【連載】アニマルウェルフェアのリスクとチャンス(9)
アニマルウェルフェアの問題は、「問題」のまま、改善なく東京オリンピック・パラリンピックは終わりを迎えた。アニマルライツセンターが大会前に最後のお願いとして組織委員会に出した要望に対して、組織委員会は、「様々な意見を聴取したうえで、持続可能性に配慮した調達コードを策定したと回答して、基準を上げることは拒絶した。(認定NPO法人アニマルライツセンター代表理事=岡田 千尋)
その結果、ロンドン大会、リオ大会では排除されていたケージ飼育の卵すら、東京大会は排除しなかった。採用された基準は緩く、畜産動物を管理する上でごく一般的な項目をチェックさせ、さらにはそのチェックは必ずできていないといけないというものでもなく、「改善に役立てればよい」という強制力のないものだ。
様々な意見があった中で、「一番容易にクリアできるレベル」を採用したのが今回の調達基準だったといえる。
アニマルウェルフェアはもともと必須だった・・・
2017年に組織委員会との話し合いを持った際にこう言われた。「アニマルウェルフェアという言葉が入った事自体が重要」。今回の回答にも同様の意見が書かれていた。
2012年ロンドン大会、そして、2016年リオ大会が、アニマルウェルフェアを高いレベルで規定してきた。その流れの中では、東京大会も当然アニマルウェルフェアを重視すると見られていた。
いまや畜産物を調達する上での必須事項となっているアニマルウェルフェア、GLOBALG.A.Pにも当然入っているし、「責任ある農業サプライチェーンのためのOECD‑FAOガイダンス」にも規定されている。アニマルウェルフェアという言葉が調達基準に入った事は、東京大会の成果ではないのだ。
東京大会の責任
アニマルライツセンターへの回答には、「オリンピック・パラリンピック競技大会を開催するために設立された時限的な組織であり、日本の畜産業界の発展の責任を担っている立場ではございませんが、東京大会の取組がきっかけとなり、アニマルウェルフェアに関する関心や取組が深まっていくことを期待しています」と締めくくられていた。
「東京大会がきっかけで」ということが仮にあるのだとすれば、それは東京大会への批判がきっかけで、ということだ。
実際、市民やアスリートからの批判がきっかけで、多くの人々、一部の企業がアニマルウェルフェアについて考えはじめている。問題を指摘するミッションを負っているNGOとしても、よくある社会変容の過程だととらえている。
でも、果たしてそれは正しい姿なのだろうか。
批判がなければ非倫理的なままでいいというのは、誰も見ていなければ何をしてもいいということに近い。
もちろん、健全な市民社会として、NGOや市民は、より広く監視をし、社会の誤りを指摘していかなくてはいけないが、目の届かないところ、隠されたところはある。物理的な密室状態で行われる畜産のような施設はとくに、監視の目が届かない。
それぞれの立場で、自ら動物への最低限の倫理的責任を果たそうという姿勢がなければ、人の言葉を持たない動物はずっと苦しみの中に取り残されるだろう。
オリンピックは単なるイベントとは違い、税金を投入し、本来なら良い影響が社会、環境、経済に還元されるべきもの。スポーツ自体も持続可能性にとって重要な役割を担うものと国連が定義している。
東京大会がその責任を果たしたのか。少なくともアニマルウェルフェアについては、その責任は放棄されたという厳しい評価になった。