記事のポイント
- 世界遺産が未来へ受け継ごうとしているものは何か
- 飛鳥とマルタは異なる保存方法で同じ価値を守っている
- 人が遺産を守る、遺産が人を育てる、この循環が重要だ
世界遺産に登録されたと聞くと、多くの人は遺跡や建造物を思い浮かべる。しかし、本当に世界が評価しているのは遺構や建物だけなのだろうか。飛鳥・藤原とマルタを比較すると、世界遺産が未来へ受け継ごうとしているものは、地域の歴史を支えてきた「コミュニティ」であることが見えてくる。(千葉商科大学客員教授/経営コンサルタント=笹谷秀光)
前編では、飛鳥・藤原とマルタという、一見まったく異なる二つの世界遺産に共通するものとして、「古代コミュニティ」の存在に注目した。今回は、その一歩先を考えてみたい。
■世界が評価したものは何か
世界遺産として本当に評価されているのは、遺跡そのものなのか。それとも、その遺跡を今日まで守り続けてきた地域社会なのか。
もちろん、飛鳥・藤原とマルタは同じではない。地域も時代も大きく異なる。保存の方法も対照的である。
マルタのハル・サフリエニ地下墳墓では、見学者は地下へ降り、約五千年前の遺構を直接見ることができる。一方、飛鳥では、発掘調査を終えた遺構の多くは再び埋め戻され、その上では農業や人々の暮らしが今も続いている。
一見すると、マルタは「見せる世界遺産」、飛鳥は「見せない世界遺産」である。
しかし、私が注目したいのは、その違いではない。
両者が共通して守ろうとしているのは、石や遺構だけではなく、その土地で営まれてきた人々の歴史であり、地域コミュニティそのものなのである。

■「埋め戻す」という保存思想
飛鳥では、「せっかく発掘したのに、なぜまた埋め戻すのか」と疑問を抱く人も少なくないだろう。しかし、それは単なる保存技術ではない。
私は、そこに日本らしい文化の継承思想を見る。
飛鳥には、現在も人々が暮らし、田畑を耕し、地域社会が営まれている。その営みを止めてまで巨大な遺跡公園を造ることは、本来の飛鳥の姿ではない。
地下には古代国家誕生の舞台が眠り、その上では現代の地域社会が静かに暮らし続ける。この二つが共存していることこそ、飛鳥・藤原の価値なのである。
私はマルタでも同じことを感じた。ハル・サフリエニ地下墳墓の入口は、ごく普通の住宅街の中にあり、地上では人々の日常生活が続いている。その地下には、数千年前の古代コミュニティの記憶が静かに眠っている。
見せ方は異なる。しかし、「現在の暮らしを大切にしながら歴史を未来へ受け継ぐ」という基本思想は共通している。
世界遺産とは、過去だけを保存する制度ではない。現在の地域社会とともに未来を育てる制度なのである。

■国際的に重視される「コミュニティ」
国際社会では近年、「コミュニティ」という考え方が改めて重視されている。
SDGs目標11は、日本語では「住み続けられるまちづくりを」と訳されているが、英語では Sustainable Cities and Communities である。持続可能性の対象は都市だけではなく、「コミュニティ」そのものなのである。
日本では「まちづくり」という言葉が広く使われる一方、「コミュニティ」という視点は必ずしも十分に意識されてこなかった。しかし、本当に持続可能な社会を支えるのは建物や道路ではない。人と人とのつながりであり、その土地で受け継がれてきた地域の営みである。
飛鳥・藤原の世界遺産登録も、古代国家誕生の舞台が評価されたというだけではない。千三百年以上にわたり、その土地を守り続けてきた地域コミュニティの価値が世界から認められた出来事として受け止めたい。
■一過性のブームで終わらせてはならない
世界遺産に登録されると、日本では祝賀行事が開かれ、多くの観光客が訪れ、土産物や記念グッズの開発も進む。それ自体は地域経済への効果もあり、決して悪いことではない。
しかし、それだけで終わってしまっては惜しい。
私たちはこれまで、登録直後には大きな話題となりながら、数年後には「あの時、世界遺産になった場所」という程度の印象だけが残る例を少なからず見てきた。
飛鳥・藤原は、そのような一過性のブームで終わらせてはならない。
重要なのは、なぜこの地に日本の古代国家が築かれたのか、なぜ千三百年以上にわたり地域の人々がその歴史を守り続けてきたのかを、一人ひとりが自分の問題として考えることである。
世界遺産は観光のために存在するのではない。観光は価値を伝える手段であり、本質は人類共通の歴史資産を未来へ受け継ぐことにある。
■文化外交と地域の力が結実した登録
もう一つ忘れてはならないことがある。
今回の登録は、決して自然に実現したものではない。
長年にわたる学術調査、文化財の保存活動、地域住民の理解と協力、自治体や国の粘り強い努力が積み重ねられ、その成果として世界の評価を得たのである。
ユネスコ世界遺産への登録は、推薦すれば認められるものではない。資産の価値を学術的に証明し、それを将来にわたり守る体制を整え、国際的な審査を経て初めて登録に至る。
その意味で、今回の登録は文化財行政だけの成果ではない。地域、研究者、行政が力を合わせ、日本の文化を国際社会へ粘り強く発信してきた文化外交の成果でもある。
飛鳥・藤原の登録は、地域が守り続けた歴史の価値を世界と共有することの意義を改めて示した。
■人が遺産を守る。遺産が人を育てる。
世界遺産は、登録された瞬間に完成するものではない。むしろ登録後こそ、その真価が問われる。
どれほど価値の高い遺産でも、地域の人々が誇りを持ち、自らの歴史として守り続けなければ、その価値はやがて色あせてしまう。逆に、地域が主体となって未来へ伝えようとするとき、世界遺産は世代を超えて生き続ける。
地域の子どもたちは郷土の歴史を学び誇りを感じ、訪れる人々もまた、その土地の歴史から学ぶ。その積み重ねが、次の世代へ歴史を受け継ぐ力となる。
人口減少が進む中で、未来へ受け継ぐべきものは遺跡だけではない。人と人とのつながり、地域への誇り、歴史を守り続けようとする意思、そのすべてを含めたコミュニティそのものなのである。
飛鳥とマルタ。遠く離れた二つの地域で私が最も強く感じた共通点は、古代コミュニティの記憶が、現代の営みの中に静かに息づいていることであった。
私は長年、「人・コミュニティ・企業」が連携して初めて持続可能な社会は実現すると考えてきた。ビヨンドSDGsの時代には、このコミュニティという視点はさらに重要になるだろう。
「人が遺産を守る。遺産が人を育てる」。世界遺産の価値とは、この循環を未来へつないでいくことにある。



