池は、最上流にある、いわば沈砂池に当たる池であり、順次、下流の池へ多少の落差をもって水を流がしていた。
小さな落差は、いわば曝気であって、水の浄化に大いに役立つので、全体がいわば大きな浄化装置ということもできよう。しかし、それだけでなく、ここでは、潤いに対する周辺住民の期待も大きく、水中の生態系も、水鳥ほかの水辺の生態系も、渇水のストレスを余り受けないような管理がされていて、かなり湿潤な景観、つまり湿地の生態系が維持されていた。
いわばオアシスのような豊かな生態系が現出し、定着したのであった。こうした自然への効用が三つ目の働きである。
この土地の地下に吸い取られて貯留される洪水は、年間計でおよそ40万立方メートルで、蒸発分などは失われるものの17万立方メートル強が、地下の給水管を通じて総計40ヘクタールの芝生などの植栽地へ配水されている。
この水は、従来であれば、上水を使っていた灌漑に置き換わり、上水の使用量を減らす。この洪水由来の灌漑用水は、しかし、無料ではなく、課金される。この課金収入で、洪水を貯留し、浄化し、配水するこの仕組みに係わる人件費やエネルギーコストを賄っている。初期投資には、州政府の補助金などがあったが、今や経済的には自立して、前述の3つの効用が発揮されているのである。なかなか優れものの取り組みであった。
自分として感じたことは、脱炭素や、それでも変わってしまう過酷な気候への適応は、人間の知恵や意欲が試される機会となっている、ということである。
今までの、化石燃料使いたい放題、それでもマイルドな気候に甘えていられた人類は、長年のビジネスモデルに固執すれば損失を深めてしまうことになるのである。他方、この機会に、積極的に新しい知恵を絞れば、今までとは全く違う、自然順応的な、それゆえレジリアントな世の中の仕掛けや仕組みが生まれるのである。
脱炭素やサーキュラーエコノミーに加えてネイチャー・ポジティブを求められ、三重苦と受け止める経営者もいらっしゃるかもしれないが、むしろ、そのいずれかに本質的な取り組みをすれば、ほかの項目の性能も自ずと上がっていく、といった三つの方向の関係になっているように感じるのである。
南オーストラリア州の後には、シンガポールでストップオーバーし、同国の環境取り組みを見学した。ここでも、無菌化した下水の三次処理水を水源池に戻すという異次元の取り組みが見られた。健全な生態系の働きを人類がなぞることこそが、結果的に、地球とうまく共生する方向なのだと思った次第である。