実は「ソフトロー」の適用第一号は1790年代にまでさかのぼります。当時、東インド会社がカリブ諸国の奴隷を使用して生産した砂糖をイギリスに輸入していたところ、ロンドン市民による消費者の不買運動が活発化し、その結果、東インド会社はカリブ諸国からの砂糖の輸入を停止に追い込まれました。
つまり、「世界初の株式会社」である東インド会社に対して、ソフトローは早くも影響力を与えていたのです。
ソフトローによる企業リスクは近年、ますます高まっています。その背景には、特に若者(ミレニアル世代やZ世代)が、社会課題に取り組まない企業に対して厳しい視線を持っていること、SNSやインターネットを通じて、企業に対する評価を瞬時に共有できるようになったことがあります。
なにより企業にとって厄介なのは、ソフトローの基準は時代とともに変わっていくことです。20年前の日本は、過剰労働やサービス残業に対して今よりずっと寛容でした。セクハラやパワハラも同様です。
企業経営者は、こうした社会からの声や要請、意見に対して、今まで以上に真摯に対応することが求められています。ソフトローで間違うと、企業の存続そのものが問われかねない時代になったのです。
アダム・スミスは「神の見えざる手」と称して、「企業や個人が欲望のままに活動することに対して神の手が働き、最終的に最適化する」と結論付けましたが、21世紀の経済社会においては、社会的規範やモラル、社会からのニーズが「神の見えざる手」に大きな影響力を与え始めたと言って良いでしょう。こうした社会の規範も、ある意味で「神の見えざる手」なのかもしれません。