■連載「サステナトーク」(2)
記事のポイント
- 廣瀬俊朗さんは現役引退後、障がい者スポーツの普及や教育、食・農業などに力を注ぐ
- 「地球環境にとって良くないことを良しとしない生き方をしたい」と力を込める
- 廣瀬さんを突き動かす原動力や、組織における多様性の活かし方などを聞いた
芸能人や芸術家、アスリートなど有名人の皆さんにサステナビリティについての考えを聞く「サステナトーク」の連載、第2弾は元ラグビー日本代表キャプテンの廣瀬俊朗さん。現役引退後、実業家として、車いすラグビーの普及、教育、食・農業など幅広くサステナビリティに資する取り組みを展開する廣瀬さんに、その原動力や考え方、組織における多様性の活かし方を聞いた。(聞き手=オルタナ輪番編集長・北村佳代子)

――廣瀬さんは現役引退後、車いすラグビーの普及、教育、米づくり・発酵食品のカフェ経営、アフリカでのスラム支援など、実業家としてさまざまなサステナビリティに資する活動をされています。廣瀬さんをサステナブルな取り組みに突き動かすものは何なのでしょうか。
いくつかあります。なかでもアフリカに行くと、自分が今進めていることをすごく後押しされる気がします。サファリに行けば、そこは人間がマイノリティで動物が生き生きと暮らしている。その世界を見てから都市に帰ってくると、そこは人間中心で、「果たして動物・生物はハッピーなのか。きっとそうではないんじゃないかな」と思いますし、「人間は地球環境に良くないことをしているのではないか」とマイナスなイメージで捉えたりもします。
では、どうしたらいいのか、と思いを巡らせると、やはり皆がハッピーでサステナブルな世界をどう作っていくか、を考えるようになりますし、地球環境にとって良くないことを良しとしない生き方をなるべくしたいと思うようになっています。
気候変動に対して、CO2削減やネイチャーポジティブなどに直接つながる取り組みはできていませんが、子どもたちとの米づくりでは、地元のお米を大切にするプロジェクトなどによる食や農業に対する興味・関心に加えて、田んぼに棲む虫などから生態系について考えるきっかけにもなり、より広い意味で気候変動に対する考え方にもリンクしていくと思います。

(写真提供:HiRAKU株式会社)
――選手時代から、サステナビリティに対する考え方が強かったのでしょうか。
選手時代はまだ、サステナビリティという言葉も聞かなかったですし、よくわかっていませんでした。
でも、決して否定するわけではないのですが、僕ら選手はたくさんグッズをいただくんですね。毎年、ウェアがアップグレードされて新しい練習ウェアを着る。「まだこれ、着られるのにな」と思うのに、次の新しいウェアになるとだんだん着なくなっていく。そうした資本主義の事情と、「こういうのは、どうしたらええんかな」という気持ちにはギャップがありました。
ラグビー日本代表として、まだ使えるグッズを東日本大震災で被災した子どもたちに持っていくなどの取り組みもしましたが、モノを大事にしたいなという思いはずっとありました。
また、CLOUDY(東京・港)というNPO法人を立ち上げた友人(銅冶勇人氏)からも多くを学びました。同法人はガーナで教育・雇用・健康支援をしているのですが、「本当の意味でサステナビリティを考えると、寄付だけではいけない」と言うんですね。寄付した側は、良いことをしたと思うけれど、現地の産業は育たないし、一生寄付に頼らないといけない構造を助長しているのはもしかしたら寄付している側かもしれない、と。
そういう考え方を知ったことで、自分も、本質的に解決しなければいけない課題は何か、ということを深く考えるようになりました。

