記事のポイント
- ネイチャーポジティブの国際会議で7月15日、熊本宣言が発表された
- 強調されたのは、自然を守る順番「ミティゲーション・ヒエラルキー」の適用だ
- 関心の高い生物多様性クレジットは、ヒエラルキーの最後にしか置けない
国際会議「第2回グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット2026」が今年7月、熊本で開催され、ネイチャーポジティブに向けた「熊本宣言」が発表された。宣言の中で企業に向けて強調されたのが、自然を守る順番である「ミティゲーション・ヒエラルキー」だ。昨今、生物多様性クレジットなどへの関心も高まっているが、ヒエラルキー上は最後の手段となる「代償」の位置づけで、生態系への悪影響を「回避」することが先決だ。(サステナブル経営アドバイザー・足立直樹)

―2026年7月14日から15日にかけて、熊本で開かれた「第2回グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット2026」では、閉会式で「熊本宣言」が発表されました。特に注目したいのは、すべての企業に「ミティゲーション・ヒエラルキー」の適用を求めたことです。 これは、まず生態系への悪影響を回避・最小化し、次に損なわれた自然を回復・再生し、それでも避けられない影響だけを、高い健全性を確保したうえで代償する、という考え方です。
―ミティゲーション・ヒエラルキーは、国際的には環境影響を管理する基本原則です。しかし、日本では実効性のある制度として根づいておらず、耳慣れない言葉かもしれません。近年、日本の企業や金融関係者の間でも生物多様性クレジットへの関心が高まっていますが、これを正しく使うための前提もまた、ミティゲーション・ヒエラルキーなのです。
■まず避ける、それから最小化する
熊本宣言では、ミティゲーション・ヒエラルキーを次の順序で示しています。
―第一は回避(Avoid)。重要な自然がある場所ではそもそも事業を行わない、立地や規模を変える、繁殖期を避けて工事するなど、まずは影響を生まない方法を探します。事業そのものを取りやめることも、回避に含まれます。
―第二は最小化(Minimize)。回避しきれない影響を、できる限り小さくします。開発面積を狭め、工法を工夫し、生態系の分断や汚染を抑える対策です。
―第三は回復・再生(Restore & Regenerate)。事業によって一時的に損なわれた自然をできる限り元の状態へ戻すとともに、劣化した生態系の機能や健全性を再生します。
―そして最後が代償(Compensate)。それでも避けられなかった影響を、同等の生態系を別の場所で保全・再生するなどして埋め合わせます。生物多様性オフセットやクレジットは、この代償を実現するための手法となり得ます。
―こうして並べると、当たり前のことに思えるでしょう。壊してから別の場所で埋め合わせるのではなく、まず壊さない。それが難しいときに限って次の手を考える。ごく自然な倫理的判断ともいえます。
―この原則で本当に重要なのは、対策の種類よりも「順番」です。しかし現実には、事業計画が固まってから環境対策を考え始めたり、立地や規模の見直しよりも、植林や自然再生といった外部に説明しやすい活動へ先に手を伸ばしたりすることが少なくありません。
―もちろん、別の場所で良いことをしても、貴重な生態系を壊してよい理由にはなりません。100年かけて育った森や絶滅危惧種の生息地は、別の場所に木を植えたくらいで簡単に代替できないからです。それでも「別のところで頑張ったのだから、よいでしょう」という言い訳は後を絶ちません。だからこそ、順番が重要なのです。
■「AR3T」も同じ原則から生まれた
サイエンス・ベースド・ターゲッツ・ネットワーク(SBTN)が提唱する「自然に関する科学に基づく目標設定(SBTs for Nature)」をご存じの方には、「AR3T」の方が馴染み深いかもしれません。
これはAvoid(回避)、Reduce(削減)、Regenerate(再生)、Restore(回復)、Transform(変革)の頭文字です。SBTN自身が、「AR3Tは国際金融公社(IFC)のパフォーマンス基準 6に示されたミティゲーション・ヒエラルキーを土台に開発された」と説明しています。
―この「パフォーマンス基準 6」の背景には、ビジネスと生物多様性オフセットプログラム(Business and Biodiversity Offsets Programme: BBOP)で積み重ねられ、「生物多様性オフセット・スタンダード(Biodiversity Offset Standard)」として結実した議論があります。実は私自身、十数年前、この基準を策定する国際グループの一員でした。
―当時から、ぶれない原則がありました。「代償」、とりわけ「オフセット」は最初の選択肢ではない。「回避」と「最小化」を尽くしてなお残る影響に対する、あくまで最後の手段である。初めからオフセットに頼るなど、あり得ない話でした。
