【連載】地球の目線2021(7)

ここ数年「大水害」が常態化した世界。日本でも特に2018年の「西日本豪雨災害」以降、水害や台風被害の規模が急拡大し、遅ればせながら地球温暖化が自分には直接関係ない「今世紀末の子や孫たちの問題」でなく「自分の人生で直面する課題」として認知されるようになりつつある。(竹村 眞一・京都芸術大学教授/オルタナ客員論説委員)

だが外から来る台風や洪水といった見えやすいリスクに比べ、私たちの社会が抱える内的な脆弱性に十分眼が向けられているとはいえない。「ニューノーマル」と言いつつ、いまだハザードマップで「早めの避難を」といった対症療法に始終している状況をリセットすべき時だ。それを「防災の三角形」というキーワードで読み解いてみたい。

いま世界地図をみると、大都市の多くが川の河口の湿地帯や海に近い沿岸部に集中している。だが、そもそも都市がこれほど「沿岸低地」(LECZ:Low Elevation Coastal Zone) に集中し始めたのは最近のことだ。

もともと主要な都市は、日本の平城京や平安京、西欧のパリやミラノ、中東メソポタミア文明の中心バクダッドなど、河川の中流域(内陸部)に位置していた。理由は簡単で、治水技術が発達する近世までは、洪水氾濫原の下流域の湿地帯になど危なくて大都市など作れなかったのだ。(江戸はその意味で人類史上初の「下流首都」である)

ところが近代、特に20世紀後半からは沿岸低地に都市が集中するようになる。なぜか?

河川管理や土木技術の発達もさることながら、何より経済のグローバル化で「港湾都市」の重要性が高まったからだ。(航空機時代のいまでも石油や食糧・木材・工業製品など重い貨物を運ぶ国際物流の99%以上は船=海路であり、港湾とそれに近い都市は国家経済の基幹インフラを形成している)

物流アクセスがよく、海が近いので気候も温和な低平地。でも、そこはもともと洪水リスクの高い場所で、海面上昇や高潮・津波の被害を受けやすい土地だ。繰り返し水害にやられて来た危険な区域として、地元の人が住むことを「避けて」きたような場所までが宅地や農地・工場用地に転用され、潜在的な水害リスクを高めている。

たとえば、新海誠『天気の子』のラストシーンで描かれた“豪雨で水没するTOKYO”ーーその水没ゾーンは、おもにスカイツリーの周辺、墨田区や江東区など東京東部のゼロメートル地帯だった。

「ここはもともと海だった場所なんだよ。だから元に戻っただけ・・なんて気もするね」と主人公に語りかけるおばあちゃん。浅草は“浅い草”、吉原は“葦の原”ーーともに湿地帯を表す地名で、ここがほんの数百年前まで荒川や利根川の氾濫原であった記憶を伝えている。

問題は、そこにどれだけ人口と社会資産が増えたか?という点だ。

「社会資産」「脆弱性」「自然災害」が「防災の三角形」

江戸期からすでに農地や歓楽街として開発はされ始めていたものの、東京五輪以降のこの50年で東京東部の沿岸低地の人口は60万から290万人と5倍近くに急増。

仮に戦後1947年に東京を襲ったカスリーン台風(このエリアがまさに「天気の子」で描かれたように数メートルも水没した)がいま来て、同じレベルの水害が起ったとしたら、その影響を受ける人口と社会資産=Exposureは数倍、また経済損失は当時の60億円の5000倍(30兆円超)と想定される。この70年余りで住んでいる人口の「高齢化」も進み、「木密」ともあいまって災害に対する「脆弱性」Vulnerabilityがさらに高まっている。

要するに、外から来る台風や洪水など「自然災害」(Hazard)の威力だけでなく、それにさらされる人口と「社会資産」(Exposure)の規模、そして災害に対する「脆弱性」(Vulnerability)の増大といった3つの要素の相関で災害リスクを捉える必要があるのだ。

私はこれを「防災の三角形」Hazard-Exposure-Vulnerabilityと呼んでいる(私が十年来アドバイザーとしてデジタル版を監修してきた『国連防災白書』Global Assessment Report for Disaster Risk Reduction2013/15年版には特にこの「システム的」な災害の捉え方が強調されている)。

世界全体でみても、自然災害による経済損失は 21世紀に入って70%増(国連「災害と貧困」報告書) 。死者数が百年前に比べ飛躍的に減少した(100万人あたり450人超→現在10人以下とほぼ50分の1に;ロスリング「ファクトフルネス」)のと対照的だが、これも「被災する資産の増大とその場所」に注目しない限り説明がつかない。

