コロナ世代の甲子園

 救われた気分で帰宅すると父は赤い顔をしていた。
「お父さんの学生時代のお友達がいらしたの。イタリアから里帰りしたとかでワインをお土産にいただいたのよ」母まで浮かれている。後で考えれば、ミラノ大聖堂とか最後の晩餐とかいう言葉が聞こえていたから、あのコロナ蔓延のロンバルディア州から来たのだろうが、その時は気にもとめなかった。
 そして、選抜が無観客になるかもといううわさが流れ始めたのだ。
 甲子園で汚名返上だ。絶対にエラーはしないぞ。太郎は全体練習はもちろん、その後も残ってひとりで練習をした。帰るのはいつも夜になった。
 そんなある日、父が高熱を出した。一応病院で検査を受けるという。その夜、帰宅して驚いた。母が玄関に仁王立ちになっている。
「お父さんのあのイタリアの友達が入院したって。おまえが感染者になったら甲子園に行けなくなってしまう。きょうから、叔父さんの家に泊めてもらって」
 学校では、監督以下野球部員が深刻な表情でテレビを囲んでいた。
「高野連が記者会見した通り選抜は無観客になりそうだ。中止になる可能性もある。どうなるか、コロナの状況を見て一週間後に正式に決定するらしい」
「監督、無観客の場合でもプロ野球のスカウトは球場に入れるんですか」神野だ。
「いや、無理だな。ドラフト候補のお前には気の毒だが」
 キャプテンが横から口をはさんだ。
「ドンマイ。お客さんなしでも頑張ります。しかし、大会途中で選手に感染者が出たらどうなるんですか」
「宿舎が一緒のチームメートも感染している可能性があるから、試合はできないな。そうなったら、大会も中止だろう」
 監督の説明に神野の顔がゆがんだ。
「中止だけは勘弁だ。なんとかなりませんか。ここまで頑張ってきたんだから」
 キャプテンが怒鳴った。
「神野、甲子園はお前だけのものじゃないぞ」

 その夜、叔父さんの家に母から電話があった。
「太郎、ごめんね。お父さん、やっぱり陽性だって」と泣いている。
 太郎は自覚症状はなかったが頭を抱えた。父親が感染者とわかり家族は自宅待機を求められているという。そんなことがばれたら、エラーどころの騒ぎではない。チーム内で袋叩きだ。しかし、自分も感染しているかもしれないのだ。黙っているわけにはいかない。一番怖いのは、一緒に練習をしている仲間も感染している恐れがあるという理由で、チームが甲子園の出場辞退に追い込まれることだ。どうしたらいいのだろう。
 それから太郎は悶々とした日々を過ごした。腹痛を理由に練習を休んだ。母からまた連絡があった。
「もうダメ。私も感染したの。あんた本当に大丈夫?」
 慌てて体温計を体にあてた。熱はなかった。咳もでない。それでも、両親が感染した以上、自分も感染しているのは間違いない。クラスターが発生しないようにみんなに打ち明けるほかない。

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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