■フラッシュ・フィクション「こころざし」の譜(42)
成田を飛び立ったJAL機はロサンゼルスで給油した後、二十四時間かけてブラジルのグアリューリョス国際空港に到着した。
機内は混んでいた。前の座席の女の子が男の方をチラチラ振り返って「後ろのおじちゃんの目と足が変」と母親に向かって言ったので、「お嬢ちゃんだって年をとったらおデブになるよ」と笑いかけたら泣き出してしまった。眼下ではアマゾン川が熱帯雨林をひらがなのように蛇行していた。
そのアマゾン奥地へヘリコプターでたどり着いた。安くはなかったが、体が動けるうちに、かつてゴールドラッシュに沸いた露天掘りの金鉱山セーハペラーダにどうしても行かなくてはならない理由があった。
かつて、ここで大ぶりの金塊が発見された。あれはもう五十年近く前のことで、砂糖にたかる蟻の如く、ガリンペーロと呼ばれる何千人もの採掘労働者が目を血走らせて押し寄せた。一帯の土地が小区画に分けて売り出され、それぞれが勝手に金を求めて下へ下へと掘り進んだ。人間の欲のすさまじさは目の前に広がる巨大な穴が証明している。直径八百㍍、深さ百八十㍍はあろうか。
隻眼のがっちりした男はヘリを下りる時、義足を石につまずかせてよろめいた。冬だが日差しは強い。傾きかけた建物の入り口に短冊と紙人形をぶら下げた笹が飾ってある。剥げかかった看板は「黄金博物館」と読める。
「こりゃあ驚いた。足が悪いのにこんな所まで観光かい」
ピンガを飲んでいたパナマ帽の老人が険のある言い方で訪問客を迎えた。腰から銃をぶら下げたガードマンだ。
「最近の義足は高性能なんだ、大ジャンプだってできる。それにしても金鉱はずいぶんさびれたね」
達者なポルトガル語が返ってきたことにガードマンの老人は驚いた顔をした。
「あんた、外国人じゃねえのか」
「若いころ、この国で働いていたことがある」
「そうかい、ピンガでもどうだい。おごるぜ」
「ガラナにしておこうか。酒は身体に障る」
訪問客は片目を細めてガラナに口をつけた。「博物館に黄金の塊りはまだあるのか」。
パナマ帽は銃に目をやった。
「確かにあったさ、昔はな。何と言っても、ここで最初に見つかった金塊だからな。だが、警備が大変なんだ。悪い奴らがいつ襲ってくるかわかったもんじゃない。それでブラジリアの博物館に移されたのさ。ここにあるのは鉄に金粉をまぶしたレプリカさ」
ガードマンはピンガを飲みながら、問わず語りに話し出した。金が取れていたころガリンペーロたちは砂金を溶かした、山吹色のインゴットを手に毎晩のように酒盛りをしたりして、ここも結構、活気があったものだ。
そのころの話だが、シュシュというかわいい金髪の娘がいてな。ミナスジェライス州から一家で金目当てにやって来ていたんだ。年の頃は、そうさな、十八、九ってとこか。
色白でしなやかな腰と細い脚を持っているのに、胸はパパイアさ。男たちが騒ぐことと言ったら。そんな彼女に恋人ができた。日本人の好青年で、いい男だった。ガランと呼ばれていたな。シュシュがつけたあだ名さ。日系人は真面目だからブラジルではガランチードと呼ばれていた。「信用できる」というのが本来の意味だが、まあ、馬鹿正直というかお人好しというかちょっと揶揄した言葉でもある。
シュシュはもちろん本来の意味でガランと呼んでいた。彼に首ったけでね。いつも一緒だった。夜のバーでよく一緒にサンバを踊っていたものさ。
遠くを見ていた隻眼の訪問客がうなずいた。
「サンバはいいよ。時を忘れさせてくれる」
老いたガードマンは話を続けた。
ところがガランが突然、日本へ帰ることになったんだ。母親がガンでな。シュシュと結婚してブラジルに永住するつもりだったガランは迷ったが、シュシュの勧めもあって帰国したんだ。三か月後の七月七日にこの博物館で結婚式を挙げる約束をしてな。七夕というのか、日本じゃ恋人が再会するロマンチックな日らしいな。
ところがガランは戻ってこなかった。一年が過ぎ、三年がたち、十年目になっても博物館前にガランの姿はなかった。この間、シュシュは毎日、博物館へ顔を出してガランが来るのを、まだか、まだかと待ちわびていたんだ。
やがて、黄金の塊りがブラジリアへ移され、ガリンペーロの数も減っていったが、シュシュはこの地に残った。この博物館の清掃係として雇われたんだ。毎年、七夕には笹に短冊と紙人形を飾ってな。そのころ、ここへやって来たのが俺さ。博打の借金で首が回らなくなり、逃げ込んだ先がシュシュの家というわけさ。
その時、バターンと大きな音がして博物館の横手のドアが開き、脂肪の塊のような女がバケツとモップを持って出て来た。髪はボサボサで、老いたガードマンの傍までやってくると舌打ちをして「この老いぼれ、昼間から酒ばかり飲みくさって。ちったあ、働かんかい」
老人は苦笑いしながら片目をつぶった。
「あんた、よく見るとなかなかの男前だな。まさか日本人か。そういえば、きょうは七月七日じゃないか」
隻眼はうなずいた。「そうだな」。
「ところで、その目と足はどうしたんだ」
老人の問いかけに隻眼は静かに答えた。
「大きな交通事故に巻き込まれたんだよ。長い間、記憶も戻らなかった」
洗い場の方へ背中を丸めてトボトボと歩いていく掃除婦の後姿にかつての面影はなかった。その時、水たまりを避けようとしたのか、ビア樽のような体が左へ軽く跳んでステップを踏んだ。
ボックスのステップだった。1、2、3――。右足のかかとを浮かせ腰をひねってリズムをとる。ふたりで何度も練習したな、うまく踊れなかったが。
物憂げに片目を細めた男は老人を振り返った。
「もう帰るよ。おっと、その前に俺にもピンガを一杯くれないか」