記事のポイント
- ハンタウイルス感染を機に再び感染症への関心が高まっている
- ハンタウイルスは、以前から気候変動との関連が指摘されてきた
- 気候変動は感染症リスクにどのような影響を与えるのか
クルーズ船でのハンタウイルス感染が報告され、再び感染症への関心が高まっている。ハンタウイルスは、以前から気候変動との関連が指摘されてきた感染症の一つだ。気候変動は感染症リスクにどのような影響を与えるのか。医師として環境問題に取り組み、船医経験もある「みどりのドクターズ」の太田知明理事に聞いた。(オルタナ輪番副編集長・吉田広子、北村佳代子)

太田知明(おおた・ともあき)
医師。一般社団法人みどりのドクターズ理事。整形外科医、救急医として総合病院に勤務した後、ネパールでの医療ボランティア、客船船医を経験。さらに約2年間、バックパッカーとして世界40カ国を旅する中で、「医療だけでは人間の健康は守れない」ことを実感する。気候変動や環境破壊の影響を強く受ける動物や、声を上げにくい世界の脆弱な人々の代弁者となることを志し、医師として環境課題に取り組む。プラネタリーヘルスの実践として、2024年に山梨県へ移住。現在は僻地診療所で地域医療に携わりながら、持続可能な社会と健康のあり方を発信している。
■感染症は「人間との永遠の戦い」
――世界保健機関(WHO)の専門家グループ・世界健康危機モニタリング委員会(GPMB)は5月、パンデミックリスクに関する報告書を発表しました。気候危機や武力紛争によって感染症流行の可能性が高まる可能性を指摘しています。医師として感染症のリスクをどのようにとらえていますか。
感染症は、人類が歴史の中で闘い続けてきた存在です。ウイルス感染症は、基本的に特効薬がありません。インフルエンザのように治療薬があるケースは例外で、多くは対症療法しかないのです。
医学はものすごく進歩していますが、なくならない医療の課題が3つあると言われています。それは「精神疾患」「外傷などのケガ」、そして「感染症」です。
どれだけ新しい薬を作っても、必ず新しい感染症が出てきます。人類は感染症と勝ち負けを繰り返してきましたが、完全に勝ち切ることはない。
今の社会は、ウイルスにとって好都合な条件が増えてきています。特に近年は、気候変動と感染症の関係を指摘する論文が数多く発表されています。
感染を媒介する生物の数も、気候変動によって増えていると考えられています。動物から人へ、あるいは人から動物へ感染する病気を「人獣共通感染症」と呼びます。代表的なものとしては、ダニ媒介性感染症のほか、ネズミやコウモリが関係する感染症などがあります。
例えばダニの場合、温暖化が進むことで生存期間が長くなります。気温上昇で越冬できるダニも出てくるのです。さらに、ダニの世代交代も早くなっています。その結果、媒介生物そのものの数が増えていく。そうした複数の要因が重なり、感染症リスクが高まっています。
■温暖化で媒介生物の生息域が北上
――日本でも、2014年にデング熱の国内感染が発生しました。感染を媒介する蚊の分布域が北上していると言われています。
気候変動の影響で、感染症を媒介する生物の地理的分布が変化しています。温暖化に伴い、生息可能な範囲の緯度が北に広がっています。加えて、同じ緯度でも、より標高の高い地域まで生息域が拡大しています。つまり、媒介生物の分布は、「緯度」と「高度」の両面で広がっているのです。
例えば、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)は、マダニを媒介とする感染症で、致死率は10―30%と高い。かつては西日本での報告が中心でしたが、2025年には神奈川や北海道でも症例が確認され、日本全国に広がっていることが分かってきました。
最近では、同じくマダニが媒介する日本紅斑熱についても、残念ながら今月千葉県で死亡例が確認されました。蚊が媒介する日本脳炎のワクチンは、以前は北海道を除く地域で定期接種されていましたが、現在は北海道でも定期接種が行われるようになっています。
マラリアについても、かつて日本では沖縄を中心に存在していましたが、1950年代後半に国内ではいったん撲滅されました。現時点で、日本国内でマラリアが定着しているわけではありません。ただ、今後、気候変動が進むことで、再び日本でマラリアが発生するのではないかという懸念が、現実味を持って語られるようになっています。
■生物多様性の豊かさが感染リスクを下げる
――気候変動だけでなく、生物多様性の変化も感染症リスクに影響しているのでしょうか。
生物多様性が豊かであるほど、人間に感染するリスクは下がると考えられています。多様な生物が存在していると、「希釈効果」と呼ばれる現象が起きます。ウイルスがさまざまな生物の間に分散されることで、人間まで到達しにくくなるのです。
例えば、ネズミにダニが付いたとしても、そのネズミがダニにとって最適な宿主ではない場合もありますし、ダニが動物によって取り除かれたり、死んだりすることもある。つまり、ウイルスが人間に届くまでの経路が分散されるわけです。
逆に、ダニが好む特定の動物ばかりが増え、土地の開発や森林破壊によって人間との距離が近づくことにより人間に感染する機会も増えてしまうというわけです。
■森林破壊は新たな感染症を引き起こす
――人間の活動が生態系に影響を与え、それがまた人間の健康にも影響を与えているのですね。
