記事のポイント
- 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が使う温暖化の排出シナリオが変わる
- 従来の「最悪シナリオ」を除外し、「1.5℃目標」への道筋のシナリオも変更する
- 今回のシナリオの見直しの意味を、東京大学・江守正多教授に聞いた
温暖化の排出シナリオが変わる。従来の「最悪シナリオ」を除外し、「1.5℃目標」への道筋を示すシナリオも変わる。米国では、気候変動に否定的なトランプ大統領が、真意を歪曲した発信を行い各方面から非難を浴びた。今回の排出シナリオの見直しが意味するところは何か。過去にIPCC評価報告書の主執筆者を務めた東京大学の江守正多教授に話を聞いた。(聞き手:オルタナ輪番編集長=北村佳代子、編集協力:在テキサス編集委員・宮島謙二)

(資料提供:東京大学未来ビジョン研究センター、江守正多教授)

江守 正多(えもり・せいた)東京大学未来ビジョン研究センター教授
1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院総合文化研究科博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書主執筆者、第7次評価報告書査読編集者。
■従来の「最悪シナリオ」が除外に
――IPCCが、気候変動の将来への影響を評価する際に使う「排出シナリオ」が見直されました。まず、最悪の排出シナリオが除外となったことの意味を、どう捉えるべきでしょうか。
今回除外となるのは「RCP8.5」と呼ばれる最悪の排出シナリオです。この「RCP(代表的濃度経路)シナリオ」は、2010年ごろに作られたもので、IPCCの第5次評価報告書(AR5、2013~14年にかけて公表)や第6次評価報告書(AR6、2021~23年にかけて公表)でも、気候変動の将来への影響評価に使われてきました。