近年の水害の増加について、「地球温暖化の影響」「海水温の上昇と雨の降りかたの極端化」といった眼に見えやすい要因は語られるが、こうした私たちの社会の内的なリスクの増大についての認識はまだまだ不十分に思える。「低い土地の洪水リスク」には注目が集まるようになったが、そこにどれだけの人口と社会資産が過剰に集中しているか?ーーそれが国土設計、国家デザインの問題として語られねばならない時だ。

ちなみに日本は、全国的にも人口の50%、社会資産の75%が洪水リスクの高い地域(洪水時の河川水位より低い土地)に集中している。

東京駅前の丸の内、日比谷交差点の標高はわずか1.5メートル。つい400年前、家康がここを埋め立てて大名屋敷街「丸の内」(=江戸城本丸の内)を築くまでは、ここも海だった。そこに日本のGDPの5分の1を稼ぎだす大企業の本社やメガバンクの地下データセンターが集まっている。

2011年のタイ洪水で日本企業の工場が浸水した場所も、近年急速に開発された氾濫原だった。温暖化の影響で台風や雨の降りかたが極端化し、確かにこの時もタイの降雨量が例年の4割増しであったのは事実だが、それによって私たちの都市設計思想に潜む落とし穴が見過ごされてはならない。

中国はこの30年で沿岸部に工業都市が発展したが、上海や天津、青島など急増するメガシティ(1000万都市)を中心に、その辺りの海抜10m以下の土地に暮らす人口は総計1億5000万人ーーつまり日本の人口より多い人々が今後、水害や海面上昇のリスクにさらされていく。

アメリカでも2005年のハリケーン・カトリーナ、2012年のサンディ、2017年の数千万規模の被災避難民を出したハービーなど、避難して命が助かってもその後どうやって生きていくのか?が大変なマグニチュードで問われる事態が進行している。バイデン政権の「脆弱な地域への重点投資」がこうした災害脆弱性の格差是正につながるかが問われる。

ちなみに新型インフルエンザや今回のコロナなど新型感染症の多発は、この気候変動への内的な脆弱性の増大と深くリンクしている。

■鳥インフルエンザはなぜ猛威を振るい始めたのか?

河川の下流・河口域にひろがる世界や日本の湿地は、人間の居住地や農地・工場用地に転用された結果、この50年で50%減少したといわれる。(周辺の農村部から都市に流入してくる膨大な人口も、必然的に水へのアクセスが最低限確保しうる低湿地帯や水路沿いにスラムを形成する。)

そのアラート(警報)が、今回のコロナも含めた新型感染症だ。たとえば水鳥(渡り鳥)を自然宿主とし、病気を起こすこともなくそれと共生していたインフルエンザ・ウイルス。それが突然変異して、家禽や人間を死に至らしめるほどに強毒化した「新型インフルエンザ」。以前から存在した鳥インフルエンザが、なぜ近年これほど猛威を振るい始めたのか?そこにはこの地球規模での環境の激変が関係している。

湿地が急激に減少した結果、水鳥の生息地が縮小。鳥も三密状態となり、家禽との接触も増え、野鳥由来のウイルスとの交雑・変異が促進されたのだ(鳥インフルエンザ→新型インフルエンザへの変異促進)。

だが自分で増やしたリスクは、取り除くこともできる。台風や地震の発生は止められなくても、それに耐性のある社会は作れる。

アフターコロナの「開疎化」「分散化」の流れは、こうした過剰な都市集中によるExposureとVulnerabilityをあらためて低減してゆく大きな転換点となるだろう。

また国土の3分の1が海面下ゼロメートル地帯で、水害や近未来の海面上昇のリスクが世界でもダントツに高いオランダでは、「浮体式」の住宅やマンションが人気を集めている。いわば「都市が沈むなら、初めから浮かんで暮らそう」という発想の転換ーー。

でも、もともと浮体式や高床式の住居は、雨季と乾季で10メートルも水位が変わるモンスーンアジアで育まれた「変動適応型」の居住OS。私たちこそ、こうしたイノベーションの担い手となってよいはずだ。

50年前、都市集中で土地が足りなくなる東京への未来的ソリューションとして、丹下健三や菊竹清訓、黒川紀章らのメタボリズム派が提案した「東京湾上都市」の構想を思い出そう。田舎への「開疎化」と同時に、都市に暮らすならこれ以上生態系に負荷をかける低地開発を避け、水害や海面上昇にも適応しうる新たな都市デザインのOSを作るーーそうした思い切った発想の転換がいまこそ必要な時だ。

これこそ気候変動が常態化する時代の「百年の計」で国家と都市を再設計(再発明)してゆく道だ。東京五輪2020は、そうした設計思想での湾岸開発の絶好の機会であったのだが。(もしそれが出来ていたら、仮にオリンピックが開催されなくとも「気候変動にレジリエントな都市」という五輪のレガシーが残ったはずなのだが)