(写真提供:HiRAKU株式会社)
――障がい者スポーツの取り組みも積極的にされるなど、多様性を大切にされています。
そうですね。僕自身が、すごく多国籍なラグビー日本代表チームの中で、どうしたら皆がハッピーに練習に取り組めるのかを考えてやってきたので、ダイバーシティ&インクルージョンとか、ユニバーサルデザインとか、サステナビリティに関する意識であふれる社会にしていきたいという思いで続けています。
選手時代に開催されたイベントで、アンプティーサッカー(足や腕に切断障がいのある人が行う7人制サッカー)の日本代表選手たちと出会い、僕ら以上に明るくて前向きな雰囲気を持った彼らのことを一気に人として尊敬してファンになりました。そこから彼らの現状を知るにつれ、もっとサポートしていきたいと考えるようになりました。
――日本車いすラグビー連盟の副理事長でもありますが、車いすラグビーに関わるきっかけは何だったのでしょうか。
僕と同い年で、僕と同じ時期に同じ大阪で高校ラグビーをやっていた人物(三阪洋行氏・パラリンピック 元車いすラグビー日本代表選手)との出会いです。彼は高校時代の練習中に事故で頸椎を損傷して車いす生活になったんですね。僕は2015年のラグビーワールドカップ終了後に、あるイベントで彼に会って、「同い年で、大阪で、そういう仲間がおったんやー」と思って……。
アンプティーサッカーを知って以来、少しでも障がい者スポーツの発展に貢献することができればと思っていたので、彼が「一緒に活動して車いすラグビーを広げていきたい」と言ってくれて、「それは、一緒にやらな、あかんな」と、そこから車いすラグビーのイベントやワークショップを一緒に開催し始めました。
2020年からは、車いすラグビー、デフラグビー(聴覚障がい者ラグビー)、ブラインドラグビー(視覚障がい者ラグビー)、さらにはタッチラグビーや13人制リーグラグビーなど、いろいろなラグビーを共に広めていく「One Rugby(ワン・ラグビー)」の活動にも力を入れ、皆で「オモロくやろうぜ」と進めています。

(写真提供)HiRAKU株式会社
――廣瀬さんは、ラグビー日本代表(第1次エディージャパン)時代に、エディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチから「自分が知る限り、最高のキャプテン」と評され、「One Team」の礎を築いたことで知られます。外国籍選手をはじめ、多様性の豊かなチームを率いた経験から、多様性を活かせる組織となるために重要なポイントを聞かせてください。
多様性があるメンバーが集まるということは、最初はめちゃくちゃ大変です。ラグビーも日本人選手だけの方が楽かもしれませんが、それではオモロい化学反応は起きません。最初はいろいろ大変だけれど、多様な人たちが融合できたときに、これまでにないブレークスルーができると思うので、そこを、皆が楽しんでやれるかどうかが1つ目のポイントだと思います。
2つ目はやはり「成長志向」です。「結果志向」になると、心理的安全性も低くなりますし、いろいろな挑戦もやはりやめておこう、となる。そうすると多様性って全然生かされないと思います。「こういうことをやったら、オモロそうやな」ということを口に出し、それをやってみることを良しとするチームであれば、多様性が活かされると思いますので、そういう土壌を作れるかどうかが大事です。
3つ目は、「じゃぁそれで、どこに行くねん?」っていうゴールです。ゴールが違うと、皆バラバラになっちゃう。何のために勝つのか。企業であれば企業のパーパスを皆で作り、そこに皆が共感できるかどうかが大事かなと思います。

