■雑誌オルタナ86号:エゴからエコへ(86)
岩手県大迫町にある早池峰(はやちね)神社の神楽を観に行った。数百年もの間、地域の神楽衆によって受け継がれてきた早池峰神楽は、2009年にユネスコ無形文化遺産となった。
その頃はまだごく一部の神楽ファンが、集落の人たちと一緒にのどかに神楽見物をしていた。携帯の電波も繋がらず、土産物屋もなく、神楽は真にご神事として奉納されていた。その永々と続く信仰の形に魅せられて、早池峰に通うようになった。
コロナの時期は、外部の者の来訪を断られた。しばらく足が遠のき、今年、7年ぶりに早池峰神楽の大祭に参加して、ずいぶんと都市からやって来る人が増えたことに驚いた。
同時に、神楽を受け継ぐ若い人たちが都市部に働きに出るようになり、舞い手が不足していることも知った。かつて、この地域は林業が盛んだったが、山で働く者が減り多くが都市で所帯を持つようになった。都会の会社では神楽の練習で仕事を休めない。お祭りだからと休暇も取れない。世界遺産になったため対外的には有名になり、遠くから観に来る人も増えた。だが、山の神たちと共に生活する者は減っている。
また、不思議な現象が起きていた。本来は早池峰神社と無関係であった「座敷わらし」が、いつのまにか神社の隅に祀られていた。
「遠野が都市化してきたので座敷わらしが早池峰に引っ越して来たらしい」という噂が流れ、参拝する人たちが子どものおもちゃ、洋服、人形、食べ物などを奉納し、かつて静謐(せいひつ)だった境内の一部が、カオスと化していた。
座敷わらしは家につく妖怪である。そう簡単に早池峰に引っ越すとも思えない。「座敷わらしを見たという人もいる」とのこと。SNSで都市伝説的に座敷わらしの噂が拡散したらしい。
座敷わらしにお供え物をする方たちは、自らのエゴで物を置き去りにする。
野外なので動物が食い散らかしたりして散乱し、その後始末は集落の人たちが担っている。食べ物はとりわけ不衛生だし、野生動物を引き寄せる。お供えした物は、必ず持ち帰って自らが食べることで供養となる。
信仰の対象は時と共に移り変わりもするものだが、その様を目の当たりにするとなんとも言えないもやっとした心地になった。
早池峰では各家々に「権現さま」が祀られている。お祭りの時は各々の権現さまを抱えて「お通り」をする。何十体もの権現さまが並ぶ姿は壮観だった。今年は雨で「お通り」は叶わなかった。
神の庭で舞い歌う人びとの、神を思う気持ちに触れて自分も神の存在を感じてきた。ずっと続いて欲しいと思うことも、エゴなのか。わずかなお花代を納めるだけで、この神の場に参加させてもらってきた、自分。