最悪シナリオは、今世紀末に4.4℃(非常に高い可能性で3.3℃~5.7℃の範囲)を見込む。グラフにある「SSP5-8.5」が「RCP8.5」の後継。IPCC第6次評価報告書(AR6)から「RCP(代表的濃度経路)」に共有社会経済経路(SSP)を組み合わせたため、シナリオ名が変わった。
(資料提供)全国地球温暖化防止活動推進センターウェブサイトより
IPCCは当時、排出シナリオを作る研究者のコミュニティに対して、将来起きうる最大値の排出量を使った「最悪シナリオ」と、世界が最大限努力して抑えられる排出量をベースとした「最良シナリオ」の2つを含む形でシナリオを作るよう依頼しました。
この排出シナリオが作られた当時の世界がどうだったかというと、2000年代は特に中国が急速に石炭火力を増やしたことで、世界全体の石炭消費量が急増した時期でした。最悪シナリオの「RCP8.5」は、世界が気候政策を全く行わず、当時のペースで石炭をガンガン使い続ける場合を想定して作ったシナリオです。
排出シナリオは、将来の人間社会がどれだけ温室効果ガス(GHG)を排出するのかを、複数の社会経済的な要素をもとに計算して作ります。特に影響を与える社会経済的パラメータが、人口、経済活動、技術です。これらの変化によって、将来どんなエネルギーが使われ、それによってどれくらいのCO2やメタンなどのGHGが排出されるかが、大きく変わります。
「RCP8.5」を作った2010年前後の時点では、再エネの普及の可能性もありましたが、当時はまだ、技術の進展がどの方向に進むのかが不確実でした。再エネの技術がこれ以上発展せず、価格が安くならない可能性もありえた一方で、その代わりに火力の技術が進歩して世界が火力を使い続ける可能性もあったのです。
■以前の「最悪シナリオ」回避は気候対策の成果
しかし今回、IPCCの次の第7次評価報告書の作成に向けて、研究者コミュニティが「さすがに、RCP8.5の道筋はなくなったと思ってよい」と判断しました。つまり、再エネが石炭火力の発電量を上回るほどに普及し、かなりの部分の先進国が石炭火力の廃止に動いている中で、どんなに気候政策をこれから撤回していったとしても、「RCP8.5」が示すような、2010年当時のように石炭をガンガン使っていく排出シナリオにはならない、と判断したということです。
世界のGHG排出量を見ても、もし何も対策をしていなかったらもっと増え続けていたかもしれませんが、今では、排出量の増加が止まるか止まらないかくらいのところに来ています。
気候変動対策は、もちろん理想的なペースでは全然進んできていはいません。しかし、今回、最悪シナリオを排除するということは、「気候変動対策の成果は出ていないのではないか」「GHG排出量は減っていないのではないか」と考える人たちに対して、「いや、成果はあった。対策の意味はあった」とわかりやすく示せるという点が、グッドニュースです。
■懸念すべきは「最良シナリオ」の変更
――最悪の排出シナリオが除外となったのと同時に、最良のシナリオについても、1.5℃を目指す道筋が変更となりました。こちらについて、解説いただけますか。
はい。今回、最良シナリオについても、オーバーシュートをせずに1.5℃を目指せるシナリオが除外となりました。オーバーシュートとは、1.5℃目標を一時的に超えてしまうことを言います。
第6次評価報告書の時には、努力をすれば達成できる最良シナリオとして、パリ協定で定めた「1.5℃」目標を、オーバーシュートすることなく目指せるシナリオがありました。しかし、今回の最良シナリオは、「1.5℃」を目指すとしても、オーバーシュートが前提です。
2024年や2025年のCOP(国連・気候変動枠組条約締約国会議)の頃から、「このままではオーバーシュートは避けられない」との認識は共有されてきましたが、IPCCが次に使うシナリオも、その認識に沿うものになったということです。
今後、世界はいったん「1.5℃」の閾値を超え、そこから1.5℃に気温を下げていくことになります。気温を下げるには、世界全体でかなり大規模な「ネガティブエミッション(排出量が正味でマイナスになる)」状態が長期間、起きなければなりません。
それが「言うは易し、行うは難し」であることは、以前(2025年12月)のオルタナのインタビューで述べたとおりです。
■「1.5℃目標」の達成は「オーバーシュート」が前提に
――気候変動の緩和策の遅れによって、オーバーシュートすることなく「1.5℃目標」を目指せたはずの道筋が閉ざされてしまった、と科学が認めたことはバッドニュースですね。
はい。そして、残念ながらほかにもバッドニュースはあります。
「RCP8.5」の最悪シナリオが除外されても、今世紀末の気温上昇が産業革命前から4℃以上上昇する可能性がなくなったわけではない、ということです。
新たな排出シナリオでは、気候変動政策が後退して排出量が増えうる想定も残されています。その「新たな最悪シナリオ」では、今世紀末の世界平均気温が産業革命前から3.5℃くらい上昇すると考えられえています。3℃上昇でも、十分深刻な温暖化で、全然、安心できない水準です。
ですが、「排出シナリオ」の観点とは別に、「気候システムの不確実性」によって、気温が産業革命前から4℃上昇する可能性も、わずかながら残っています。
気候システムの不確実性というのは、例えば、植物が気温上昇でCO2を吸収しにくくなり、逆に呼吸でCO2を吐き出すかもしれないとか、海上の低い位置にある雲が減ることで海が日射をさらに吸収して温度上昇を強めるかもしれないとか、永久凍土の大規模な融解でメタンが大量に放出されて温度上昇が加速するかもしれない、といった不確実なフィードバックが考えられうるということです。
――今回、IPCCが「排出シナリオ」を見直したことには、良いニュースも悪いニュースも含まれていますが、江守教授が今、最も伝えたいメッセージを教えてください。
最悪の排出シナリオは除外されましたが、それでも今、世界が進んでいる(温暖化の)道筋では、将来の気温は十分、危機的な温度になる、ということです。より一層、気候変動対策を強化しなければならないことは、何ら変わりません。

(資料提供:東京大学未来ビジョン研究センター、江守正多教授)
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