記事のポイント
- 福島県いわき市の中学校が、卒業祝いとして提供された赤飯2100食を廃棄した
- 「震災の日に赤飯を提供していいのか」という電話を受けての対応だという
- いわき市教育委員会はなぜ、2100食の赤飯を捨てたのか
福島県いわき市の中学校が、卒業祝いとして提供された赤飯2100食を廃棄した。「震災の日に赤飯を提供していいのか」という電話を受けての対応だという。いわき市教育委員会はなぜ、2100食の赤飯を捨てたのか、記者会見で明らかになった最も重要な事実を検証する。(オルタナ客員論説委員=井出留美)

2026年3月16日、福島県いわき市の内田広之市長が、臨時記者会見で卒業祝いの2100食の赤飯廃棄を「適切ではなかった」と認めた。しかし、問題の本質は謝罪では終わらない。記者会見で明らかになった最も重要な事実がある。廃棄のきっかけとなった1本の電話は「提供の中止を求めるような強い要請ではなかった」のだ。
では、なぜ、教育委員会は2100食の赤飯を捨てたのか。
■記者会見で明らかになった事実とは
記者会見で明らかになったのは次の経緯だ。
- 2026年3月11日朝:
保護者から中学校あてに「震災の日に赤飯を提供していいのか」という1本の電話があった。電話は、中止や廃棄を求める強い要請ではなかった。 - 3月11日午前
中学校は、いわき市教育委員会に電話があった旨を報告した。 - 3月11日午前11時半
いわき市教育委員会が赤飯の提供中止を決定、2100食の赤飯が廃棄された。 - 3月14日
赤飯2100食が廃棄となったことを朝日新聞が報道した。 - 3月14日〜16日
いわき市教育委員会に約200件の苦情が寄せられた(大半が廃棄を問題視)。 - 3月16日:
臨時記者会見で、いわき市の内田広之市長が「適切ではなかった」と謝罪し、いわき市教育長の服部樹理氏が「配慮が足りなかった」と陳謝した。
ここでの重要なポイントは、2100人の卒業生より、1人の電話を優先したということである。
■いわき市の犯した5つの過ち
いわき市教育委員会は、少なくとも5つの過ちを犯したと考える。
1. 優先すべき子どもを二の次にした
教育委員会の本来の使命は、子どもの利益を守り、成長を守ることである。中学校の卒業という一生に一度の場で、2100人の卒業生ではなく、1本の電話を優先した。
ある保護者は「電話のクレームで缶詰パンになり、赤飯を楽しみにしていた娘ががっかりして帰ってきた」とSNSに投稿した。
2.赤飯の意味を認識していなかった
赤飯は祝いの場だけでなく、小豆の赤が、厄や災いを退けるという意味を持つことから仏事や厄年にも食べられるものだった。震災の起きた日にこそ食べる意義があった。
3. 食品ロス削減推進法を認識していなかった
2019年5月に成立し、同年10月に施行された「食品ロス削減推進法」では、「まだ食べられる食品は、廃棄することなく、貧困や災害などにより食品を十分に入手できない人に提供することを含め、できるだけ食品として活用することが重要」と書かれている。
異物混入ではなく、食中毒の恐れがあるわけでもなく、十分に食べられる赤飯を廃棄するのは食品ロス削減推進法の精神に真っ向から反する行為だ。
4. 食育基本法を実践しなかった
2005年に施行された食育基本法の第3条には「食に関わる人々の活動への感謝の念が深まるよう配慮されなければならない」とある。
第5条には「子どもの教育に携わる者は食育の重要性を十分自覚し積極的に取り組む責務がある」と書かれている。
市長自身が会見で「食育の観点から理解が得られることではない」と述べたが、赤飯を調理した方や、米や豆を育ててきた農家の苦労や労働を無にしてしまった。2100食を廃棄したことは、感謝の気持ちを持つこととは真逆の行為である。
5. 被災地の記憶を生かさなかった
2011年の東日本大震災では、食料が極限まで不足した。当時、筆者も食料支援に携わり、「1個のおにぎりを4人で分け合っている」という声を聞いた。
その記憶を持つ被災地で、食べ物を捨てることを選んだ。
「あの日、あのとき、食料がどれほど貴重だったか」という声がインターネット上に投稿されている。皮肉なことに、本件は、食べ物の大切さを身にしみて感じているはずの場所で起きた。
■1件の電話と200件の苦情が示すものとは
廃棄を決めた根拠は、強い要請でもない、たった1件の電話だった。
