記事のポイント
- 米トランプ政権は国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を制裁対象に加えた
- ICCはジェノサイドや戦争犯罪などの重大犯罪を裁く常設の国際司法機関だ
- 米政権の狙いについて赤根所長とも親交の深い慶応大学オステン教授に話を聞いた
米トランプ政権は、ICC(国際刑事裁判所)の赤根智子所長を制裁の対象に加えた。ICCは人道に対する犯罪、ジェノサイドや戦争犯罪といった、国際法上の最も重大な犯罪を裁く唯一の常設の国際司法機関だ。トランプ政権の動きとICCが直面する危機について、赤根所長と10年来の親交がある慶應義塾大学・国際刑事司法研究所のフィリップ・オステン所長に話を聞いた。(聞き手=オルタナ輪番編集長・北村佳代子)

フィリップ・オステン(Philipp OSTEN)氏
慶應義塾大学・国際刑事司法研究所長
慶應義塾大学法学部教授(国際刑事法・刑法)。日本初となる国際刑事法の講座を担当し、国際刑事法の研究・教育に幅広く携わる。国際刑事裁判所(ICC)や東京裁判、国際犯罪の国内法化などに関する日・英・独の著書・論文多数。ベルリン・フンボルト大学法学部卒業、慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。法学博士(Dr. jur.、ベルリン・フンボルト大学)。ドイツ弁護士。2003年慶應義塾大学法学部専任講師、准教授を経て2012年より現職。2026年に慶應義塾大学で開設された国際刑事司法研究所(兼ICCアジア太平洋学術ネットワーク事務所)所長に就任。
■「ICC支援をやめよ」米政権の圧力は日本にも
――ICC赤根智子所長を含むICCの裁判官らに対する米トランプ政権の制裁をどのように見ていますか。
米政権がこれまで続けてきた、ICCをターゲットとした一連の妨害・阻害措置が、一段とエスカレートしてきていると捉えています。これは、国際司法機関に担保される、法の支配に基づいた国際秩序への大きな脅威になり得ると思っています。
第2次トランプ政権発足後の米政権によるICCへの対応・制裁を段階的に見てみると、3~4段階に分けて見ることができます。
第1段階は、2025年に大統領令に基づいて発動された、ICCの主任検察官や一部の裁判官などの個人への制裁です。テロリストが載るような制裁対象者のリストに、ICCの司法関係者の名前を掲載しました。それだけでも、米政権が狙う組織の弱体化に向けた一定の影響はありました。
第2段階は2026年7月初め、米国のルビオ国務長官が「ICCの解体を目指す」と発表したことです。これはもう一段、新たに米政権の方策がエスカレートしたことを示します。実際、この一環として、米政権はここ数カ月間、日本やEUなどの同盟国に対して、ICCの設立条約である「ローマ規程」からの離脱を働きかけるキャンペーンを様々な形で展開しています。
欧州の外交筋によれば、同盟国の中でも、日本、韓国やポーランドなど、一部の国に対しては、いついつまでに脱退せよ、と期限も明示して、強烈な働きかけを進めているようです。
そして第3段階が、今回のICCのトップである赤根所長をターゲットにした制裁です。所長を制裁対象に指定したことは、「国際司法機関のトップでもターゲットにするぞ」というメッセージを込めた象徴的な意味合いがあります。
■制裁はさらにエスカレートする可能性も
そしておそらく今後起こり得るのが第4段階で、制裁対象を、これまでの個人から、ICCという組織を対象にすることです。組織自体が制裁リストに加わることを、ICC自体も危惧しており、もしそうなれば、かなり致命的な打撃となる恐れがあります。
赤根所長も、8月26日の記者会見で、日本をはじめとしたICC支援国が、米国と建設的な対話を続けることを期待するという内容の発言をされていました。その発言の意味は、これ以上、米政権の制裁がエスカレートしないよう、米政権に働きかけ、協議してほしい、との思いもあったように感じました。
ICCが組織として制裁対象に追加されれば、職員の給与の支払いからITインフラも含め組織としてのありとあらゆるライフラインが深刻な影響を受け、司法機関としての活動が事実上機能不全に陥ってしまう恐れがあるからです。
また制裁対象になる前から、企業側が、オーバーコンプライアンスともいえる過剰反応を示し、予防的に、制裁対象候補者・組織との取引を停止する動きも考えられます。ICCはそうした動きも予見し、数カ月前に、マイクロソフトを中心としたITシステムを欧州企業のシステムへと切り替えを進めるなどしているようです。

(日本記者クラブのオンライン記者会見のスクリーンショットから)
■トランプ政権の強硬姿勢の裏にあるのは
――米トランプ政権が、ICCに対してこのような強硬な態度に出る背景を教えてください。
やはり、米国の同盟国であるイスラエルのネタニヤフ首相に逮捕状が出たというのが、大きな転換点だったと思います。ただし、ICCが逮捕状を出した当時の米政権はまだバイデン前政権の時でした。今般のICCに対する一連の制裁の根拠となる大統領令を出したのはトランプ政権です。そこからだんだんとエスカレートしてきました。
もう一つ背景として考えられるのが、トランプ政権になってから米国が国際社会で行っているさまざまな行動があります。例えばベネズエラでの現職の国家元首の拉致や、カリブ海などで麻薬密輸船とされる船舶への攻撃といった軍事活動、さらにはイランに対する武力攻撃などです。
こうした行動が、理論上、部分的にでもICCの管轄権内に入り、将来的に現政権が訴追の対象になりうるかもしれない、ということへの懸念もあるかもしれません。
また、米国のかつてのアフガニスタンでの軍事活動に関連して、米兵による戦争犯罪等の嫌疑に対する捜査にICCが着手したことがあります。当時の米国の第1次トランプ政権は、ICCの検察官らに制裁を課しました。しかしその後、バイデン政権がその制裁を撤回しています。
■ICCの「補完性の原則」が意味することとは
しかし、仮に米政権に自らが訴追される懸念があったとしても、米国には、ICCの管轄権を排除できる方法があるのです。それは、自国による捜査・訴追です。そうすれば、ICCの介入の余地が基本的にはなくなります。
これを「補完性の原則」とも言います。ICCは国際社会のスーパー刑事裁判所ではありません。あくまで、各国の国内裁判所を補完する裁判所という位置づけです。つまり、各国には自らジェノサイドや戦争犯罪などの訴追・処罰にあたることが求められており、国家に訴追する意思または能力がない場合に限って、ICCが補完的にそうした事件を取り上げて自ら訴追・処罰できるのです。
ですから、米政権が仮に訴追を恐れていたとしても、自国民による戦争犯罪等について自国内で適切に捜査・訴追を行っていればして、ICCがその事件を対象にして訴追を進めることはまずないのです。
■日本政府の対応は「当初はかなり消極的」
――米トランプ政権が赤根所長を制裁対象に追加した時の日本政府の対応については、どのように映りましたか。

