日本でも近年盛り上がりをみせているフェミニズムと我々はどう向き合っていけばいいのか。本稿では、それを考えるうえで知っておきたい用語を前回に引き続き紹介していきたいと思う。今回は特に第四波といわれる今のフェミニズムの盛り上がりとともに生まれたり、注目されたりするようになった用語を中心に紐解き、現在起きているフェミニズムの特徴について考察していきたい。なお、紹介する用語はいずれも定義が多様であり、ここで紹介するのはその一例であることを注記しておく。(伊藤 恵・サステナビリティ・プランナー)

■その上から目線「マンスプ」かも?

美術館へデートに行けば、聞いてもいないのに男性に作品の背景や歴史を延々と解説された。子育て中、お惣菜や冷凍食品を使った夕食にすると「母親なのだからご飯はちゃんとつくるべきだ」と批判された。こんな経験をした女性は多いのではないだろうか。

実はこのような行為を定義する言葉が存在する。それが「マンスプレイニング」(mansplaining)だ。「man(男性)」と「explain(説明する)」を組み合わせた造語から生み出され、オックスフォード英語辞典にも掲載されている。

「マンスプレイニング」は上記の例のような「女性は男性よりも知識がない」といった偏見や、「女性はこうあるべき」という固定観念のもと上から目線で説明してくる行為のことを指す。

一昨年に話題になった「ポテサラ事件」を覚えているだろうか。スーパーのお惣菜コーナーでポテトサラダを買う子連れの女性に対して、見ず知らずの男性が「母親なのだからポテサラぐらいつくったらどうだ」と発言し、その場にいた別の女性がSNSで投稿したことをきっかけに新聞やテレビなどのメディアにも取り上げられ大きな議論を呼んだ。

これも「女性だからこうあるべき」という固定観念を見ず知らずの人に押しつけた「マンスプレイニング」の典型的な事例である。

このような極端な事例ではなくても、例えば重要な会議で女性が発言しているのを遮って、女性にはわからないから説明してあげるとマウントをとり上から目線で話す。質問もしていないのに、一方的に知識を押しつけ、自分の方が知識は豊富だということを自慢される。

このような行為をされて、日常から違和感を抱くことは今までもあったかもしれない。それが最近はSNSを中心に、こんな「マンスプ」をされたと女性達が声をあげる傾向がみられるようになってきた。

この声を受けて、いままで無自覚にマンスプレイニングをしてきた男性もマンスプレイニングをしてこなかった男性も大いにとまどい、一部では「マンスプレイニング」という言葉自体が男性差別だという反論も起きている。

ここで大切なのは、「マン(=man)スプレイニング」と男性を表す言葉で構成されているが、すべての男性を否定しているわけではないということだ。すべての男性がマンスプレイニングをするわけではないし、そもそも「男性は説明したがり」「きちんと説明できることは男らしい」ということ自体、男性をステレオタイプに当てはめているといえる。

女性だけでなく男性も「男らしさ」という固定概念から自由になること。そして、男性VS女性という単純な二項対立に陥らずに、どうすればマンスプレイニングをなくしていけるかを冷静に話し合うことが解決の糸口になっていくのではないだろうか。

フェミニストの敵はフェミニスト?「ツイフェミ」とは

ツイフェミとは、「ツイッター・フェミニズム」。つまり、ツイッター上でフェミニズム活動をする人の意味で用いられる俗語・インターネットスラングだ。社会の様々な出来事に対して女性蔑視や性の濫用が含まれることをツイッター上で指摘し、しばしば炎上の原因になることから、過激な言動や偏った考え方を持っているイメージを抱かれている。

テレビCMなどでの男尊女卑的な表現への糾弾や、企業や地方振興キャンペーンなどで起用されたアニメキャラクターが、性的描写と見られる描かれ方をしていることへの批判など、最近炎上騒動として話題になったトピックスの中には、ツイフェミによる批判がきっかけになったものも多い。

そして注目したいのが、ツイフェミの批判対象は、上記のようなことに留まらず、フェミニストにも向けられているということだ。例えば、著名なフェミニストによる発言の一部を引用して「これは本来のフェミニズムとは言えない」「フェミニストを名乗る人が、あろうことか差別的発言をしている」とツイッター上で拡散させ炎上させていく。

なぜ彼女たちは、本来自分たちと同じ考えの味方であるはずのフェミニストをも攻撃してしまうのだろうか。

そこにはツイフェミである人々、個人個人が思う「フェミニスト」とはという固定概念が関係している。女性をジェンダーロールや固定概念に当てはめることに対して普段は否定しているにもかかわらず、フェミニズムのことになると「こうあるべき」という固定概念に自身が陥ってしまっていて、その規範からずれた言動をする人が許せなくなってしまうというものだ。

さらにSNS上の世界ではエコーチェンバー効果(歴史篇参照)も加わり、正しいか正しくないかを問わず、自身の考えをますます強固にしていってしまうという側面もある。

結果として、SNS上では問題の本質的な議論ではなく、一部分だけが切り取られた表層的、感情的で不毛な論争が数多く繰り広げられている。とある炎上案件では、火種になった論文が実はほとんどの人に読まれていなかったということもあった。

ここでも「男性VS女性」「フェミニストVS非フェミニスト」といった単純な二元論に陥っている傾向がみてとれる。そもそも限られた文字数で意見を表明するツイッターは議論に向いていないという意見もある。どちらが正しいか正しくないかということを争う論争ではなく、様々な立場から冷静に問題の本質を見つめ、ともに解決を目指す。そんな場がいま求められている。