記事のポイント
- 北九州市は5月に2030年までの5カ年の生物多様性戦略を定めた
- 戦略には3つの基本目標から構成され、それぞれの目標が共鳴し合う
- ネイチャーポジティブを分かりやすく伝えるため「自然からの贈り物」を紹介
■小林光のエコ眼鏡(48)■
北九州市は5月、生物多様性基本法第13条に基づき、新たな「生物多様性戦略」を策定した。筆者は、昨年夏から同市の環境審議会委員として、この戦略案の審議と答申に関わってきた。今回の戦略で印象的なことの1つが、市民にとっての「分かりやすさ」の工夫だ。(東大先端科学技術研究センター研究顧問・小林 光)

北九州市の自然環境保全の基本となる計画の嚆矢は、2005年の「自然環境基本計画」。その後、08年の生物多様性基本法の制定を受けて、同年にはさっそく最初の生物多様性基本戦略を定めた。さらに10年、16年と改正を重ね、今回は、いわば第4次戦略である。本年から30年までの5年間の取り組みのための指針や枠組みを提供するものとして策定された。
その構造は、3つの基本目標、すなわち、①生物多様性を大切にする価値観の形成、②生物多様性の適切な保全と回復、そして③自然を活用した多様な課題の解決、のそれぞれの取り組みが他の取り組みを高め強め合い、そうした取り組みの好循環が都市の魅力を向上させる、というダイナミズムに置かれている。
このダイナミズムを発揮させて、都市の中にある自然(アーバンネイチャー)を積極的に活かし、より優れたものと(ネイチャーポジティブ)していくことを通じて都市と自然とのより高次の共生を目指そう、というのが戦略の狙いである。
そして、この戦略の価値あるいはアウトカムとしては、一歩先の価値観を体現するグローバル挑戦都市として北九州市を作っていくことにつながる、と説明している。筆者としては、生物多様性を回復向上させていくことの意義を、とても世俗的に、したがって、多くの人に理解できる形で説明している点で大変ユニークに感じた。

しかし、そうして具体化されていく地域経済は、実は、今ある経済の量的拡大版ではない。金融資本や人的資本、さらにはインフラといった社会的資本はこれまでも、資本として扱われ、その使用には対価が支払われて、その充実が目指されているが、生物多様性戦略が実現を目指す経済は、これらの資本に加えて、自然をも資本として位置づけ、それへの正当な対価を払ってその増進を目指す、今まではなかった新しい形のものである。
そして、この自然資本の増強によって、新しいビジネス機会が生まれ、企業価値が高まることが期待され、すなわち金融資本や人的資本などの増強も裨益できるのである。
こうした高邁な、いわば、人類史を画する新たな経済への移行ではあるが、それが以上のような語り口で説明されるのでは、到底、一般の人々の間でネイチャーポジティブな経済が膾炙することには結びつかない。
そこで、世俗的な説明の登場である。

北九州市の戦略の初めの方では、わざわざ見開き2頁を割いて、自然からの贈り物の数々を紹介している。いわく、おいしい北九州の鮨、豊前の一粒牡蠣、合馬の筍、一本鎗(ケンサキイカの活き作り)、関門海峡のマダコなどなどである。そして、これらの地元食材を大切にして地産地消を図っていくことが、当地の一次産業や観光の振興、そして地球温暖化対策にも資することが説かれている。これは、分かりやすいし、いかにもおいしそうだ。
このような分かりやすさは、施策や市民などに期待される取り組みの説明においても徹底している。
3つの基本目標は、それぞれ、その達成に役立つ、各々10から20の施策を従えていて、そうした施策で具体化されるであろう指標(KPI)を合計7つ、構えていて、進行管理される形となっている。
例えば、自然共生サイトへの登録数が現在1か所であるものを累計5か所まで増やすこと、生物多様性を保全する活動に参加する市民の割合を現在の約27%から50%に高めることといった按配で、大変分かりやすい。
筆者が特に印象付けられたのは、自然を活用して多様な社会課題を解決していこう、という第3の基本目標であって、ここのKPIは、ネイチャーポジティブ経営をする企業が現在ゼロであるのを30にまで増やそう、といったことに置かれている。
施策では、有機農業、温室効果ガスの森林による吸収のクレジット化、栽培漁業、グリーンインフラ活用、リサイクル業の振興、地ビール、ホタルの活用、食品廃棄物の有機肥料化などなどのきめ細かい取り組みが並んでいる。
北九州市の生物多様性戦略は、このように、難解なネイチャーポジティブな経済の姿を、人々の理解できるところに引き寄せるユニークな試み、と言える。市民や企業の元気が出ることを大いに期待したい。