なぜ、経営者こそ「平和」について語るべきなのか

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記事のポイント


  1. 戦争や分断が現実味を増す中、平和や民主主義をきれいごとと見る空気がある
  2. 平和について語ることは、特定の政治的立場やイデオロギーを表明することではない
  3. 戦争や分断を前に、なぜ経営者は声を上げるべきなのかを考える

戦争や分断が再び現実味を増す中、平和や民主主義を語ることを「きれいごと」と捉える空気が広がっている。しかし、平和について語ることは、特定の政治的立場やイデオロギーを表明することではない。戦争や分断を前に、なぜ経営者は声を上げるべきなのかを考える。(サステナビリティ・ビジネス戦略家=磯貝友紀)

経営者は「平和」をきれいごととして、沈黙してよいのだろうか

■戦争や分断は、人・モノ・金を「破壊」に動員する

最近、社会全体に、一つの空気が広がっているように感じる。

これまでの平和主義や民主主義は甘かったのではないか。法の支配や合意形成など、平和と予見可能性を支えてきた制度そのものが、現実の力の前では無力なのではないか。

こちらが理想やルールを重んじている間に、独裁主義国家は国家を挙げて産業を育成し、ときにルール違反すれすれのやり方も辞さずに経済力を伸ばしてきた。力を背景に国境線すら変えようとしている。

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その現実を前に、「平和は理想論にすぎない。軍事力と経済力こそが現実であり、平和を語ること自体がお花畑なのではないか」という空気が、静かに広がっている。

私は、この感覚を一概に否定するつもりはない。現実の世界では、独裁や暴力が短期的に強い局面は確かに存在するからだ。意思決定は速く、異論は排除でき、資源を一気に動員できる。危機や戦争では、民主主義よりもはるかに強く見える場面がある。

「平和が大事だ」と唱えるだけでは、この現実には太刀打ちできない。しかし、だからといって、経営者はこの空気の前に沈黙していてよいのだろうか。

ユニリーバ元CEOのポール・ポルマン氏は、トランプ的な分断政治や民主主義の劣化、戦争を目の前にして、経営者は沈黙すべきではない、と繰り返し発信してきた。「CEOは、民主主義の侵食を前に黙っていてはならない」と。

戦争や分断は、一部の軍事産業や資源産業には利益をもたらす。しかし社会全体で見れば、人・物・金という限られた資源が「破壊」に動員されることを意味する。

破壊に投じられた資源は社会に蓄積されない。本来であれば教育や研究開発、医療、文化、民間投資、つまり成長へ向かったはずの資源が、対立という何も生み出さないブラックホールへと吸い込まれていく。

■予見可能性が失われれば企業活動もままならない

さらに深刻なのは、予見可能性が失われることだ。高度に相互依存した現代経済では、企業は未来をある程度予測できるからこそ長期投資を行い、人を育て、サプライチェーンを築くことができる。

法の支配、契約への信頼、国際協調、安定した外交関係――。これらは抽象的な理念ではない。企業活動を支えるインフラそのものだ。民主主義もまた、そのような制度を維持するための重要な仕組みの一つである。しかし、戦争は、その前提を根底から壊してしまう。

独裁が持つ短期的な強さは、様々な産業の多様な企業が安心して10年後、20年後に投資できる社会をもたらさない。法よりも権力が優先される社会では、契約も財産権も、企業活動そのものも、政治によって容易に覆される。

企業にとって重要なのは、未来を予測し、長期投資を行えることだ。独裁は短期的には優位に見えても、長期的な経済合理性において優位とは限らない。

平和とは、単に戦争がない状態を意味するのではない。企業が安心して長期投資を行える、予見可能で経済的に合理的な社会の基盤そのものなのである。

■反復ゲームにおける長期的勝利の法則

ここで思い出すのがゲーム理論である。

一回限りのゲームなら、裏切る者が勝つ。相手をだましてでも、奪えるだけ奪う方が合理的だ。もし世界が一度きりの取引の連続なら、「相手に奪われないように、だまし討ちする」方が強いだろう。

しかし、現実の企業経営や国家間関係は、一回限りでは終わらない。社員とも、顧客とも、取引先とも、地域社会とも、何十年にもわたって関係が続く。現実は、一度きりのゲームではなく、終わりの見えない反復ゲームなのである。

ゲーム理論が示した興味深い結論は、反復ゲームでは「ひたすら協調する者」も、「ひたすら裏切る者」も、最終的には高い成果を得られないということだ。

相手を裏切れば、次は相手から報復を受ける。報復の応酬が続けば、双方の利益は小さくなってしまう。他方で、「ひたすら協調する者」は、協調的な相手とはうまくいくが、裏切る相手には一方的に搾取されつづけ、負けてしまう。

だから長期的に最も高い成果を上げたのは、「まず協調し、裏切られたら報復し、相手が協調に戻れば自分も協調に戻る」というTit for Tat(しっぺ返し)戦略だった。

ゲーム理論が示しているのは、長期的に最も合理的なのは、相手を打ち負かす(=戦争)ことではなく、協調(=平和)へ戻る可能性を失わない戦略であるということなのだ。そして、そのような協調を支えるルールや制度こそが、長期的な繁栄の前提となる。

■チンパンジーとボノボから見る「本能還元主義」の誤謬(ごびゅう)

他方で、「争いは人間の本能だから避けられない」という「本能還元主義」的な主張も多く聞かれる。この問いを考えるとき、示唆的なのが、人類に最も近い2種類の類人猿、チンパンジーとボノボの存在である。