――最初の「めちゃくちゃ大変」を乗り越えるために必要なことは何でしょうか。
相手の話を「聞く力」も、その一つかもしれませんが、相手のことをよく知ろうとする姿勢ではないでしょうか。
例えば僕らは、世界各国の国歌を斉唱しておもてなしをする「Scrum Unison(スクラム・ユニゾン)」という活動をしています。相手の国の人たちが大切にしている国歌を歌うことで、まず自分たちから相手に寄り添う取り組みです。
相手に寄り添っていることを示せば、相手にも喜んでもらえるし安心してもらえる。そうすると相手も心を開いて話してみようか、となる。相手に寄り添い、相手の話を聞くことを、行動できるかどうかが大切かなと思います。
――相手に寄り添い、相手を良く知ろうと耳を傾けることができる廣瀬さんご自身の性格形成に大きな影響を与えた出来事はありますか。
僕は5歳から高校までずっと大阪でラグビーをやってきたんですけど、中学時代のラグビー仲間はやんちゃなメンバー、世間でいう不良が多かったんですね。でも、話してみると裏表がない素直な奴ばかりで、ひとたびラグビーとなればものすごく一生懸命に体を張って仲間を助けてくれる。学校の成績はあんまり良くないし、普段の素行も良くない、という学校目線の見え方は、人の一面にしか過ぎなくて、彼らにはまた違う一面がある。これを体験したことは大きかったかもしれません。
大阪の高校の強豪校のメンバーにも、一歩間違えたら「どうなるんやろう(笑)」みたいなやつらもいましたけど、ラグビーはすごい頑張っていた。その時に、人の可能性ってすごい、と強く感じたんですよね。
自分で勝手に「この人はこういう人だ」とラベルを張るのではなく、まずはフラットに、その人がどんな人なのか、いろいろな側面を知りたいと感じられるようになりました。

――社名「HiRAKU」に込めた思いと、今後、ひらいていきたい世界を聞かせてください。
花がひらく、才能がひらく、窓がひらく、道がひらく、本をひらく、心をひらく、可能性をひらく、世界をひらく、など、新しい世界へつながる機会を作るという意味から社名を「HiRAKU(ひらく)」としました。
アスリートのキャリアは、現役の時に一番花が開いているイメージがありますが、引退後にもいろいろな道がひらかれて、さまざまなにチャレンジをしていたら、アスリート自身ももっとひらかれていきます。また現役時代に培ったものを活かして引退後もひらかれているアスリートを見て、「スポーツっていいね」と思っていただけたら、スポーツそのものももっとひらかれていきます。
HiRAKUの取り組みの一つ「ケニア・プロジェクト」を通じて、2026年、ラグビー界として初となるケニア出身選手が、日本に来てプレーする道がひらかれました。天理大学1年のアンディー・オモロー選手です。天理の町では、ケニアを応援しよう、アフリカを知ろうというムーブメントも広がっています。
ケニアには、スラムの子どもたちの教育・栄養支援といった社会課題があり、社団法人WAZIWAZI(ワジワジ:スワヒリ語で「ひらく」)を作って、スポーツを起点に社会包摂や地域連携、人材交流に取り組んできました。
ケニアを出て外のいろいろなものと接することで、彼らの可能性をひらいていけたらと思っていたのですが、実は、ひらかれているのは僕たちや、とも感じます。アンディーを通じてスポーツでつなげた道を、アートや音楽、さらにはビジネスチャンスなど、さまざまなジャンルでの交流へと広げていきたいと思います。

(写真提供)HiRAKU株式会社
――最後に、2027年のラグビーワールドカップ豪大会に挑む第2次エディー・ジャパンにメッセージをお願いします。
若いメンバーが多いチームの醍醐味は、チャレンジして成長を加速することだと思います。「結果を出さなあかん」とちぢこまらずに、今、置かれている環境にワクワクしながら「やってやるぜ」というマインドセットで、どんどんチャレンジして、失敗もして、突き進んでほしいと思います。
また、ラグビーに集中する傍ら、社会との接点も考えながら、ラグビーを頑張ることでどういう世界を作っていきたいのか、チームが大事にしている思いを言葉にして発信していけば、ラグビーを良く知らない人の中にもその世界観に共感して応援してくださる人が増えていくと思うので、そこも大切にしてほしいと思います。

(写真提供)HiRAKU株式会社
*サステナトーク(1)小泉今日子さんが語る森づくりと未来「気持ちよくバトンを渡せる人生に」



