記事のポイント
- 2026年は「国連ビジネスと人権に関する指導原則」が承認されて15周年にあたる
- イタリア・ナポリで開催された「ビジネスと人権サマースクール」に講師として招待された
- 今後の15年に必要なことを他のスピーカーとディスカッションする時間となった
「国連ビジネスと人権に関する指導原則」が国連人権理事会において全会一致で承認されたのは、2011年6月16日。つまり、今年は15周年という節目の年となる。先日、イタリア・ナポリで開催された、「ビジネスと人権サマースクール」に講師として招待される機会を得た。そこでのクロージングセッションでは、これまでの15年を振り返り、今後の15年に必要なことを他のスピーカーとディスカッションする時間となった。(弁護士・佐藤暁子)
この15年間、人権DDやサプライチェーンマネジメント、ESG投資などを背景に、多くの企業が人権への取組みを強化してきた。一方で、人権をコンプライアンスやリスク管理の一項目として捉えるだけでは、本質的な変化につながらないという課題も見えてきた。企業が人権尊重に取り組むうえで重要なのは、人権を特別なテーマとして切り離して考えず、日々の意思決定や事業活動の中に組み込んでいくことである。
人権とは、国際規範や法制度だけを指すものではない。その根底にあるのは、人間の尊厳、平等、多様性の尊重、差別の禁止、そして人々が意思決定に参加する権利といった普遍的な価値である。たとえ「人権」という言葉を明示的に使わなくとも、職場でのコミュニケーションや取引先との関係、地域社会との対話など、あらゆる場面でこれらの価値を実践することができる。
こうした観点から、人権DDのプロセス全体で最も重要となるのが、「意味のあるステークホルダー・エンゲージメント(Meaningful Stakeholder Engagement)」だ。
■既存のビジネスモデルそのものを問い直す
企業も、従業員、取引先、地域住民、市民社会組織、投資家などとの対話の機会を設けているだろう。しかし、対話が単なる説明や情報提供など、形式的なアクションとして終わってしまうことも少なくない。関係者の声を聞くだけでなく、その意見を意思決定に反映し、人権リスクの予防、軽減、そして人権侵害の是正・救済に繋げることだ。
そのためには、「企業」と「ステークホルダー」という立場を超えて、一人の人間として向き合う姿勢が重要となる。事業活動による影響を受ける人々の経験や懸念に耳を傾け、その背景を理解しようとすることが、信頼関係の構築につながり、その信頼こそが、企業の持続可能な成長を支える重要な基盤となる。
さらに、人権課題への対応を進める中では、既存のビジネスモデルそのものを問い直す視点も必要だ。今日の人権問題や環境問題の多くは、個別企業の取組み不足だけではなく、コスト削減や短納期を優先するサプライチェーン構造、価格競争を前提とした市場環境など、より大きなシステムの中で生じている。そのため、問題が発生してから対処するだけでなく、事業のあり方そのものが人権リスクを生み出していないかを考える必要がある。
人権DDはそのための重要な手段であるが、それが目的となってしまってはならない。企業の取組みが、方針の策定やチェックリストの作成、報告書の公表といった「チェックボックス」と言われる形式的な対応にとどまってしまう。しかし、本来求められているのは、実際にどのような負の影響が生じているのかを継続的に把握すること、そのための仕組みを作ることである。
企業には、自らの取組みの成果だけでなく、直面している課題や限界についても透明性を持って説明することが期待されている。成功事例だけではなく、試行錯誤や学びを共有することが、業界全体の進展にもつながるはずだ。
ビジネスと人権は、企業に新たな負担を課すためのものではない。むしろ、事業活動が社会からの信頼を得ながら持続的に発展していくための基盤である。人権を事業の周辺課題として扱うのではなく、経営や組織文化の中心に据えることができるか。その問いに向き合うことが、これからの企業に求められる。
15年前と比べると、気候変動、テクノロジー、紛争との関わりといった課題へとビジネスと人権の領域は拡大するばかりだ。このような社会環境の変化に対応するためにも、指導原則は企業にとっての灯台である。そして、それを灯し続けることができるかは、私たち次第である。



