「手話言語デー」に考えたい日本のマイノリティ言語

9月23日は、国連が定めた「手話言語の国際デー」だ。2017年12月19日に国連総会で決議されたその決議文では、手話言語が音声言語と対等であることを認め、ろう者の人権が完全に保障されるよう、加盟国が社会全体で手話言語についての意識を高める手段を講じることを促進することとされている。この手話は日本ではどのような存在になっているのだろうか。

「ありがとう」を表す手話

0.06%の人が使用するマイノリティ言語

日本には、日本語以外にも様々な言語を使用する日本人が存在する。外国から日本に移住してきた人だけでなく、日本で生まれ、日本で育っているが日本語以外の言語を使う人もいる。そのうちの一つが、「日本手話」である。日本手話は、日本語と異なる文法体系を持つ視覚言語である。

視覚言語という言葉はあまり知られていないので、補足する。言葉は大きく分けて「話し言葉」と「書き言葉」に分けられる。「話し言葉」は日常的な生活の中で会話に用いられる言語のこと、「書き言葉」は文字によって書き記す場合に用いられる言語のことで、書記言語とも言われている。

そして、「話し言葉」には、「音声言語」と「視覚言語」がある。その中でも、手話は、手や指、顔の表情などを使った視覚言語であり、音声言語とは異なる文法体系を持った独自の言語だ。手話には、音声言語である日本語に手話単語を一語一語あてはめていく「日本語対応手話」と呼ばれているものと、独自の文法を持つ「日本手話」があると区別されることもある。

大半の人は手話話者の存在に気づいていない。手話を話す人たちの数は、正確には把握されていない。諸説あるが、5〜8万人はいると言われている。日本人の人口は1億2千万人なので、手話の使用者はたったの0.06%しかいない。マイノリティ(少人数)言語と言われている。

手話を話している人なんて、見たことがない

手話で生活している私たちは、手話を話している人にはそれなりにすれ違う。では、手話を知らない人たちはなぜ気づかないのか。

手話を勉強しはじめたAさんは、1年が経つ頃、大きな駅で歩いていると、多くの手話を話す人たちとすれ違うようになったという。その後、先輩手話通訳者と空港を歩いていたら、その人はもっと手話話者をめざとく見つけていた。

人間は話すとき手を動かしている。これはジェスチャーと呼ばれている。ジェスチャーと手話は見た目があまり変わらない。ジェスチャーは声で話すのを補助する役目があるが、手話はそれ自体が言語だ。動きの質が違う。しかしその差は、手話ができるようにならないとわからない。

もちろん、電車やレストランでろう者の集団が隣に座っていて、長いこと話し込んでいたりすれば、それが「手話」であってジェスチャーでないと気づく人は多いだろう。しかし、都会の雑踏の中で、手話で話しながら通り過ぎていく人に気づくことは、手話を学んだことがある人にしかわからないことだ。

見えない障害

聴覚障害は「見えない障害」と言われている。聴覚障害は身体障害の一種だが、ほかの身体障害はどちらかというと「見える」障害である。

肢体不自由者は車椅子に乗っていたり、義足をしていたりするし、視覚障害者は白い杖を持っていたりする。一方で聴覚障害者は、移動に問題はない。中途失聴者であれば、違和感のない声でしゃべる人すらいる。でも聞こえていない。補聴器をつけていることがあり、それが目印になることもあるが、つけていない人もいる。

補聴器をつけていれば聞こえていると勘違いされることもある。補聴器が近視の人のメガネのように有効な人もいるが、「音の存在」に気づく程度にしか聞こえない人もいる。

ただ、人は音声によってのみ会話をしていないので、その場をやり過ごすこともできる。レジで「聞こえない人が来た」と気づくことなく対応している人も少なくないはずだ。コンビニでペットボトル飲料を買うのに、いちいち筆談はしない。

店での注文はどうしているのかと聞かれれば、複雑なことでないかぎり、メニュー表を指さしている。ややこしいときはレシートの裏に筆談したりする。電車が止まったときも、情報が得られなくて困ることもあるが、周りを見て流れに乗って行くことでなんとかなることも多い。

