記事のポイント
- TISFDは人権・不平等を企業開示に組み込む新たな国際枠組み
- サプライチェーンの人権課題を「システムリスク」として捉える視点を提示
- 開示を目的化せず、「当事者の声」を起点とした企業経営が求められる
今年5月、不平等・社会関連財務情報開示タスクフォース(TISFD)は開示フレームワークのベータ版を発表した。TISFDは、人に関する課題の理解と開示の在り方に一貫性を持たせるために発足したグローバルな開示フレームワークのイニシアチブである。これを通じて、よりレジリエンスのある持続可能な社会と経済を築くビジネス慣行や金融慣行を促進することを目指している。(弁護士・佐藤暁子)
ベータ版では、フレームワークの趣旨に引き続き、セクション3はコンセプトの基本、セクション4が開示に関する提案、セクション5では今後の進展をテーマに詳細が展開されている。
気候変動に関するTCFDと生物多様性に関するTNFDに続く、新しい開示フレームワークに対する「開示疲れ」を懸念する声は小さくない。しかし、ビジネスと人権の観点からは、TISFDが、開示を通じた人権デューデリジェンスの実効性を高めることに寄与することに期待したい。
TISFDは、国連ビジネスと人権に関する指導原則やOECD多国籍企業行動指針といった、ビジネスと人権に関する国際的なフレームワークを基盤とする。ただし、指導原則が事業活動に関連する人権侵害リスクを中心とすることに比べ、TISFDは、「不平等」「ウェルビーイング」「システムレベル」といった、企業活動による社会に対するインパクトをより俯瞰して把握することを求めている。
■脆弱な立場の人々を個別に考える
これは企業にとってどれだけチャレンジとなるだろうか。確かに、1社だけで、自社の活動がいかに社会の「システムレベル」に影響を及ぼしているかを分析することは容易ではないだろう。しかし、一方でこれはチャンスでもある。ビジネスと人権の取り組みを進めていくと、企業はどこかで壁にぶち当たる可能性が高いが、システムレベルへと視点を引き上げることで、その壁を乗り越えるヒントが見えるかもしれないからだ。
例えば、2次以上のサプライヤーで強制労働、児童労働といった人権リスクが見つかった、あるいは潜在的なリスクとして特定された場合、企業は何をすべきか。指導原則上は「直接関連」する人権リスクの場合、直接的な予防・軽減・是正策までは厳密には求められないが、人権を尊重する責任として自社の影響力を行使する。
このような深刻な人権課題は、既存の市場経済やガバナンスギャップという「システム」に埋め込まれており、影響力を十分に行使するためには、結局のところ、そのシステムリスクに向き合うことが必要となる。
TISFDは、垂直的・水平的不平等も重要なテーマとして取り上げる。人権デューデリジェンスでも、特に「脆弱な立場にある」ライツホルダーの人権リスクを検討することの重要性が強調される。
そもそも「脆弱性」という考え方もシステムに根ざしたものであり、その社会の文脈において、脆弱な立場に置かれる人々やコミュニティを個別具体的に考えなくてはならない。したがって、垂直的・水平的不平等を考える際にも、取り残されている脆弱なライツホルダーの視点が必要不可欠だ。
日本企業は、開示のフレームワークに沿った取り組みを進めることを得意とする一方、ともすると、経営も含めて「何のための」開示であるかという観点を忘れがちと指摘される。TISFDが提示する概念を実務において咀嚼し、開示できるデータや取り組みを積み重ねるためには、「当事者の声を聞く」という原点に常に立ち戻らなくてはならない。 どのような社会を作りたいのか、次の世代に何を残したいのか、そのビジョンの実現に向けた議論にこそ、TISFDは貢献できるはずだ。



