神宮外苑問題: 環境アセスの限界とSDGsアセスの勧め

■小林光のエコめがね(29)■

今回のエコ眼鏡は、長文。お許しいただきたい。

東京の神宮外苑の再開発では、必要な行政手続きはすべて完了したようだが、しこりが残ってしまった。このケースを奇貨として、都市の再開発が、複数価値を積極的に高め、それゆえ満足度の高いビジネス、あるいはディールとして構想されることに役立つ、もっと確かな道筋を作れるのではと考える。

神宮外苑の再開発のイメージ

■環境アセスは重大な欠陥のネガチェック、そして参考意見に過ぎない

論者は、現役の行政官時代に、環境影響評価法に定める手続きの中で石炭火力発電所計画が撤回になるケースを2回担当した。2005年ごろと09年ごろのことだ。

環境影響評価法の下で、開発を是認しがたいとする厳しい環境大臣意見になるケースとしては、特に法定の条件が明定されている訳ではない。しかし、自分としては
⦁ 環境負荷を減らすための最善の入手可能な対策技術を敢えて採用していない場合
⦁ 開発により、希少な生物種など、その場所にしかないような環境要素が失われる場合
⦁ 国や自治体の環境保全に関する計画に適合しない事業内容である場合
――がそれに当たると思っている。

前述の石炭火力発電所は、いずれも電力の小売りができるものだったので、国全体のCO2排出削減目標を担保できるか定かでないこと、つまり、この小売り企業が増やしてしまったCO2を他の発電所が代わりに減らしてくれる仕組みがないことが、③のケースにつながったのである。

そもそも環境影響評価の制度は、皆が無償で享受してきた外部経済たる自然環境の恵みをどこまで減らしても受忍すべきか、といった「ネガティブ・チェック」の制度であって、開発をする権利を制限するには、公益や(享受するのが正当と思われる)外部経済が相当に大きく失われると予測されることが前提になる。

したがって、他の場所では代替が効かない希少な自然環境要素の存続に不可避のダメージを与えるとか、環境基準を超えるような汚染が生じるとかいったロジックがないと開発否定にまでは行きつかない。

もう一つ重要なことは、環境影響評価制度は、開発の是非を最終的に決定するための制度ではないことである。仮に開発が環境保全面から是認できないと環境大臣が言おうが、開発自体の是非を決めるのは、その案件に対して最終的な許認可権を持つ役所であり、その大臣なりである。

言い換えれば、この制度は、様々ある公益の中であくまで環境面に限った意見、それも許認可権者を直接に拘束するのではなく、参考にしなければならないといった程度の性格の意見の形成を図るものなのである。

ちなみに、説明会や公聴会の手続きなどが環境影響評価制度の中には設けられているが、それは、いわば正確な情報を流通させ、収集するための仕掛けであって、開発の可否に関する合意形成の場ではない。

環境影響評価制度の運用に関する個人的な経験や解釈に照らして、今、関心を集めている神宮外苑の新ラグビー場や高層建物を建築する計画(写真上、規模は約17.5ha)の環境影響評価を見てみよう。

すると、どうも環境影響評価制度の思想や立て付けが、現実と合わなくなっているように思えるのである。

この開発計画の争点は、人手による植栽が長い年月を経て成長し醸し出した緑の環境が開発によって新しいものに置き換わり、そうした緑と古い建物とからなる街区の風情が大きく変わることを是とするか、非とするかという点にある。

別に、ここにしかいない希少生物種が絶滅するわけではない。緑地面積率や樹木本数だけで見ると開発によってむしろ増えるくらいである。所詮は人工物ではないか、との冷めた見方もできる。しかし、この街区の風情は、人工の環境だからと言ってもそのままの再生が可能なものではおそらくなくて、いわばここにしかない環境が開発のために変わってしまうのである。

神宮外苑のケースでは、大正以来100年の歴史の中で醸された緑と建物の風情を、環境影響評価法やその都条例で定める見方、すなわち、貴重な生物相や緑視率や騒音量、CO2吸収量などの尺度で測って、それが大きく棄損されないかを論じている。

つまりは、人々の関心と違う評価尺度が使われていて隔靴掻痒な気持ちにさせているのである。さらに、まちの街区には、それぞれに土地所有者はいるにせよ、天恵物とは異なって、市民の税金も各所に投じられて出来上がっている。

それこそ人工環境だから、市民にもオーナーシップ感覚があって、それがもたらしてきた便益が勝手に変更されてしまうことへの抵抗感は、自然が作った自然が開発される場合の抵抗感とは違うものがある。

敢えて言えば、まちのもたらす恵みを、自分たちから奪い取って、他の誰かに与えてしまう、といった分配面の疑心暗鬼につながりやすい、とも言えよう。

このように、市民の関心と環境影響評価法や同旨の条例の仕掛けとの間にはミスマッチがある。さらにそうした中で、環境影響評価で開発の是非が決まるとの思い込みや期待も根強いから、強いフラストレーションを感じる向きが出てくる。

■複眼的な「ポジティブ・チェック」が望ましい

論者の私見だが、都市開発のような、住民にもオーナーシップのある環境を改変する場合、狭い環境分野だけの、それも損失の程度だけで、その意思決定を行うには無理があると言いたい。

実際のところ、本件に関し近隣住民らが、環境アセスの不備などを理由に、工事の開始の認可の執行停止を求めた東京地裁での裁判では、工事着工を止めるまでのアセス書の不備は認められず、訴えは却下されている(裁判は高裁に移ると報道されている)。

では、無理のない意思決定をするにはどうすればよいのか。

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hikaru

小林 光(東大先端科学技術研究センター研究顧問)

1949年、東京生まれ。73年、慶應義塾大学経済学部を卒業し、環境庁入庁。環境管理局長、地球環境局長、事務次官を歴任し、2011年退官。以降、慶應SFCや東大駒場、米国ノースセントラル・カレッジなどで教鞭を執る。社会人として、東大都市工学科修了、工学博士。上場企業の社外取締役やエコ賃貸施主として経営にも携わる

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キーワード: #生物多様性

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