音声中心の会議では議論についていけないこともある(C)IGB

聴覚障害者はみな手話で話すのか

聞こえない人は手話で話すというイメージを持っている人もいる。逆に、聞こえない人は皆読唇ができると思ってる人もいる。それもすべて「人による」。

手話を身につける時期も、親がろう者だったら産まれたときからだが、親が手話を知らなければ、聾学校に入ったとき(幼児期や小中学校など)、口話(口で話す訓練)訓練をしてきて、青年期になってからという人もいる。聴覚障害者には高齢難聴の人も多いが、60代、70代になってから聞こえなくなった人はたいてい手話を話さない。

中途失聴などの場合は、日本語を身につけたあとに聞こえなくなるので、急に音声言語ができなくなるということはないし、先天的な聴覚障害者でも訓練で身につけられた人もいる。一方で、手話のほうが、会話についていきやすく、自分の言語として運用しやすいという人も多い。

手話は、ジェスチャーゲームのジェスチャーではないので、手話を知らない人に手話で話しかけても大抵通じない。だから、レジで「有料レジ袋はいかがなさいますか」と聞かれたとき、手話で「不要」とは答えないことが多い。ただ首を振り、持っているレジ袋を見せれば意思疎通はできる。そうやって手話話者である「ろう者」は日々を生きてるので、あまり存在を意識されることがない。

手話を知らない人とは手話で話さない。手話を知っている人同士だけで手話での会話は成立する。言語だから当然のことだ。

手話が見当たらない理由

多くの人々が「見えていない」理由は、そもそも見せていないからだ。手話は言語なので手話がわからない人にわざわざ手話で話しかけることはない。

では、手話での情報など要らないのかと言われたら、そんなことはない。第一言語(母語)を日本手話にしているろう者たちは、日本語の読み書きができないわけではないが、あくまで第二言語である。英語が流暢な人でも、病気になったときは日本語での説明が欲しくなるのと同じように、複雑な内容になるほど母語での情報が欲しいものだ。

「手話を使ってるのを見たことがない」という人は、「知らない人には見えない」言語だということを知ってもらいたい。見えない理由はいろいろ述べたが、知らないものをないものにしないでほしい。

見えないからといって、使っている人がいないわけではない。

手話が生まれた背景

ろう児が集まると手話が生まれる。日本でも1880年頃に明治時代に東京と京都に聾学校ができて、比較的裕福な家庭に生まれた聞こえない子どもたちが集まり、そこに手話はあったらしい。それ以前にも、江戸期にも寺子屋で手話が使われていたという研究をしている人がいるが、それとの連続性はよくわかっていない。

この手話の発生を現代の研究者が観察したのがニカラグアで、1980年頃聾学校が設立された。そこで集まった子どもたちのあいだで、ものの10年もしないうちに、細かいことまで効率的に話せる「手話」ができあがった。明治期の日本の聾学校でも同じようなことが起こっていたと考えられている。

聞こえなくても話せる

1880年頃、ヨーロッパやアメリカでは、聞こえない子どもたちにも声で話させようという口話教育の動きが活発になり、ミラノで行われた国際ろう教育会議で、口話教育を推進する方向に舵が切られた。電話の発明で有名なグラハム・ベルもその推進者のひとりだった。

日本はまだろう教育が黎明期で、幸いなことに1920年代までこの文化が取り入れられず、その30〜40年くらいのあいだに日本手話は全国に広まる猶予があった。1920年代になると、日本にも「聞こえない子に声を」という方向の教育がなされ、1933年には当時の文部大臣の鳩山一郎が口話教育への転換を命じることになる。

そこから手話は抑圧の一途をたどり、教室で手話を使うと手を縛られるなど、暗黒の時代を迎えた。

ミラノ会議の宣言や鳩山訓示につながる「好事例」は、先天的に聞こえなかった子どもが声で話せるようになった例だったのか、4、5歳まで聞こえていてある程度音声言語を獲得した後に聞こえなくなった例だったのかも定かではない。

ただ、聞こえるマジョリティ(多数派)の人々にとっては「聞こえなくても声で話せるようになる」ことは美談であり、そちらに投資する価値が高いと判断された。また、手話が言語であることが認められるまで1世紀余りの時間も必要だった。

それでも続く手話の継承

手話は、1960年から栃木聾学校で「日本語を教えるために」使われはじめた。その頃、地域のろう者コミュニティには手話があった。それを日本語を表示するために使おうというわけである。

この栃木聾学校の名物教師だった田上隆司は、手話を改良して、日本語を表示することや、ジェスチューノ(国際的に通じる手話体系)の推進者だった。手話を便利な手段として「改良」していくことに熱心だった。