一方、2100食の赤飯を廃棄したことに対し、200件もの苦情が寄せられた。
今回の教育委員会の判断基準が、いかにゆがんだものだったかを示している。良識があれば、理不尽な要請に対しては毅然とした態度で答えることができる。
今回の件は「震災の日に赤飯を提供していいのか」という電話に対し、本来であれば「震災の年に生まれ、無事に成長してきた子どもたちのお祝いですから、赤飯を提供していいんです」と答えればよかった。
亡くなった方を追悼しながら、卒業のお祝いをすることは、矛盾しないはずだ。前述の通り、赤飯には、祝いの意味だけでなく、災いを退けるという意味もあるので、仏事にも提供されるものだ。
おそらく電話の主は、震災の日に赤飯とは不謹慎だ、ということを言いたかったのだろう。そうであれば、能登半島地震が発生した元旦には、日本中の人が、おせち料理もお雑煮も食べるべきではない、という話になる。そんなおかしな話はない。亡くなった人を悼むことと、新年を祝うことは、矛盾するものではない。
電話してきた人が、中止や廃棄を強く要請したわけではないのに、なぜ、教育委員会は中止を決め、2100食を廃棄したのか。
■市長と教育長が謝罪した後に必要なこととは
今回、臨時記者会見を開いて「適切ではなかった」と認めた。しかしこれは、「これで終わり」の終着点ではない。ここからがスタートだ。二度とこのようなことを起こさないために。
今後、同じような電話がかかってきたとき、毅然とした態度で「こういう理由で提供します」と言えるだろうか。
そもそも、給食の献立は1ヶ月前に決まっており、教育委員会も承知しているはずだ。そうであれば、電話の主に説明し、「1ヶ月前に確定し、食材も生産者から買って、準備しています」と説明し、予定どおり提供すればよかったではないか。
いわき市教育委員会に必要な3つのことは次の通りである。
1)今回の意思決定プロセスを開示すること。強い要請ではない1本の電話に、なぜ中止し、廃棄までしたのか。
2)食育基本法と食品ロス削減推進法をあらためて学ぶこと。職員全員が研修を受けるなど認識し、日々の業務で実践すること。
3)教育委員会は、子どもを最優先にするという判断基準を持つこと。そしてそれを明文化し、どんなときにもその判断基準に基づいて決定を下すこと。
もう一点言えるとすれば、苦情に対し、判断基準という軸を持ち、平常心で臨むこと。
筆者は食品メーカーで5年間、お客様対応業務を兼務していた。その際、上司から言われたのが「平常心で臨むこと」だ。激昂して何か言われたからといって、こちらまで感情を燃え上がらせない。企業の理念と確固とした判断基準があれば、どのような電話が来ても、あたふたすることはない。
■教育者は食育基本法を実践すべき
ジャーナリストの石渡嶺司さんの指摘によると、いわき市教育委員会の服部樹理教育長は、教育長に就任する前には、文部科学省の初等中等教育局健康教育・食育課課長補佐を務めていた。
文部科学省で食育を管轄する部署にいて、食育や食品ロス問題には知見があったはずなのに、なぜこのようなことが起きたのかと石渡さんは疑問を呈している。
食育基本法は、食育を「生きる上での基本であって、知育・徳育・体育の基礎となるべきもの」と位置づけている。
食べ物を大切にすることを子どもたちに教えるべき立場の教育委員会が、食べ物を捨てることを選んだ。この矛盾を、なかったことにしてはいけない。
筆者は3月11日生まれだ。震災の食料支援で、「同じ食品だがメーカーが違うので平等じゃないから配らない」といった理不尽な理由でせっかくの食料が配られず、だめになるのを知り、納得がいかず、食品企業を辞めて独立し、食品ロス問題の啓発活動を始めた。
震災の年に生まれ、15年間、無事に育ってきた子どもたちの、一生に一度の卒業を祝う赤飯が捨てられた。その事実を、なかったことにしてはいけない。
※この記事は、執筆者が2026年3月17日に「Yahoo!ニュースエキスパート」に掲載した記事をオルタナ編集部にて一部編集したものです。執筆者による過去の「Yahoo!ニュースエキスパート」記事はこちらから、執筆者のニュースレター「パル通信」はこちらからメールアドレスをご登録いただくことで無料でお読みいただけます。


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