まさにそこが重要です。これらはすべてリンクしています。気候変動と生物多様性の問題は相互に関係していますし、過度な土地利用は生物多様性の減少につながります。つまり、一つだけの原因で感染症が増えるわけではありません。あらゆる問題が複雑に絡み合っている。だからこそ、すべてを総合的に捉える視点が必要なのです。
そのためには、「ワンヘルス」や「プラネタリーヘルス」という概念で物事を捉える必要があります。人間の健康だけでなく、動物や自然環境、地球全体の健康を一体として考える視点が重要なのです。
人間のさまざまな活動によって、感染症リスクが高まっているという報告が多く出ています。
生物多様性版のIPCCと呼ばれるIPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム)は、「パンデミックにつながりうる感染症の出現は、人間の活動が原因である」としています。
代表的なのは、森林破壊と農地の拡大です。生物多様性の高い地域に、人間や家畜が侵入することで、野生生物と人間の距離が近づき、病原体が人間社会へ波及し、感染が広がる新たな経路を生み出します。
逆に言えば、保護地域を適切に保全し、生物多様性の高い地域での過度な開発を抑えることが、新たな感染症の出現や拡大を防ぐことにもつながるのです。
さらに、日本ではあまり多くありませんが、野生動物の取引も大きなリスク要因として挙げられています。アジアやアフリカには野生動物を扱うマーケットがあり、希少性による売買だけでなく、手軽なタンパク源として野生動物が取引されている現実があります。
私自身、ラオスの田舎の診療所でボランティアをしていた際、ネズミやコウモリなどの野生動物のマーケットを目にしました。食用として扱われているケースもあります。そうした場面では、人間が野生動物と極めて近い距離で接触するため、感染リスクが非常に高い。
現在の工業型畜産も重要なリスクです。鳥インフルエンザが典型ですが、畜産動物の間で感染症が広がり、今後それが人間に波及するリスクがあります。
つまり、気候変動だけでなく、森林破壊、生物多様性の減少、野生動物取引、工業型畜産など、さまざまな要因が感染症リスクの増大につながっていると考えられています。
■環境に取り組むことは「間接的に治療すること」
――太田さんは、なぜ医師として気候変動や環境問題に取り組んでいるのでしょうか。
「医療従事者はまず目の前の患者を助けることで精一杯なのだから、環境問題は別の専門家がやればいい」という意見はよくあります。それはもっともだと思いますし、人それぞれの役割や価値観の多様性があって良いと思います。
ただ、実際に医療を続けていると、病気になること自体が患者さんにとって非常に辛いということを痛感します。身体的に辛いだけでなく、精神的にも苦しい。さらに、経済的、社会的な負担も重なっていく。
目の前の患者さんを助けることは医師の使命です。治療によって患者さんが回復していくのは、医師としての大きな喜びです。
ただ同時に、「防げたかもしれない」と思うことも多いのです。極端に言えば、ただ病気を治療し続けるだけでは、「海に落ちているゴミを拾い続けているのと同じではないか」と思うことがあります。
寿命自体は延びていますし、健康への啓発や治療技術も進歩しています。しかしその一方で、がん患者は増え、花粉症も激増している。感染症もなくならないどころか、むしろ新たな脅威が増えています。
かつてはあまり見られなかった病気や健康問題が、現代人のライフスタイルによって生み出されている側面がある。そこに、私は大きな矛盾を感じています。
私は、心も体も含めて健康で幸せでいることが、本人にとっても、家族や友人にとっても、医療従事者にとっても、本来目指すべきゴールだと思っています。
そして、人間だけでなく、その周囲にいる動物や、地球環境そのものも健康であることが大事なのではないか、と考えています。長く医療を続ける中で、人と生態系全体が健康であってこそ、本当の意味で「幸せ」なのではないかと、自然とそう考えるようになったのです。
――医師として、人間の健康や幸せを考えた先に、地球環境の問題があったのですね。
その通りです。医療現場では昔から「病気や検査結果だけを見るのではなく、人を診なさい」と言われます。
私は、その考え方をさらに広げる必要があると思っています。その人のバックグラウンド、家族環境、仕事、置かれている社会や地球環境まで含めて見る。
つまり、患者さんを取り巻く環境ごと見ていく視点です。私は、医療に携わる人には少なからずそういう視点を持ってほしいと思っていますし、医学教育でももっと強調されるべきだと思っています。
健康被害を最も受けやすいのは、社会的に脆弱な立場にある人たちです。日本でも世界でも、低所得であるほど十分な対応を受けられず、より苦しい状況に置かれています。
私は医師として日々治療していますが、自分一人では治しきれない患者さんが、国内外にたくさんいます。人間だけではなく、動物や生態系も含めてです。
そうした人たちだけでなく、動物や環境をどう守っていけるのか。環境問題に取り組むことで、もっと多くの人を間接的に助けられるかもしれない。そこに大きな意義を感じています。
参考記事:医師らの「プラネタリーヘルス」への挑戦: 体も地球も健康に
(この続きは)
■船内の環境はウイルスにとって好都合
■感染症対策としてまず「自衛の意識を」