栃木聾学校以外でも1990年以降は、聾学校で手話を教室で使うことが許されるようになった。教師の手話は日本語に合わせて手話単語を表出する、シムコム(Simultaneous Communication)であり、日本語対応手話と呼ばれるものだった。

一方で、聾学校の寄宿舎や、地域のろうコミュニティでは、それとは異なる「手話」が使われていた。

1995年には「ろう文化宣言」が出され、日本語を表示するための手話ではない、ろう者コミュニティで使われてきたものが「日本手話」なのだという主張がされた。半世紀以上にわたって聞こえない人たちから手話を取り上げようとしたり、改良しようとしてきた人たちがいたにも関わらず、手話はろう者のコミュニティで継承されてきて、現在に至っている。

マイノリティ言語に関する問題点

日本に存在しているマイノリティ言語を使用する人たちが、生活・教育・労働・文化などさまざまな分野で、人間らしく生きることが求められてきている。こういった人間らしく生きることは一般的に人権と言われるものであるが、その中でも特に、言語権というのがある。

日本では、ほとんどの人が日本語を使用しており、言語権について意識することは少なく、時には軽視されることも多くあるのが、問題である。その一方では、世界においては、マイノリティに関わる重要な課題の一つとして捉えられている。

2011年から2017年までマイノリティ問題に関する国連特別報告者を務めたリタ・イザック・ンジャエ氏(ハンガリー)は、任期中に言語的マイノリティの権利と課題について調査をおこない、2017年に、言語的マイノリティの人々が言語に対する権利を実現するための実践的指針をまとめた。指針は、政策立案者や権利保持者が活用することを念頭において作成されている。

指針は、言語に対する権利についての具体的な説明や、言語に対する権利を実現するにあたっての実践的な方法について述べている。

この指針をヒューライツ大阪という人権擁護団体が実践的指針から「指針の目的及び適用範囲」「言語に対する権利とは?」「なぜ言語に対する権利の実現が特に重要であるのか」の各章の日本語訳を公開しているので紹介する。

▼『言語的マイノリティの言葉に対する権利-実現のための実践的な指針』日本語訳(ヒューライツ大阪)

上の指針によると言語権の重要性は、以下の通り。

1) マイノリティの子どもたちの教育へのアクセスを促し、質を高める
2) マイノリティの女性の平等とエンパワメントを促進する
3) 資源のよりよい使用につながる
4) コミュニケーションと公的サービスを向上させる
5) 安定と紛争の防止に貢献する
6) 多様性を推進する

また、2022年8月22日から23日まで、スイス・ジュネーブで、日本の障害者権利条約の実施状況についての初めての審査(「建設的対話」という)が行われた。その中でも、手話の位置づけに関する課題は指摘されている。

日本の審査を担当したキム・ミヨン障害者権利委員会副委員長が、まとめの挨拶の中で、「手話が公式言語として認知されていないこと、これは難聴者、聴覚障害者には非常に重要なことだ」と述べ、日本政府に条約の全面実施に向け検討を求めたのだ。

委員会は9月9日に日本政府に対して総括所見(勧告)を出した。

●表現と意見の自由、情報へのアクセス(21条)
日本手話を国レベルの公用語として法律で認め、生活のあらゆる場面で手話へのアクセスとその使用を促進し、有能な手話通訳者の訓練と利用可能性を確保すること(仮訳)

国際基準に照らしても、言語である手話に人々がどう向き合うかが問われている。

言語権は、インクルーシブ社会・共生社会を実現させるためには、重要な要素である。日本社会全体はマイノリティ言語にもっと関心を持つべきだ。「気づくこと、気づかないからといってないことにしないこと」と「あなたが気づかないその人達も、あなたと同等の権利を持っていること」を認識してほしい。そして、それがもはや当たり前のことになる社会が実現してほしいものである。

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伊藤 芳浩 (NPO法人インフォメーションギャップバスター)

特定非営利活動法人インフォメーションギャップバスター理事長。コミュニケーション・情報バリアフリー分野のエバンジェリストとして活躍中。聞こえる人と聞こえにくい人・聞こえない人をつなぐ電話リレーサービスの公共インフラ化に尽力。長年にわたる先進的な取り組みを評価され、第6回糸賀一雄記念未来賞を受賞。講演は大学、企業、市民団体など、100件以上の実績あり。著書は『マイノリティ・マーケティング――少数者が社会を変える』(ちくま新書)など。執筆記事一覧

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キーワード: #ビジネスと人権

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