■順番だけでは制度にならない
―もっとも、「回避・最小化・回復/再生・代償」と順番を唱えるだけでは、この原則は機能しません。何を、どこまで回避するのか。どこまで最小化すれば十分なのか。影響を何で測り、最終的にどのような状態を目指すのか。具体的な基準が必要です。
―例えば、絶滅危惧種の重要な生息地や代替不能な生態系のように、そもそも開発を認めない「No Go」の線引きが欠かせません。さらに事業者には、回避案を十分に検討した証拠を示させ、残った影響を定量化し、少なくともノーネットロス(差し引きゼロ)、できればネットゲイン(正味の増加)まで達成させる必要があります。
―ちなみに日本では、環境影響評価法に基づく「基本的事項」に、回避・低減を優先し、その検討結果を踏まえて、必要に応じて代償措置を検討することが明記されています。しかし、回避案を尽くすことも、残った影響をすべて代償することも、ノーネットロスの達成も義務ではありません。求められているのは「実行可能な範囲」での検討であり、自然の損失について一定の結果を達成させる制度にはなっていないのです。
■クレジットは最後にしか置けない
―生物多様性クレジットは、自然の保全・再生に民間資金を呼び込み、ネイチャーポジティブに資する新しいビジネスを生み出し得る、非常に強力な手法です。
―ただし、いきなりクレジットを購入して「自社の影響は相殺済み」と主張することはできません。クレジットを代償に使えるのは、回避・最小化・現地での回復と再生を尽くし、それでも残った不可避な影響に対してだけです。
―しかも生物多様性は、炭素のように世界共通の単位で交換できるものではありません。ある地域の湿地を壊した影響を、遠く離れた別の国の森林保全で埋め合わせることはできないのです。代償には、生態学的な同等性、地理的な近接性、追加性、永続性などが求められます。
―もちろん、自社の影響とは切り離してクレジットを購入し、自然の保全・再生に資金を出すことにも意味があります。ただし、それは「自然への貢献」であって、自社が生んだ損失の「相殺」ではありません。ミティゲーション・ヒエラルキーを経ていないクレジット購入は、良い行いにはなっても、免罪符にはならないのです。
■公平な競争のためにもルールが必要
―熊本のサミットで印象的だったのは、日本企業の方々自身から、規制を含む適正なルールを求める声が何度も上がったことです。要約すれば、次のような意見です。
―「私たちはネイチャーポジティブのために当然行動していく。しかし、ルールを守らないプレイヤーが得をするのでは困る。公平な競争環境をつくるためにも、適切なルールが必要ではないか」
―これは、とても健全な問題提起です。自然への配慮を企業の善意だけに任せれば、真剣に取り組む企業ほどコストを負い、何もしない企業が価格競争で有利になりかねません。だからこそミティゲーション・ヒエラルキーは、一部の先進企業による自主的な取り組みではなく、すべての事業者が従う競争の前提であるべきなのです。
―この原則を本気で導入すれば、環境対策は「事業計画が固まった後に環境部門が考えるもの」ではなくなります。どこで事業を行うか。どの原材料を調達するか。どこまで規模を広げるか。そもそも、その事業を行うべきなのか。自然への影響は、こうした経営の根幹に関わる段階から問われることになります。
―生物多様性クレジットを含む国際的な制度づくりが加速するなか、日本もそろそろ、ミティゲーション・ヒエラルキーと、それを前提とする適正なクレジット制度の導入を、真剣に検討すべき時期に来ています。
―まず、壊さない。どうしても避けられない影響は最小限にし、損なった自然を回復・再生する。それでも残る損失を代償する責任を負う。熊本宣言が企業に求めたのは、これほど常識的でありながら、実行するには相応の覚悟を要する原則なのです。そしてこれを実行することで、私たちはネイチャーポジティブに確実に近づくことができるのです。

【追記】
本稿を公開する直前、熊本県を最大震度7の大地震が襲いました。サミットの開催から、まだ2週間ほどしか経っていません。会場でお会いした皆さまや、熊本で暮らす方々のことを思うと、胸が痛みます。
この地震で亡くなられた方々に、心より哀悼の意を表します。また、けがをされた方、住まいや仕事、日々の暮らしに被害を受けられたすべての皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
今なお救助や捜索が続くなか、一人でも多くの命が救われ、必要な支援が速やかに届くことを願っています。そして、被災された皆さまが一日も早く安心できる日常を取り戻されることを、心よりお祈りいたします。
※この記事は、株式会社レスポンスアビリティのメールマガジン「サステナブル経営通信」(サス経)544(2026年7月29日発行)をオルタナ編集部にて一部編集したものです。過去の「サス経」はこちらから、執筆者の思いをまとめたnote「最初のひとしずく」はこちらからお読みいただけます。