両者はDNAの98%以上を人間と共有し、約100万〜180万年前までは共通の祖先を持っていた。しかし、その後、コンゴ川によって生息地が分断されると、驚くほど異なる社会を発達させた。

チンパンジー社会では、オス同士が連合を組み、順位や縄張りをめぐる競争が目立つ。競争が予想される状況ではテストステロンが上昇し、状況を「優位性を競う争い」として捉える傾向があるとされる。集団の内外で致死的な争いが起きることも珍しくない。

一方のボノボは、同じ類人猿とは思えないほど異なる社会を築いている。メス同士の結びつきが強く、争いが高まりそうになると、遊び、一緒に食事を分け合い、身体的な触れ合いなどによって緊張を和らげる。そのような場面で、生理学的にもチンパンジーとは異なり、テストステロンではなくコルチゾールが上昇する。結果、致死的な争いはほとんど報告されていない。

ここで重要なのは、同じ祖先から分かれた二つの種が、環境の違いによってまったく異なる生存戦略を進化させたという事実である。

多くの研究によれば、彼らが異なる進化を遂げた理由は外的環境にある。チンパンジーの生息するコンゴ川北側にはゴリラも生息しており、資源競争が厳しかった。そのような環境下では、攻撃性が生存のための合理的な戦略となった。

他方、ボノボが生息するコンゴ川南側にはゴリラがおらず、食料も比較的豊富だった。その結果、メスが連合を組んで暴力的なオスを抑制できるようになり、結果、攻撃性の低い雄の個体が生き残る「自己家畜化」が進んだと考えられている。

つまり、「争いは人間の本能だから避けられない」という説明は、生物学的には単純すぎるということだ。攻撃性も協調性も、人類に備わった可能性であり、どちらが合理的な戦略になるかは、置かれた環境によって変わる。乏しく奪い合う環境では攻撃性が合理的になり、豊かで安定した環境では協調が合理的になる。だとすれば、争いは宿命ではない。

そして人間には、チンパンジーやボノボにはない力がある。外的環境そのものを、自分たちで設計できるという力だ。市場も、法律も、民主主義も、教育も、企業も、文化も、人間が作り出してきた環境である。

■経営者は沈黙してはならない

経営者が平和や、それを支える制度について語ることを、「政治的な発言」として避ける空気は根強い。さらに「平和や法の支配、合意形成に基づく意思決定など理想論であり、現実世界では争いや、多少の強引な法解釈、トップダウンの一方的な意思決定などは致し方ない」いうような「現実主義」を標榜する論調も主流化している。

しかし、現実には、抑止力を維持・強化しなければならない局面があることと、平和を目指すことは両立する。つまり、「現実主義」と「理想主義」は二者択一ではないことを忘れてはならない。

ゲーム理論が示すしっぺがえし戦略は、しっぺ返しをする能力をきちんと有した上で、協調への回帰の可能性を常に開いておくことが最も強い戦略であると示していた。足下で現実的な「しっぺ返し能力の強化」を進めながらも、協調を求め続けることを諦めてはならない。そして、ボノボの事例から、生物学的にも「争いではない生存戦略」を選択する可能性は人類に開かれていることが担保されている。

平和や、それを支える法の支配、契約への信頼、民主主義といった制度は、単なるイデオロギーではなく、経済成長を成り立たせるための重要な基盤であることを考えれば、それらは企業にとって「政治的課題」ではなく、「プラグマティックな要請」であることが分かる。

企業は、そのような平和と制度の受益者であるだけではない。それらを形づくる主体でもあることを忘れてはならない。こうした話題を「政治的」と遠ざけ、受け身に徹することは、自らの影響力を放棄することを意味する。その結果、不利な状況が訪れるのを、指をくわえて見守ることになるだろう。だからこそ、経営者はこれらの変化を他人任せにしてはならない。

戦争や分断が常態化すれば、一部の産業は利益を得ても、社会全体としては予見可能性が失われ、人・物・金は破壊へ向かい、長期的な成長は失われる。そのようなことが起きないように最も強く訴えるべきなのは、未来を予見し、長期投資を行うことの恐怖と果実の両方を知る経営者ではないだろうか。

ロシアでも、アメリカでも、イスラエルでも、そして日本でも、企業人が「このままではビジネスは大きくならない。社会全体が豊かにならない」と声を上げることは、政治的な主張というよりも、平和を支える制度基盤を守り、企業が成長できる土台を守るという、現実的な主張であり、経営者はその力を有しているはずだ。

しっぺ返しの能力を蓄えつつも、それを使わなくて済むように、私たちは知恵を絞らなくてはならない。それを他人任せにするのではなく、社会に強い影響力を持つアクターとして、経営者こそ平和について声を上げてほしい。

※この記事は、執筆者のnote「なぜ、経営者は平和について語るべきなのか」(2026年7月27日公開)をオルタナ編集部にて一部編集したものです。執筆者のnoteはこちらからお読みいただけます。

磯貝 友紀

磯貝 友紀

合同会社アースネスト代表、サステナビリティ・ビジネス戦略家、著作家。民間企業や世界銀行、外資系コンサルティングファーム、投資ファンドなどで、25年間、サステナビリティ・ビジネス、Good Growth(善い成長)を国内外で推進。環境にも社会にも良い事業で、ちゃんと儲ける、新しい資本主義のあり方を実践。経営xサステナビリティx哲学の融合を目指す。著書に『必然としてのサーキュラービジネス』、『SXの時代』(共著)、『2030年のSX戦略』(共著)、『いまこそ、本物のサステナビリティ経営の話をしよう』(共著)。東京大学哲学科卒業、東京大学哲学修士課程修了。

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