シンガポールのフレイザー・アンド・ニーヴがMBLから撤退するのに伴い、キリンホールディングスシンガポールがその全株(55%分、現在は51%)を取得するという形での進出でした。合弁相手は、国軍系とはいえ、退役軍人の年金ファンドとして設立された投資会社です。
契約の際、キリンはふたつの要求をしています。ひとつは数%あった国防省のMBL株を一般株主に売却してもらうこと。もうひとつは、MEHPCLがMBLから受け取る収益を軍事目的には使用しないという条件をつけたことです。これにより、キリンは法的な問題をクリアーしたわけです。
このようにキリンは極めて慎重にことを運びました。いわば万全の構えで進出したわけです。事業は順調でしたが、のどに刺さった小骨のような問題がありました。第二次世界大戦後にまでさかのぼるラカイン地方のロヒンギャ難民問題です。軍事政権は弾圧を強化していましたが、ミャンマー国民自体が「ロヒンギャはバングラデシュからの不法移民」と問題視していませんでした。ここに油断があったのかもしれません。