桐の小箱と伎楽面

 翌朝、小箱の引き取りに向かった。電車で読んだ新聞で気になる記事があった。斎藤の会社が監督官庁の許認可を巡って不正を働き捜査当局が動いているというのだ。
「これか」市兵衛にはピンとくるものがあった。斎藤からの注文はいささか奇妙だった。桐屋野澤堂が老舗だとはいっても、社長室長がわざわざ注文してくるのは尋常ではない。しかも、「縦76㍉、横160㍉のサイズの薄い紙が30枚入る箱を」という内容であった。証書や特別な文書を入れる大きな箱は作ったことがあるが、そんな小さな箱は初めてだった。
 最高級の桐を使い表側には野澤堂の名前を入れること。やはり桐の箱といえば野澤さんですからなあ。うちの会社の名前?滅相もない。要らない、それは無用です。斎藤はそう念押しして豪快に笑った。
 驚いたのはその量だった。とりあえず1,000個欲しいという。日に30個作っても1か月以上かかる。そんなに沢山はとてもと渋ると、いくらかかってもいいからと引かない。仕方なく隠居している近所のじいさんに手伝ってもらうことにした。
 あの箱は何に使ったのだろう。あわてて隠そうというのはやましいことがあるに違いない。まさか。久しく覚えのない憤怒が内に暗くわくのを抑え切れなかった。
 社長室で斎藤は無愛想だった。
「まだ半分ほどしか使ってなくてね。500個ほど残っている。すぐ引き取って処分してもらえるか。それと、このことはくれぐれも内密に」
 市兵衛は一瞬黙したものの斎藤の目を見据え「少しお金を貸してもらえませんか」と突然、切り込んだ。斎藤は虚を突かれ、息を飲んだ。
「今朝の新聞見ましたよ。御社もいろいろ大変なようだねえ」
「野澤堂さん、一体、何のことで」
「斎藤さん、とぼけるのはやめにしましょうよ。あの小箱、これ用だろう」ドスのきいた声を部屋に響かせながら市兵衛は財布から取り出した札をかざして見せた。
 斎藤の顔が引きつり、醜くゆがんだ。

 間もなくして捜査当局の取り調べを受けていた社長室の社員が自殺した。会社の不正は官庁から政治家を巻き込む贈収賄事件に発展した。小まめに新聞をチェックしていた市兵衛はある日、興味深い記事を見つけた。この会社は以前から不正の噂があり、追及をのがれるため官僚や政治家、学者などに幅広く現金の付け届けをしていたと書かれていた。やはりという思いであった。
 依頼した300万円については、間もなく野澤堂の口座に振り込まれた。追いかけるように斎藤から電話があり、融資ではなく寄付ということにしてほしいと泣きつかれた。その方が社内的に処理しやすいのであろう。
 もう年の暮れが近い。今朝、思わず吐血した。前の晩、珍しく深酒をし真紀を抱いた。それが体に障ったのか。
「あなた、預金通帳に300万円が振り込まれていますけど」
「奇特な方が展示館の改修に寄付してくれたんだ」
「まあ、それはようございましたね。みなさん、お喜びになりますわ」
「何かのついでに、裏の蔵に放り込んである桐の小箱、あれみんな、焼いちまってくれるか。あっ、それと彫りかけの伎楽面もな」
「お面もですか?」
「仕方がない」
 面を彫る者は潔い心の持ち主でなくてはならぬ。自分にはもうその資格がない。市兵衛は降り始めた外の雪を眺めがら、苦い思いをかみしめた。      

(完)

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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