■alternative eyes(57)
オルタナ 84号をお届けします。 第一特集は「ウェルビーイング」がテーマです。 世界保健機関(WHO)の憲章 (1946年)による「健康の定義」において、「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあること」(日本WHO協会訳)として広まった概念です。
ここ数年、日本でも広まり、企業も人的資本経営の文脈において多用するようになりました。ただ、私には改めて問い直したいこともあります。それは、ウェルビーイングに向けての企業努力は当然ながら大事だとしても、社会や国家を統治するものとして、政権トップが常にウェルビーイングに沿った政治判断をすべきではないか、という点です。
ウェルビーイングが「社会的にもすべてが満たされた状態」だとすれば、その対極にあるのが「戦争」や「武力行使」です。米国は2月28日、突然イランを攻撃し、同国最高指導者だったハネメイ師を殺しました。この原稿を書いている3月11日時点においても、その武力行使は止まらない様相です。
米国はそれに先立つ1月2日、ベネズエラを侵攻し、マドゥロ大統領 (当時)を拉致し、政権を転覆させました。国連決議も米国議会の承認もない、トランプ政権の勇み足が続きます。ウクライナ戦争も出口が見えない泥沼化が続きます。
これら政治トップの正しくない判断こそが、地球市民のウェルビーイングを脅かす存在であり、地球上から戦争や武力紛争が無くならない限りは、地球規模のウェルビーイングはあり得ないと考えます。 これは単なる「きれいごと」でしょうか。「止むを得ない戦争もある」と肩を落とすしかないのでしょうか。ただ、私たちは、ビジネスパーソンであれ、研究者であれ、公務員であれ、戦争や軍拡に明確に反対する姿勢を見せない限りは、ウェルビーイングを語るべきではないと考えます。
SDGsの前身であるMDGsの成立で中心的な役割を果たしたコフィ・アナン国連事務総長(当時)は2006年、国連責任投資原則(PRI)を採択させ、その中に初めて「ESG」(環境・社会・ガバナンス)という概念を盛り込みました。2015年に日本のGPIF(年金積立金管理運営独立行政法人)PRIに署名したことで日本にも急速にESGの概念が広がりました。
アナン氏がPRIを仕掛けたのは、「貧困や気候変動など世界的な社会課題を解決するためには、投融 資などお金の流れをサステナブルな方向に変えなけ ればならない」と考えたからだとされます。
紆余曲折はありましたが、アナン氏の思惑通り、企業行動はサステナビリティを軸に大きく変化してきました。トランプ大統領の反ESGや反DEIにも、米国企業の多くは信念を曲げませんでした。
政治トップが戦争など大きな判断ミスをするのに対し、企業は株主や従業員を含むステークホルダーによる監視もあり、サステナビリティやウェルビーイングに対して忠実な姿勢を取るようになりました。あとは政治トップの行動変容を期待するだけです。戦争だけでなく、国民の貧困解決や生活水準の向上は政治トップの責任です。あらゆる国でインフレが国民の生活を脅かす中で、防衛費に偏ることなく、公正な分配がなされることも問われます。
世界経済フォーラム(WEF)の調査によると、ウクライナ国民の80%近くが、常にストレスや不安を抱えながら生活しており、メンタルヘルス上の重圧が国民の大きな負担になったそうです。それだけでなく、戦争がメンタルヘルスに及ぼす負担は、ウクライナ以外の国でも生じました。ウェルビーイング実現への起点は、平和であることであるとの思いを新たにしました。



