その中村さんは2000年の大干ばつを機にアフガンで活動範囲を広げ、井戸掘り、灌漑用水路の建設を始めます。重機を操る姿に志の高さを感じる一方で一抹の不安を抱きました。
アフガンに貢献したいという強い気持ちがいちNGOの枠を超えつつあるように思ったのです。今回の悲劇への予感でもありました。
ペシャワール会は2008年にスタッフのひとり伊藤和也さんが拉致、殺害されています。これを機に日本人スタッフは帰国したと聞いています。アフガンを支援している日本のNGOはいくつかありますが、日本の外務省は政情不安のアフガン国内に日本人を入れさせません。
パキスタンなど周辺国から「遠隔操作」させ、アフガン国内で活動するのは現地人スタッフに限定しています。日本人を含む外国人は武装勢力の標的になりやすいからです。しかし、中村さんだけはアフガンに残ったままでした。
灌漑用水路の建設ともなれば、それなりの費用、技術が不可欠です。実際、用水路建設はJICA(国際協力機構)との共同事業の形をとりました。非政府組織に寄せられた浄財だけでなく、2010年から日本のODA予算がつぎ込まれることになり、日本という国家の関与があからさまになりました。
非政府組織の強みのひとつは中立ということですが、それに影がさすことになりました。現政権を敵視する反政府勢力が、その後ろ盾になっている米国や日本をターゲットにする危険性はかねてから指摘されている通りです。
多額のODA資金が入り込んでいたバングラデシュで2016年、JICAの業務に従事していたコンサルタント7名が殺害されたダッカ襲撃事件は記憶に新しいところです。水利権の問題がこじれたのが中村さん殺害の理由ではという報道もありました。
もし事実なら、非政府組織の手にあまる難題です。アフガンの利権争い、複雑な政治事情に巻き込まれてしまったことになります。アフガン政府は日本人である中村さんを頼り、日本政府は現地に溶け込んでいる中村さんの協力を必要としたのでしょう。